ピンクの悪魔(二)
「……おい、ライマー」
地響きを巻きおこす馬蹄の音にまじって、不機嫌そうな女の声がする。ロックバンドの女性ボーカルなどによくありがちな、いくぶんハスキーがかった声だ。雨あがりのぬかるんだ道を、十数台の幌馬車を守って鎧に身をつつんだ騎馬兵の一団が粛々と進んでいる。その先頭をゆく白馬にまたがった娘が、となりに馬首をならべる巨漢の騎士に向かって悪態をついていた。
「なんで幌馬車なんだよう。野砲つきの半装軌車か、せめて機関銃を装備したガントラックでも用意できなかったのか。ウエスタン映画じゃあるまいし、敵は手斧で立ち向かってくるアパッチ・インディアンとはわけが違うんだぞ」
娘は全身メタリックピンクに統一されたプレートアーマーを身につけていた。肩と胴を守るブレストプレートや腕にはめるガントレット、足に履くプレートブーツなどはいずれも軽い金属で出来ているらしく、マウンテンバイクでも操るように身軽に手綱をさばいている。ただ腰から下には、おそろしく短いチェーンスカートを穿いていて、そのため太ももからヒザにかけての部分が無防備に露出していた。兜は脱ぎ捨てたらしく、輝くようなゴールドの髪がウェーブしながら鎧の肩に垂れている。いっぽうのライマーと呼ばれた巨漢の騎士は、由緒正しきゴシック調の全身鎧で身を覆っており、全重量を支える馬の蹄が一歩踏み出すごとにきしんだ音をさせて大地を穿っていた。この男も兜をつけない主義らしく、巌のようにごつい顔には無数の刀疵が走っている。
「騎士たるもの、銃火器にはたよらず剣と魔法で戦い抜けとの、ジョバンニ騎士団長よりのご命令です」
「ばかやろう、おまいというヤツはあのくそジジィといったい何年付き合ってるんだよ。あいつはただ燃料と弾薬が惜しいだけなんだ。おまいもわたしの副官ならそれくらいのことは見越して、基地からこっそり軍用車両をかっぱらってくるくらいの才覚は見せろっての」
「もうしわけありません」
「もうしわけありませんじゃないって。適当に謝るなっつーの。だいたいなんで近衛騎士のわたしが支援物資の輸送なんかしなくちゃなんないわけ。近衛騎士ってゆーのはね、おそれ多くも国王陛下のお側近くに控えて、なにか変事があったときには身を挺して王宮を守り抜く、それが役目なんだよ。それをなんだい、こんなガキの使いみたいなつまんない仕事させやがって」
ライマーは辟易しながら口をつぐんだ。さっきからもう何べんも同じ愚痴ばかり聞かされているのだ。年頃の娘のヒステリーに翻弄される父親の気分だが、しかし彼にとって不運なことに、相手は自分の娘などではなく直属の上官だった。
「だいたいボルガンの軍隊も弱っちすぎるだろ。半年もかけてあんな橋ひとつ落とせないなんて。まあ、昨夜わたしが余裕で攻略してやったけどね。って、あーっ、見てよこれ、また虫に刺されたよ。わたしの玉のお肌に、しかも三か所だよ。これどういうこと。この辺りのヤブ蚊やブヨには、虫除けスプレーも効かないわけ?」
放っておけば永遠につづきそうな愚痴だが、不意にライマーがそれを低く押し殺した声で遮った。
「小隊長どの」
「そんなキモい呼びかたすんなって。いつもどおりブルームーンでいいよ」
「では、ブルームーン様」
「なんだ」
ライマーは、前方の木の下闇を見透かすように目を細めた。
「どうやら敵に待ち伏せをされているようですな」
「ああ、さっきから気づいていたよ」
「どうします?」
ブルームーンと名乗った娘は、グロスの光るくちびるをひと舐めしてから不敵に微笑んだ。
「やるっきゃないでしょ。敵さんの数はどれくらいだと思う?」
「橋は我らが占拠しておりますから、たぶん強引に渡河してきた連中でしょう。ならば大軍ではないはず。せいぜいが百か、二百……」
ブルームーンは素早く後方へ目を走らせた。隊列の中ほどには、荷駄をひいた馬車が連なっている。
「……あれを守りながら正面からぶつかるのは不利だな。敵の目をこっちへ引きつけておいて、背後から別動隊に襲わせようか」
「ならばその役目、狗盗にやらせましょう」
「おっ、忍者をつれてきたのか。ライマーってば気が利くじゃん。で、だれをつれてきたんだ?」
ライマーは密林の空へ向けて鋭く指笛を鳴らした。その音に呼応するように頭上でカラスがひと声哭いた。やがて一個の黒い影が、梢をバサバサと鳴らし怪鳥のごとく降ってくる。全身を光学迷彩処理されたボディスーツで覆い、剣をななめに背負ったコマンド戦闘員だ。そのままブルームーンのまたがる白馬に歩調を合わせ小走りで付いてくる。
「お呼びでございましょうか」
くぐもった少女の声がした。催涙ガス避けの全頭マスクをかぶっているのだ。
「マスク外しなよ。山の空気がおいしいよ」
「……では」
マスクを取り去ると、中から黒髪を後ろで結わえたの美少女の顔が現れた。それを見てブルームーンが拍子抜けしたように吐息を漏らす。
「おや、だれかと思えば、すずしろちゃんじゃないでちゅかー。今日は小学校のほうはお休みでちゅか?」
「おたわむれを」
すずしろと呼ばれた戦闘員は、どう見ても小学生のような幼い顔立ちをしていた。アイラインを引いていない一重まぶたが、勝気そうにつり上がっている。肌は白いが、なぜか頬だけがリンゴ病をわずらった子どものように紅い。しかし幼く見えるのは顔だけで、体躯は間違いなく成人した女性のものだ。テフロン樹脂皮膜のボディスーツを通して豊かな乳房が上下に揺れるのを確認できる。彼女はその一重まぶたでブルームーンをきっと睨みすえると、物静かな口調で言った。
「すでに伏せ勢の存在を察知しております。我が配下に探らせたところによりますと、数はおよそ百三十、すべて歩兵で、今は林道の左右に展開して身をひそめております。装備はおもにアサルトライフル、サブマシンガン、グレネードランチャー。魔力は感知されませんでしたので、魔法兵は存在しないものと思われます」
「よし分かった。じゃあ、おまいらは敵を背後から攪乱しろ。その騒ぎに乗じて、あとはわたしらが一気にケリをつける」
「御意――」
すずしろの姿がふっと消えると、しばらくして密林のあちこちから悲鳴があがった。つづいて銃声と爆発音が断続的に轟きはじめる。ブルームーンはサッと右手を挙げた。それを合図に隊列の行進が止まる。彼女はライマーに目配せしてから、後方へ声を張りあげた。
「前衛はわたしにつづけ、あとの者は残って荷駄を守るんだ!」
言うが早いか馬に鞭を入れ、先陣を切って走り出した。ライマーも愛用のブロードソードをかかげ後につづく。
「行くぞっ」
「おおう!」
そのまま数十騎が密林のけもの道に泥土をはね上げ、敵めがけて猛然と斬り込んでいった。
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