第9章 強行ミッション

第36話 陽動部隊

――2024年11月23日、9時40分、沖縄県、嘉手納基地――


 SR71ブラックバード。その名の通りスモークブラックで、美しいデルタ翼をもった機体は、ゆっくりと旋回しながら高度を下げていった。全長32.73m、F22ラプターに較べると10m以上も長い巨体にも関わらず、その動きは驚くほど軽やかだ。


 低空域での安定性が考慮されていないために、滑走路への進入速度はずいぶんと速い。地面に舞い降りるや、鮮やかなオレンジ色のドラッグシュートが大きく開き、そのまま滑走路を疾走しようとするSR71に制動を掛けた。

 コクピット横に掛けられたラダーを降りたボイドは、地面に足を着けるなり、フウと大きな息をついた。


「どうも上手く行かない」

 ボイドはつぶやいた。ここ3日間、ボイドはSR71の飛行テストを繰り返していたが、どうしても求めている性能が出てこない。

 元々SR71は、空気抵抗の少ない高度80,000フィートを巡航するよう設計された、高高度偵察機である。今回の作戦高度となる高度16,000フィート以下は、空気密度が想定された使用環境と大きく異なるのだ。

 実をいえば初めから、本作戦でSR71を運用するのは簡単な事ではないだろうとはボイドは思っていた。それでもボイドが、無理を承知でSR71を選択したのには、それなりの勝算があったからだ。


 今回の作戦は所要時間が極めて短くて済む。それがボイドの拠り所だった。SR71の無限とも思えるような大推力で、厚い空気の壁を僅か40秒ほどの間、切り裂く事ができるだけで良いのだ。マッハ3でチャイナ・サークルを突っ切るという発想は、決して不可能な話ではないとボイドは思っていた。


 しかし実際に機を飛ばしてみると、考えていたようにはいかなかった。空気抵抗が邪魔をして、速度がスムーズに上がらないのだ。P&W社製のJ58エンジンは、高速域でエアーインテイクに発生するラム圧(自然吸気圧)を前提に設計されている。速度が十分に上がってこなければ、ラム圧が上がらず、エンジンが本来の実力を発揮しきれない。そのために、それ以上速度が上がらくなるという悪循環に陥ったのだ。

 今のところ、目的とする作戦高度で達成できた速度はマッハ1.6が限界。それならばラプターの方がまだ速いくらいだ。


「どうする? ラプターに切り替えるか?」

 ラプターの最高速度はマッハ2.42。リスクはあるが、それだけ出せれば何とかもしれない。アナログ系の計器に換装するとしても、全てを交換する必要は無い。こちらから攻撃しないのであれば、火器管制系はいらないし、逃げるだけならレーダー系も必要無い。時間は掛かるが、そちらの方が確実か?


 ボイドの気持ちは、一度はラプターに大きく揺れた。しかし至近距離からマッハ4を越えるミサイルを撃たれることが確実な場所に、その半分ほどの速度で飛び込んでいく気持ちにはどうしてもなれなかった。



――2024年11月24日、14時00分、沖縄県、那覇市――


「宮本、俺だ」

 宮本が取った電話の主は、防衛省の山口だった。

「詳しい情報は得られたのか?」

「ああ、得られた」

 宮本には、山口の着信というだけで、初めから用件の察しがついていた。CIAとの情報取引が成立したのだ。そしてそれはパインツリー――即ち松田涼子――の情報がCIAに渡った事をも意味していた。


「それで、内容は?」

 山口は、防衛省情報本部がCIAから得たばかりの情報――旧ソ連のレーダー欺瞞ぎまん技術研究所の研究内容と、現在もそれが後継会社3社に引き継がれている可能性がある事。そしてチャイナ・サークルはその研究成果が生み出したものかもしれない事――を、事細かく宮本に話してくれた。

 そして米国政府の内部では、チャイナ・サークルはソ連の技術を元に、中国が実用化に成功したものであり、国会議事堂爆撃も中国の仕業だとの流れを作ろうとする一派があることも。


「こちらからは何を伝えた?」

「フェニックス・アイ社の『テンペスト』なるシミュレーションシステム上で行われた、国会議事堂爆撃のミッションが、なぜかそっくりそのまま、現実の国会議事堂爆撃の行動であった事だ。米空軍内に、航空機の内部機密を漏らしている人物がいるようだ、との警告もしておいた」

「松田涼子については?」

「もちろん話した。彼女にはこれから、尾行と盗聴が始まるだろう。彼女だけがフェニックス・アイ社の謎に迫る細い糸のようなものだ」


「可哀そうな事をしたかもな……」

「そうかもしれないが、そうとも言い切れないぞ。CIAの監視は、彼の潔白を証明することにも繋がるからな」

「そう考えないと、やりきれないな……」

 宮本は寂しそうな表情で電話を切った。



――2024年11月25日、11時15分、沖縄県、宮古島沖――


 SR71は高速で疾走する機体をブルブルと震わせながら、緩やかな上昇軌道を描いているところだった。


「これだ、見つけた!」

 ボイドは心の中で叫んだ。それは低空域でSR71から性能を引き出すための、恐らく唯一のマニューバだった。


 これまでにA/Bアフターバーナーを点火するタイミングと点火時間、エンジン前部のスパイクコーンの位置、果ては専用のジェット燃料JP―7に、発火温度を下げるための添加剤を加えることまで、ありとあらゆる事を試した。しかしどれも推力を上げるための決定打にはならなかった。


 最後にボイドが試したのが、高空域から降下することで、エンジン内に強制的に空気を送り込む事だった。適度なラム圧を得た事でJ58エンジンは息を吹き返し、轟音を響かせながらSR71のボディーを前へと推し進めた。マッハ計は見る見る上がり、低空域にも関わらず2.5を越えた。

 もう少し粘れば、確実にマッハ3に到達しただろう。しかし高度の下がり過ぎを恐れたボイドは、スロットルを絞って、機首を上げ舵にした。機の高度はそれでも下がり続け、海面から5000フィートというところで、ようやく水平軌道に入った。


 速度はクリアした。残された問題は姿勢を立て直すタイミングだ。マッハ3を越えて落下する機体を水平に戻すにはかなりの距離が必要だ。落下の最下点が丁度作戦高度となるように、初動の高度を見極める必要があった。

 しかし、最大の課題を克服したボイドにとっては、それは取るに足らないことに思えた。



――2024年11月27日、9時00分、沖縄県、那覇基地――


 宮本は那覇基地司令の牧田に呼ばれた。

「お呼びですか? 司令」

 宮本は敬礼をして、牧田の部屋に入った。

「実は米国防総省から防衛省に依頼があった。3日後に君の部隊は、嘉手納基地のSR71と一緒に飛んでほしい」

「いまどきブラックバードですか? あの機はもう退役したはずですが」

「モスボール保存されていた機を、復活させたらしい」


「一緒に飛んで、何をやるのですか?」

「チャイナ・サークルに突入する」

「えっ! あの危険な空域にですか?」

 牧田は頷き、言葉を続けた。

「今月9日に、米軍機3機がチャイナ・サークルに飲み込まれたのは、君も知っているな?」

「宮古島のレーダーの報告は目を通しました。辛くも1機が、そこから離脱していますね……。あの決死のフライトによって、米空軍はチャイナ・サークルの振る舞いを、把握したのですね?」

「そういう事になる」

 牧田は宮本に、米国側から示されたチャイナ・サークルの挙動と性質を伝えた。

「つまり、チャイナ・サークルは内部を隠す空間シールドのようなもので、その突入時に電磁波の影響を強く受けるということと、そのシールドが可視光線の屈折にも影響を与えるために、内部は直射日光が届かず薄暗いということですね?」

「その通りだ。突入時に多目的表示パネルがダメージを受けるらしいが、操縦系には問題は生じない」


「何の目的で、突入を図るのですか?」

「君が言うところの決死のフライトで、チャイナ・サークル内にいる潜水艦の存在が明らかとなったそうだ。米国側はその潜水艦がチャイナ・サークルを発生させていると見ている。目的はその潜水艦の、正体を確認することだ」

「旧式のSR71を使う理由は何ですか?」

「速度だよ。最高速度でチャイナ・サークル内に突入したSR71は、至近距離からターゲットの空撮を行い、そのまま上空に離脱することになっている。ヒット&アウェイだ」


「我々の隊は何を?」

「現場空域を攪乱かくらんするための陽動部隊だ。潜水艦が君たちに気を取られている隙に、SR71が別の角度から、高速で突入するのだ」

「陽動部隊――ですか?」

 宮本は思わず、『要するに囮になれと言う事ですね』と口に出しそうになったが、辛うじてそれは飲み込んだ。嫌みを言おうが言うまいが、下命されればやる事には変わらないからだ。牧田は黙って宮本の問いに頷いた。

「中国の領空に、食い込むことになりますが……」

「大丈夫だ。米国防総省が根回しをすると言っている」

 宮本は、『用意周到ですね』と言おうとしたが、その言葉も飲み込んだ。


「もう一つだけ教えてください。この作戦は、ある意味では敵の制空域に飛び込む事になります。相手からのミサイル攻撃の可能性は無いのですか?」

「無いとは言わない。しかしこれは戦闘ではないので、君たちは反撃をする必要はない。現場を十分に攪乱したら、後は逃げる事に全力を尽くせば良い。アメリカ側からの説明によれば、チャイナ・サークルの外まで逃げ切ってしまえば、敵のミサイルはもう追尾しては来られないそうだ。

 それから君のF3/Hだが、君が試験飛行で君が使っていたアナログの計器類を、もう一度取りつけるように指示がしてある」


「分かりました。作戦の実施時間は?」

「明後日11月30日の0・9・3・0。SR71は高度30,000から降下を開始する。君たちはそれを確認し次第、突入を開始しろ。チャイナ・サークルへの突入方法や、侵入後の中での行動は君に一任する」

「わかりました!」

 宮本は直立で敬礼し、牧田司令の部屋を出た。

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