レンタル屋の天使

水円 岳

第1話 登録

「ふうん……。小賀野おがのるい、か」


 あちこち皮が破れてぼろぼろのソファーに私が座ってて、私とおっさんの間には、これまた年季とひびの入ったガラステーブルがバリアのように立ちはだかってる。てっぺんはげの痩せたおっさんは、私が用意した履歴書をほとんど見もしないで、ぽいっと屑かごに放り込んだ。


「携帯の番号だけでええ」

「どうしてですか?」

「履歴書まともに書けるやつが、俺んとこに来るかいな。あほ」


 まあ、そりゃそうだ。

 じろじろと私のてっぺんからつま先まで無遠慮に見回したおっさんが、ひどく乾いた声を出した。


「あんた、ほんとに成人してるんやろな?」


 思わず苦笑する。


「戸籍抄本でも取り寄せましょうか?」

「ええねん。ウソでなければな」

「ウソなんかついたってしょうがないですよ。正真正銘のハタチです。なったばかりですけどね」

「さよか。働かす実店舗がない言うてん、未成年使うとハネが来る。うちは基本ゆるゆるやけど、そこだけは突っ込まれたないんや」

「分かります」

「まあ、ええわ。ルールだけ守ってな」

「はい」


 おっさんが、錆だらけのスチール事務机の引き出しをぎしぎし言わせながら引き開けると、そこに突っ込んであった紙束から一枚引っ張り出し、投げつけるようにして私に放った。


「ほれ。登録者と利用者それぞれの規約や。よーく読んどき」


 ええと、なになに?

 私が黙って紙切れの内容を見回している間、おっさんはタバコに火を点け、つまらなそうに煙を吐き出した。


「時間二万。最低二時間。延長単位も二時間。取り分は半々や。一人客取りゃ、時間一万のあがりってことや」

「はい」

「客は料金前払いやから、踏み倒しはない。延長は基本受けたらあかんで。メンバーにも店にもゼニにならんからな。どうしても受けたいなら、客ぅもう一度ここに来させるか、自己責任で。それだけや」

「一日三人お客さんが取れたら、それで六万……ですか」

「ぼろいやろ?」

「そんなに甘くないですよね?」

「はっはっは! 当たり前や」


 私にタバコの煙をふうっと吐きかけたおっさんは、口の端に皮肉っぽい笑みを浮かべた。


「うちはただの置き屋や。誰かをプッシュするとか、売り上げぇ競わすとか、そんなん一切あらへん」

「ええ」

「ほしたら、登録されてるリストになんかかんか売りがないと、だあれも貸してくれぇ言わんわ」


 ああ、そういうことか。もっともだ。

 私が落胆も不満顔も見せなかったことが意外だったんだろう。ぐいっと身を乗り出したおっさんが、私の顔をしげしげと見回した。


「あんた、変なやつやな」

「変ですか?」

「ああ。こういうとこに来んのは、どっか崩れてるか食うてくのに必死なやつや。あんたぁ、そのどっちでもないな」

「ええ、確かにそうです。私は実家にいるから生活に切羽詰まってるわけじゃないですし。ものすごくお金が欲しいとか、スリルが欲しいとかでもないんです」

「ふん?」

「まあ、あとはやってみてですね」

「せやな。まあ、指名かかればええけど」


 向かいのおんぼろソファーにどさっと身を投げ出したおっさんは、またじろじろと私を見回した。


「あんた、きゃしゃやな」

「ですかね」

「用心しとき」

「用心……ですか?」

「せや。力尽くで言うこときかそってぇろくでなしが結構おんねん」

「うわ」

「あんたは男やから、そっち系の客に狙われると厄介や。俺んとこではガードは一切せえへん。自己責任や。客のリクエスト承けるかどうか、よう考えや」


 厄介なのはゲイやバイ、か。


「私に、拒否権があるんですね?」

「当たり前や。犬猫貸すんとちゃうからな。あんたが嫌や言うたら、それでしまい。客が他の登録者に当たるだけや」

「分かりました」


 おっさんがのそっと立ち上がって、さっきゴミ箱に放り捨てた私の履歴書を拾い上げた。


「写真だけは使わなあかんかったわ」

「え? どうしてですか?」

「あんたの今のカッコやと、登録してもだあれもアクセスして来ぃひんで」


 ああ、今日はラフな格好で来たからなあ。よれよれのカッターシャツじゃ、確かにふざけてると思われるかも。


「スーツ姿はそっけないけどな。こっちの方がまだマシや」


 おっさんが、複合機の蓋をぱかっと開けて私の履歴書を置き、スキャンをかけた。事務机の上の古いノートパソコンの画面に、澄まし顔の私の顔が現れる。我ながら、愛想も色気もない顔だなあ。


「登録名はルイでええんやな?」

「はい。本名ですし」

「むー。まあ、フルネームやないからええか」


 顔写真の下に『ルイ』と源氏名が載った。


「何か売りを書いとくか?」

「うーん、それで自己アピールってことですよね?」

「せや」

「他の方はどんな感じですか?」

「いろいろやな」


 こっちゃ来いとおっさんが手招きしたので、ソファーから立って机の横に歩いて行った。

 パソコンの画面には、ずらっと並んだ写真とプロフィール。私と同じくらいの若い男性の登録が多いけど、若い女性、そして年配の人の登録もちらほら見える。それが本当の登録なのか、看板だけのサクラなのかは分からないけどね。


 いくつかプロフィールを斜め読みしてみたけど、確かにおっさんの言う通りでいろいろだった。ものすごく自分の容姿や経歴を売り込んでいる人。こんなタイプというのを列記している人。肉体関係を求める隠語をさりげに混ぜ込んでいる人。

 つまりここを主戦場にしていると言うより、こういうところで縁故コネを作り、それを足掛かりにして打って出ようと考えてる人が多いってことなんだろう。文量の多少はあるけど、どの登録者もしっかりきっちりアピールしてる。その中では、私のプロフは埋没するだろなあ。


 ちょっと考えて、こんな文面にした。


 『お話しましょう。私は変わってます』


「ほ? これだけでええんか?」

「まあ、最初はこんなもので。もし何も反応がないようなら、その時にどうするか考えます」

「ふうん。あんた、ほんまに変わっとるな」

「今、そこに書いたじゃないですか」

「はっはっはっはっは!」


 タバコのヤニで黄ばんだ歯を剥き出しにして、おっさんが豪快に笑った。


「まあ、なんかあったら俺に問い合わせてくれ。代表と同じ番号や」

「はい」

「最初の客はここが起点やからええけど、リピの場合は客の呼び出しぃ直接受けたらあかんで。必ず事務所通すように言うてな」

「はい」

「しつこく直電かけて来るやつがおったら、拒否設定頼むな」

「自衛もあるから当然ですね」

「せや」


 最初に事務室に入った時のように、おんぼろテーブルを挟んでおっさんと差し向かいに座った。


「俺は中里なかざとや。覚えとき」


 手帳を出して、名前を控える。それと……。


「すみません。ちょっと聞きにくいんですが」

「なんや?」

「ここって、その……やくざさんとは」

「ああ、その心配は当然やな。あるともないともとしか言われへん」

「? どういう?」

「あんたは、自分を変わりもん言うたやろ?」

「はい」

「俺もや。こういう店ぇやるやつはぎょうさんおるけど、俺は競争とかのし上がりとかには興味がない」

「じゃあ、なんでこんな店をやってるんですか?」

「俺の本業はレンタル屋やからな。貸すもん増やした。それだけや」


 ふうむ……。


「でな。普通に貸し借り出来てるうちは、そっち系関係ないねん」


 ああ、そういうことか。


「せやけど、さっき言うたみたいにレンタル品傷物にしようとするアホが時々おるんや」

「そうかあ」

「トラブった時ぃ、俺は直々に出ていかれへん。せやから人ぉかます……ということやな」

「分かりました」


 中里さんは、まだ半分も吸ってないタバコを灰皿にねじ込むと、次のタバコに火を点けた。


「俺は、もうええかげんじじいや」

「そうなんですか?」

「この業界ではな」

「なるほど」

「せやから、色にもゼニカネにもそんな執着はない。とりあえず、ふつーに食ってければええねん」


 うん。なんか、そんな感じがする。でも、それならもっとまともな商売した方がいいような気がするけど。ああ、でも私はそんな偉そうなことを言える立場じゃなかったな。


「まあ、うまいことやって。俺はあんたらのやり取りには一切口を挟まん。客とトラブルを起こさん限り、好きにして」

「でも……」

「うん?」

「そんなに甘くないんじゃ」

「甘ないで」


 にやっ。おっさんがこれでもかと皮肉っぽい笑みを浮かべて、私をじろじろ見回した。


「人ぉ借りよう言うやつは困ってる。親やら友達やらに頼れへん。せやから、こないえげつないもんに手ぇ出しよる」

「そうですよね」

「向こうは必ず突っ込んできよるで。レンタル品がめろうとする」

「げええっ」

「それえうまいこと躱さな、あっという間に食いもんや。気ぃつけ」

「うへえ。はあい」


 ゆさっ。おっさんが足を組み替える。


「まあ、基本、あんたが書いとったみたいに、話してる間に向こうのリクエストと魂胆探って調節せえ。それしかないやろ」

「そうですね。やってみます」

「まあ、最初からがんがん指名かかるなんてことはあらへん。心配し過ぎてもしゃあない」

「はい」

「困った常連もおるけど、それは俺の方であんたに知恵付けたる。そこまではサービスや」

「困った常連かあ……」


 私自身が『困った人』だから、あまり同類には関わりたくないけど……。そうはいかないんだろなあ。店長がしっかり私の懸念を裏付ける。


「ゼニはきっちり払うてくれるから、むげに断れんくてな。しゃあないやろ」

「分かりました」

「ほなら、あとは頼むで」

「はい。失礼します」


 古臭い雑居ビル三階の事務所を出て、薄暗い階段をゆっくり降りる。一つステップを降りる度に、階下の喧騒が耳に飛び込んでくるようになる。

 レンタルショップハッピーは、一階に実店舗がある。ベビー用品や介護用品、パーティーグッズ、衣装なんかが所狭しと陳列されていて、結構お客さんが出入りしてる。大繁盛ではないにしても、それなりに常連の利用客がいるんだろう。下が利益出してるなら、あえて突っ込みどころ満載のデートクラブ紛いのことをしなくてもいいと思うんだけどな。


「お邪魔しましたー」


 店番の若いお姉さんにぺこっと頭を下げて、喧騒の横を通り抜けた。でも、お客さんの応対で忙しいお姉さんは私を見ることなんかない。無視。店舗も街路も大勢の人で溢れてるのに、その誰も私のことを見ないというのがどうにも奇妙に感じられた。でも、きっと私の感覚の方がおかしいんだろう。


 店舗を出て、改めてビルを見上げる。これで、私はレンタルショップハッピーのレンタル品になったわけだ。ただ、貸し出し実績ゼロの私は単なる新着在庫。これから誰にどんな風に貸し出されることになるのか、まだ何も分からない。不安がないと言ったら嘘になるけど、おっさんの言うように最初から心配し過ぎてもしょうがない。


 ゴールデンウイークが終わって、街行く人々の浮かれ気分が濃くなる緑の海に隠れていく。同じように、私もこっそりその日常に紛れ込めればいいんだけど。まあ、やってみるしかないね。


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