第15話

 「負け犬(笑」

 「何だと!?」


 イリスが嘲笑的な言い方で挑発すると、マルクは怒って睨みつけた。が、今のイリスはそんなことでひるむようなタマではなかった。


 「あなたがどうして精霊の名前を言おうとしないのか疑問だったけどやっと分かったわ。普通級ノーマルランクだったのね」

 「っ!」

 「折角精霊契約したのにそれが普通級ノーマルだったなんてざまはないわね。上級に上がれないはずだわ。ねえ、急いで契約して失敗したときの気持ちってどういうものかしら」

 「うるさいっ!」

 「実力が十分でないのに精霊契約するなんて愚か者のすることよ。まともな知恵があったら契約は後に延ばすものだわ。でも、このクラスにはなぜかそんな知恵もないのが2人もいるみたいだけど。あら、おかしいわね、ここはオスティア王国随一の学校だったはずなのに。所詮はコネということかしら?」

 「くっ……」

 「イリス、いい加減にするですな」


 イリスの言葉責めが延々と続き、言い返せないマルクの顔色がどんどん悪くなるのを見かねて、ダフニがイリスの肩を叩いた。イリスの責めはダフニの方にも流れ弾が飛んでいたはずだが、ダフニは全く気にしていないようだった。


 「お前、後で後悔するぞ」

 「ふんっ」


 顔を青くしたマルクが震える声で一言だけ告げると後ろを向いて去っていった。その後ろ姿は憤怒のオーラで景色が揺らぐようだった。


 その翌日、ダフニの上級クラス進級が発表になった。理由は精霊を知覚することができるというリピカの力が評価されたとのことだった。


 同時にリピカのランクが変更になった。精霊はその希少度と有用性から普通級ノーマル特別級アンコモン希少級レア伝説級レジェンダリーとランク付けされているが、情報が少なすぎてリピカはこれまで普通級ノーマルに暫定的にランク付けされていた。それが今回の発見を受け、希少級レアとして扱われることが決定したのだ。


 上級クラスの進級は特別級アンコモン以上の精霊との精霊契約が条件となっている。ダフニの進級はリピカのランク変更の直接的な帰結だった。


 ただ、エーテル知覚は本当はリピカの能力ではないので少しだましたような気がしなくもないとダフニは思うのだ。


 ――ま、あまり気にしても仕方がないですな。


 切り替えの早さはダフニの美徳の一つでもあるのだった。


 「折角ダフニ様と同じクラスになったと思いましたのに」

 「大丈夫ですな。イリスやマルクお兄さまもいるから寂しくないですな」

 「余計不安になります……」


 ――おかしいですな。にぎやかで面白い人たちなのにですな。


 中級は人数がそれなりにいてクラスがいくつかに分かれていたが、上級になると全体の人数が減って教室が大きくなるので1クラスに全員が所属することになる。そしてその全員が特別級アンコモン以上の精霊と契約済みで将来はその力で国の要職に就くことがほぼ決定しているのだ。


 もちろん、国は魔法使いだけで動かしているわけではない。魔法以外の分野にも上級クラスが設置されていて中級からそちらに進級するものも少なくない。例えばダフニが敬愛する第1王子のレオも魔法以外の上級クラスに進学した1人だ。


 だが、やはり何と言っても上級魔法クラスはオスティアス学園の花形であった。


 「初めまして。第5王子のダフニですな。精霊はリピカで記憶の精霊ですな。それから、事故の後から精霊が見えるようになったですな。皆さん、よろしくですな」


 教壇に立っていつものように元気に挨拶をするダフニだが、生徒の反応は今一つだった。エーテル知覚を得てから鋭敏になった聴覚が教室内のささやき声を拾い上げたが、どうやら大半の生徒にはリピカについての情報が行き届いていないようだった。


 「リピカという精霊に聞き覚えのないものもいるだろうが」


 どうやら雰囲気を察知した先生が説明をしてくれるようだ。


 「最近、新しく希少級レアランクに認定された。理由は契約者が精霊を直接知覚できるようになる可能性があるということだ。ダフニくんは主にその能力で貢献してもらうことになると思う」


 教室内のざわめきが大きくなった。が、特に質問はないようだった。ダフニは先生に促されて近くの空いている席に座った。


 ――大学の講義みたいですな。


 中級では中高の授業のように1人1人個別の机があって座席が決まっていたが、上級になると長机に各々好きな並びで座るようになっていた。ほとんどダフニより5歳以上年上の生徒ばかりで机の高さが合わないので椅子の上に正座をして座る必要があった。


 授業の理解に関して問題は特になかった。魔法、歴史、兵法、体育の4教科のうち魔法、歴史、兵法の3教科については中級までのような座学の授業ではなく生徒同士の議論を中心とした内容となっていた。


 歴史、兵法は事前に予習範囲が指定され、その内容を踏まえて与えられたテーマについて発表して議論するのだが、記憶の精霊を持つダフニには特別難しい課題にはなりえなかった。


 一方の体育は……、ダフニなりに頑張っていた。主にサボる口実を探すという方向性で。ただ乗馬についてだけは、何か琴線に触れるところがあったのか積極的に取り組んでいた。本来なら12歳からとなっていたところ上級クラスでは他全員やっているという理由で特別に許可されたものだったのだが。


 そして魔法の授業だが、その内容は中級までとは違い全て精霊魔法だけを扱うようになっていた。各々が自分の精霊魔法について独自に研究を進めてその成果を持ち周りで発表する形態なのだ。


 大抵の生徒は研究を単独でするのではなくグループを作って情報交換しながら研究していることが多い。上級クラスでは特別級アンコモンランクの精霊は一般的なので同じ精霊と契約しているものがクラス内や知り合いの知り合いにいることもある。情報交換によって精霊魔法の効率的な運用方法を学べるのでグループを作るメリットは大きい。


 ダフニも最初はどこかのグループに参加して研究を進めようと思ったのだが、声を掛けたグループにはどういうわけか全て断られてしまった。


 「それは嫉妬よ」


 ダフニの状況を聞いてイリスは断言した。どうもイリスはクロエと気が合ったらしく、放課後クロエがダフニを待つ間2人でずっと話していたので、ダフニが来た後もそのままの流れで会話が続いていたのだ。


 「嫉妬ですかな?」

 「10歳で上級クラスというのはこれまでに例のない早さだわ。しかも契約しているのが希少級レアランクの精霊。5番目とはいえ王子という血筋の良さ。これが嫉妬の対象にならなければ誰が対象になるというのかしら?」

 「ふむ。しかし、それだけ有望な人物なら今のうちに恩を売って知己になっておくほうが良いのではないですかな?」

 「あなた、自分でそういうこと言うかな?」

 「変ですかな?」

 「いや、ダフニはそういうやつよね。あのね、残念ながらあなたはこの国の政界ではほとんど何の後ろ盾もないと思われてるのよ。唯一あるのが第一王子のレオ様の実弟であるということだけど」


 と言いながら、イリスは声のトーンを落としてダフニの耳元に口を近づけてきた。クロエは下品にならないように気を遣いながら耳をそばだたせて体をそちらに傾けた。


 「今やレオ様を差し置いて次男のルキ様の方が次期国王に相応しいと噂する人もいるくらいだから」

 「お兄さまは素晴らしい方なのですな」

 「こ、声が大きいわよ。バカなの!?」

 「ふがふが」


 いきなり大声を上げたダフニにイリスは慌てて口を力づくで押さえつけた。


 「あなたは政治問題に鈍感すぎるのよ。ちょっとは自重しなさい」


 ――プログラマにそんなことを言われても無理というものですな。


 ダフニは心で思ったが口を押さえられて声には出せなかった。


 そう言うイリスも随分マルクに対して横柄な口を聞いているのでは?と思ってしまうが、実のところイリスとマルクはいとこなのでそういう口を聞いても問題にはならないという暗黙の了解があった。イリスと言えど、礼儀を忘れるとさすがに問題になりそうなところでは自重する程度の分別なら持ち合わせてはいた。そこは真正のダフニとは違うのだ。


 ついでに言えば、マルクはルキの実弟であってイリスはルキのいとこでもある。つまり、3人とも今最も力のある貴族であり反レオ陣営の中心人物であるアヴェンティ公爵の孫なのだ。ということはイリスは反レオ陣営の正に当事者といっても過言ではない。……のだが、なぜかレオの実弟のダフニと懇意にしていてそれが特に問題になっていない。


 これはレオとルキがは協力関係にあり両陣営の間での交流は不自然にならない程度に行われていること、その流れで思い切ってイリスをダフニの許嫁として推そうという案を推している派があること、イリスがヴィミナリエ伯爵家の中でも末娘でありいざとなれば切り捨ててもよいと思われていることといった事情がある。


 イリスが極端に実力主義的な発想になっているのは幼い頃からそういう権力闘争を見すぎて辟易としてしまったせいでもあった。本人は政治の道具にされるなら、いっそのこと純粋に実力だけで出世が決まると言われる宮廷魔導士になって伯爵令嬢としての地位を捨ててしまいたいと考えているのだが、希望が叶えられるかは分からない。


 もちろん、ダフニはそんな事情は知る由もなかった。


 そういうわけでイリスは慰めてくれたものの、結局クラス内でグループを組む相手が見つからなかったダフニは仕方なく1人で研究を進めることにした。研究内容はエーテル知覚を生かした精霊の観察のフィールドワークということにした。


 具体的な研究方法はその辺を歩きまわって新しい精霊を見つけるたびに、その姿をスケッチして名前と能力に加えて出現場所などの生態やその他特記事項を書き記してまとめていくのだ。


 「ねえ」

 「何ですかな? 今は忙しいですな」


 ダフニが一心不乱にスケッチをしていると、横合いからリピカが声をかけてきた。


 「このみかんが潰れたみたいなものは何さ?」

 「見て分からないですかな? あそこの精霊をスケッチしているですな」

 「え、この犬の糞みたいなのがあれかい?」

 「うるさいですな」


 ダフニに絵心はない。そのことはダフニ自身よく知っている。カメラがあればと思うがたとえあったとしても精霊が写るかどうかはあまり期待ができないとも思う。


 「大体、僕がいるんだからわざわざ絵なんか描かなくても名前を付けておくだけで後からいくらでも思い出せるのに」

 「私一人ならそれでいいけれど、他の人に説明するにはそれではよくないですな」


 リピカの重要な能力に「名前付け」ものがある。記憶の対象に名前を付けておいてその名前だけを覚えておくと、後からその名前をキーにして残りの記憶を全て思い出すことができるのだ。逆に名前を付けていないものについては記憶を呼び起こすことはできない。


 さらに便宜上「名前」と呼んでいるが実は映像や音声や臭いなんかでもよかったりする。例えば精霊の研究の例だと、精霊の姿をキーにして観察レポートを呼び起こすということも可能だ。姿から情報を呼び起こすというのはまるでゲームの鑑定能力のようだ。違いは呼び起こす情報は全部自分で調べた情報だけだというところだが。


 精霊の名前や能力を調べる方法について、最初のうちは近くでいろいろな種類の魔法を使いまくってどれに反応するかを確認していた。しかし、そのうちにこれはあまりにも非効率で不正確だと思って別の方法を探すことにした。


 まず名前については、精霊契約した時に精霊自身に名前を名乗らせる呪文があったのでそれを応用すればいいと考えた。


 呪文は「誓約にて共にする精霊に請い願い奉る。我、汝に一つの求めあり。我が左肩に汝の類を刻むる回廊を作りたまへ。コール」というものだったので、この呪文を変更して精霊の指定、魔法の対象、魔力量を適切に与えてやれば契約外の精霊でも名前が分かるのではないかと推測した。このうち最大の問題は言うまでもなく精霊の指定だ。


 普通の魔法では、「水の精霊」「炎の精霊」というように精霊の属性を持って指定する。するとその属性を持った精霊が全部集まってくるのだ。これは精霊が見えない普通の魔法使いには都合がいいが、今のように特定の精霊だけに呼びかけたいときは不便だ。手当たり次第に試すにしても、そもそも目の前の精霊が一般的な属性を持っていないときはどうすればいいのか。


 「君はバカなのかい?」


 悩んでいるとリピカに突然バカにされた。


 「いきなり何ですかな?」

 「目の前にいる精霊に呼びかけるのにわざわざ遠回しに言わなくても普通に言えばいいじゃないか」

 「普通にですかな?」

 「それ、とか、これ、とかさ」

 「そんなことできるですかな」

 「できないわけないさ。後ついでに、何で魔法を使うときわざわざ変な言葉遣いになるんだい?」

 「それは呪文だからですな」

 「呪文なんて意味があればいいんだよ」

 「マジですかな!?」


 リピカの言葉にダフニは目から鱗の思いがした。しかし同時に疑問も浮かんだ。

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