第10節

 大衆食堂に『旅人』は立って並んでいた。前の男がカウンターの女に文句を言っている。

「天然物の鮭の切り身が安くなるって書いてあったから、前回、頼んでおいたら、なんだよこれ! 天然なのは切り身の皮の部分だけじゃねぇか。」

 女がクレームに反論する。

「あらっ。皮の上に3Dプリンタで肉を成形していくってすごい技術なのよ。それがこんなに安いなんてやっぱりお値うち品よ。安全・安心の人造魚肉のうえに、焼き魚は皮で決まるって人も多いから、ちっとも詐欺じゃあないわ。」

 前の男が引き下がったところで『旅人』は注文をする。

「この栄養たっぷりソイレント・シェイクというのをお願いできますか。」

 すると意外なことにカウンターの女が小声で『旅人』に話しかけた。

「あら、お久しぶりね。『旅人』さん。」

「どこかでお会いしましたか。」

「私、アシェラよ。姿はかなり変わってしまったけど。」

 『旅人』は薄目で女を眺めてから、驚いた様子で言った。

「本当だ! 前ほどの強烈さはなくなってしまったけど、この霊のパターンはアシェラさんです。一体、どうなさったのです。それにこんな世界で会うとは。」

「話はあとで。今、代わりの人を頼むから、席に座って待っててくれない? いろいろ話したいことがあるわ。」

 『旅人』が食堂の席に座って、味気ないソイレント・シェイクを飲み干したころ、アシェラが彼の前にやってきて座った。

「ああ、なんと言えばいいのかしら。永遠すら過ぎたその先の未来で巡り合う……相手が『旅人』さんじゃなかったら、さぞロマンティックだったでしょうに。」

「その、アシェラさんは変わられましたね。」

「まずは、この黒い肌ね。私の世界は、そして私は永遠の火の罰を受けたの。でも、そこから私は誘われてこの世界に転生してきた。前と違って同じ肉体ってわけにはいかず、肉体を乗り換える転生をしながら、このところずっとこの世界にお世話になっているわ。永遠の火の記念として私が選んでいるのがこの黒い肌ってわけ。」

「永遠の火ということなのにどうして今も焼かれているわけではないのですか。」

「ゼノンのパラドックスのアキレスと亀の話、知ってる? 足が早いことで知られるアキレスもゆっくり動く亀に追いつけない。なぜなら、亀がある地点Bに達したとき、前の地点Aまでアキレスがやってきているとすると、アキレスが地点Bに達したときは必ずその間にその先の地点Cに亀は達しているから。それがずっと続く……というものよ。これは等比数列の無限和が有限の距離に収まることで説明できるの。無限の距離とはまた別に無限個の等比数列が作れるってこと。無限つまり永遠にもいろいろ種類があるのよ。」

「うーん、詭弁きべんのように思いますが、私もそういうことがありうると考えてきました。最後の審判は有限の時間内に必ず訪れるとしても、その間に無限個の級数が取れるように、無限の罰の時間が埋めこめると考えるのですね。」

「そういうこと。へー、話わかるじゃない。」

「でも、実際にそうだと証言する者に会ったのははじめてです。何かの導きなのかもしれません。」

「あと、私の変わったところと言えば、ところどころ戦争で体をなくしててサイボーグ技術で補っていることね。実はこれ鯤さんが使っていたお札の応用なのよ。細部においては魔法なの。」

「おそろしいことです。この世界が魔法にも基づいていることは薄々は感じていましたが、やはりそうでしたか。」

「この世界には支配神がいて、それがときどき替わるの。唯一神は絶対的に別にいるんだけど、春分点が黄道の十二星座をくるくる回るように、支配神にはくるくる役目が回ってくるの。あるときはゼウスの時代、あるときはバアルの時代、ってね。古代の神々が復活していることになっているわ。私の名、アシェラは、唯一神の配偶神とされたこともある女神の名だから、この世界に惹きつけられたのね。」

 『旅人』はその話を聞いて眉をひそめた。

「私にはおぞましいことのように思えます。こんなことまで神がお認めになるとは以前には思いもしませんでした。」

「あら、神様に逆らう言葉のようにも聞こえるわね?」

「いえ、決してそういうことではありません。」

「でも、そのほうが頼もしいわ。」

「ん? ということは、私相手に悪だくみですか? やめてくださいね。」

「私が今やってる仕事は……、食堂のおばちゃんというのは仮の姿よ。本当の仕事は、二つあるの。一つはサイボーグ技師ね。これは優れた魔法使いじゃないと結局いい仕事ができないから、難しい仕事は私に回ってくるようになってるの。もう一つは、ここでは言えないわ。研究室に来て。」

 食堂を出て、少し行ったところに駐車場があった。そこからアシェラの車で十分ぐらい行ったところに彼女の研究室があった。中に入るとロボットのがらくたのようなものがそこらじゅうに散ら張っていた。

 机の上には義手らしきものが置かれていた。『旅人』がそれを見ているとアシェラが話しかけた。

「それは遺伝子にお札のような効果を付与することで魔法を目立たなくしたサイボーグ技術の見本。新発明なのよ。」

「魔法が目立たない必要はあるのでしょうか。」

「一つに魔法は嫌われているからね。それと、魔法がないと量産できないと思われてるより、魔法がなくても量産できると思われている物に実は魔法が必要というほうが、魔法を高く売り込めるのよ。」

「あくどい商売のように思います。」

 アシェラが話しを切り換えた。

「ところで、支配神達が魔力を貯めるために戦争を起こしているのはわかる?」

「そうなのですか。」

「彼らは古代神よ。人を犠牲にするのを何とも思ってないわ。でも唯一神の手前、戦争をよそおってるの。」

 アシェラが続ける。

「そこまでして造っているのが、『世界コンピュータ』よ。」

「何ですか、それは。」

「神は共有夢などに出資されて肉体をともなった新しい世界ができる。これまでは存在できるかあやふやな世界も出資の対象になってきた。しかし、世界コンピュータができてしまえば変わるわ。世界コンピュータで存在不可能と判定された世界には、もう神は出資されなくなってしまうの。」

「そうなのですか。でも、それはどちらかといえば、神……唯一神の利益となる話に聞こえます。」

「そうよ。しかし、神々は、世界コンピュータの中に彼らの世界を再現することを取引条件としているの。」

「それで皆、満足するのですか。」

「私はいやよ。魔法世界は総じて存在があやふやな世界なの。その火を消したくないのよ。だから、世界コンピュータができるのを邪魔する組織を作った。それが私の第二の仕事よ。」

「邪魔をする……というのはテロでも起こすつもりですか。」

「世界を平和にするのよ。そうすれば神々は犠牲をささげることができなくなる。」

「それは遠大な計画です。」

「平和が目的なの。神々の目的をくじくことでもあるわ。ねぇ、『旅人』さん、あなたも協力してもらえないかしら。」

 アシェラは『旅人』を見つめた。『旅人』は目をらさず答えた。

「残念ながら、そこまで積極的な介入は私の仕事ではありません。」

 アシェラは肩を落とした。

「そう、残念だわ。ギリギリまで粘ってみたつもりだけど、しかたないわね。」

 キーーーン。けたたましい音が鳴り響いた。

「研究所のサイレンが鳴ったわ。侵入者よ。私への審判の時が近付いたってわけね。」

「それは大変です。」

「さっきのお願いはなしにして、これが最後のお願いよ。もし私が殺されるようなら。私の霊をどこか別の世界にかくまって。」

 『旅人』はマイアが持っていた木彫りの像をそっとふところから出した。

「へぇ。あなたがそんなものを持っているなんてね。これは少しは信用できそうね。」

 五、六人の侵入者がやって来た。その人数を前にしては『旅人』は応戦できず、空間の枠をつかんで外に出た。

 侵入者がアシェラと話す。

「さっき何者かがいたようだが、どこに行った。」

「知らないわ。」

「シラを切るとためにならんぞ。」

「どこか見えないところに行ったのよ。」

「ふざけたことを。」

 バンッ。銃声が鳴り、アシェラの頭が打ち抜かれた。そのとき『旅人』はそっとアシェラの霊を木彫りの像に移した。


 『旅人』は霊の入った像を携えて世界の外に出た。そして、そこではアシェラの転生が不可能であることを確かめた上で、その像を燃やして灰にした。

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