ピンクの悪魔(五)
一夜明けて。
密林を覆う樹々のあい間からのぞいた空は、ひさしぶりに輝くような夏のブルーをとり戻していた。野営地の少しひらけた場所では、ライマーが騎士たちを相手に朝の調練をおこなっている。ブルームーンは、徹夜明けの受験生みたいに目をショボショボさせ、口へ突っ込んだ歯ブラシを面倒くさそうに前後させていた。朝は苦手なので調練には参加したことがない。
「なあ、ちょっとあんた」
不意に後ろから声がした。低い男の声だ。
ブルームーンは無視して、足もとの桶に汲み置いてある水を柄杓ですくうと、ガラガラペーッとうがいをはじめた。
男の声がさらに近づいてくる。
「おいネェちゃん、聞こえてるんだろう」
知らんぷりをつづけたブルームーンだが、男の気配が攻撃の間合いに入ったとみるや、石火のごとく身をひるがえした。
「ちぇすとぉーっ!」
カツンッと硬い音がした。
男の側頭へ叩き込んだはずのブルームーンの柄杓が、すんでのところで受け止められている。その手にはウイスキーのボトルがにぎられていた。男はとっさに酒ビンを振るって攻撃をふせいだのだ。
二人は飛びすさって間合いをとると、ふたたび柄杓と酒ビンをかまえて対峙した。
「ふっ、なかなかやるじゃん」
ブルームーンが不敵な笑みを浮かべる。応じて男もニヤリと口角をつりあげた。
「あんたもな。どうやらただ者ではなさそうだ。生半な修行では、そのような人間離れした動きはできないからな」
「軍服なんて着ているところを見るとボルガンの兵士のようだが、わたしになにか用か?」
「あんたじゃない、ペーシュダード騎士団をひきいる将校をさがしている」
ブルームーンはため息をついて腰に手を当てた。
「おまいの目はふし穴か」
「なに?」
「目のまえの美人を一体だれだと思っている」
男はティアドロップのサングラスをずり下げて、精悍な瞳でブルームーンを見つめた。がっしりした体躯に似合わず、その顔つきには少年じみた人なつこさがあった。
「おまえ、騎士団の世話をする付き人じゃないのか」
「ひとを芸能人のマネージャーみたいに言うな」
「じゃあ、まさか……」
「そのとおりっ」
手にした柄杓をサーベルに見立て、垂直にささげ持ってから、ビシッと天へ突きあげた。
「ペーシュダード王国にそのひとありと言われたピンクの悪魔、近衛騎士のブルームーン・シェパードとはわたしのことだ」
「うそ、マジかよ……」
ほとんどため息ともとれるつぶやきを漏らし、男はがっくりと肩を落とした。それを見てブルームーンの、きれいに引かれた眉がキリリとつりあがる。
「あーっ、なんだよ、その拍子抜けしちゃった的なリアクションは。ふつうこういう場面では、えっマジなの、こんな可愛い女の子が将校とかちょーラッキーじゃね、みたいなセリフが出てくるもんじゃないの?」
男は、耳にはさんでいたタバコを口のはしにくわえるとガソリンライターで火をつけた。
「ちっ、ムイムル川の鉄橋をひと晩で落とした猛者がいるっていうから来てみれば、なんのことはない、ちょっと剣のあつかいに長けたお転婆じゃないか」
ブルームーンの鼻の穴がプクーっと膨らんだ。
「むっかーっ、そのセリフは聞き捨てならないな。これでも士官学校では、戦闘教義から用兵術、野戦築城にいたるまで、軍事のイロハを徹底的に叩き込まれたエリートなんだぞ。それに、ちょっと剣のあつかいに長けたお転婆だとっ。おまいよくそんな失礼なことが言えるな。わたしの剣技の冴えはペーシュダード国内でも一、二をあらそうほど精妙だと言われているんだ。なんなら今ここで、おまいのからだをナマスみたいに切り刻んでやろうか」
今にも噛み付かんばかりの剣幕を受け流して、男はゆっくりとタバコの煙をくゆらせてから、不意に人なつこい笑顔を見せた。
「どうやらガッツだけはありそうだな。まあ悪く思うな、口が悪いのは生まれつきでな。それに自分の命をあずける相手となりゃ、どんな性根の持ちぬしか確かめてみたくなるのは当然だろ?」
「命をあずけるだと?」
「そうだ。おまえら今夜ダーリェン丘陵の砦に夜襲をかけるんだろう。傭兵部隊をひきつれ支援してこいというマッコイ少佐よりのお達しだ」
「マッコイ? だれだそれ」
「ここの司令官さ」
「ああ、あのメガネザル……って、えーっ、あのしみったれオヤジ、今夜の作戦に傭兵なんぞをよこしやがったのか」
「おいおい、そりゃねーだろ」
男は、苦い顔をして肩をすくめた。
「俺たちはこう見えても、革命実現のために世界各地を転戦している凄腕の傭兵部隊なんだぞ。大陸南部で勃発したマグ・トゥレド解放戦線では、現地の民兵をひきいて、ファモレ王と結託する暫定政府軍を壊滅に追い込んだこともあるんだ」
今度はブルームーンがイヤな顔をした。
「革命だあ?」
「なにをかくそうオレたちは、帝都パルチザンの生き残りなのさ」
「あの悪名高い帝都パルチザンの残党か。ふん、偉そうなこと言って、ようするにマルクス主義で凝り固まった新左翼の過激派じゃないか」
「こら、せめて急進派と言え。できれば、ノンセクト・ラジカルと呼んでもらいたい」
「ぬぁーにが、ノンセクト・ラジカルだ、この革命オタク。おまいらたしか、ムジャヒディン・ハルクのジハード部隊と組んで大都市圏のあちこちで自爆テロとかくり返してたよな」
「うっ……そ、それはオレとは別の部隊で」
「ムスリムでもないくせに、イスラム社会に左翼思想なんぞ持ち込みやがって。ボルガン軍も、こんな時代遅れの過激派どもを雇うようじゃ先が見えてるな」
「……そこまで言うか」
「わたしは基本的にアカはキライだ。紅白歌合戦も、毎年白組を応援することにしている」
そこへ伝令の若い騎士が駆けてきた。
「ブルームーン様、そろそろ軍議を始めるお時間ですが」
「うん、分かった。すぐに行くからインスタントコーヒーの熱ゥいやつを入れといてくれるかな」
「わかりました」
伝令が走り去ると、軍靴でタバコを踏みにじっている男に向かってブルームンが言った。
「おまいも来るか。このさい過激派だろうが人手は多いに越したことはない」
「だから過激派言うなって」
「火炎ビン以外でも、ちゃんと火器をあつかえるんだろうな?」
「バカにするな。対戦車ライフルから地対空誘導弾まで、なんでもござれだ」
「そうか。ところで、おまい名前はなんていう?」
「オレの名か」
男は右手の人さし指と中指で、ちょこんと敬礼しながらウィンクしてみせた。
「オレは、ミッキー・リベルタドール・三木という。ミドルネームの、リベルタドールとは、スペイン語で解放者という意味だ。よく覚えておいてくれたまえ」
ブルームーンは、興味なさそうに背中を向けてスタスタと歩きだした。
「長いから、今日よりミキ・ミキに改名しろ」
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