第3節

 『旅人』は『棺』に手をかけて蓋を開けた。中には白装束の男が眠っていた。旅人がまぶたの上をでると男は目を醒ました。

 『旅人』が語りかける。

「こんにちは、パウエルさん。起きられますか。」

 パウエルは半身を起こして、周囲を見まわした。照明は足元で光っているらしいが、まわりは暗くてよく見えない。自分は黒い棺のようなところに入れられていたようだ。目の前の男以外は、他に誰もいない。

 パウエルが尋ねる。

「ここは一体どこですか。」

「パウエルさん。ご自分が一度死んだことは覚えてらっしゃいますか。」

 パウエルは何かまずいことに巻き込まれたような気になった。

「えっ、何ですって?」

「確かパウエルさんは、交通事故で亡くなったんでしたよね。肉体の記憶にはあまり残っていないかもしれませんが、霊的には覚えているはずです。」

「そんなことは心当たりもありません。」

「まぁ、しかたがありませんね。パウエルさんは生前、無神論者と公言してらしたから。」

 パウエルは自分が無神論者だと言っていたことを思い出した。そして、そのことを痛烈に悔いたことがあることも。あれはいつだったか、そうだあれは交通事故で死んですぐ……。

「あれ? どういうことだ。自分が死んだようなことを覚えているぞ。」

「ああ、やっと気付きましたか。こういう問答で、長い時間を過ごすこともあるのです。あなたが死んでから長い時間がたって、最後の審判になり、皆の肉体が復活したのです。」

「ええっ。そんなことまで可能だったんですか? じゃあ、私は復活した体なんですね。ここは天国? 地獄には見えないが……。」

 『旅人』はヒゲをでながら語る。

「そこのところは微妙なところなのです。復活した体か。答えはイエスです。でも、生きている肉体そのものではありません。天国か、地獄か。答えは地獄です。無神論者には地獄が待っていると聞いていたでしょう。でも、あなたは地獄なのにそれほど苦しんでない。実は、復活していたのに見捨てられたかのようにずっと眠り続けていた。そのことが、まさに地獄の罰なのですが、わかりかねるでしょう。特にあなたのように目が醒める機会に恵まれては。」

「ああ、そうなんですか。その口振りだと目が醒めたことに何か意味があるようですね。今から罰がはじまるということですか。」

「いえ、違います。あなたは無神論者であると公言しながら、本心では神に救いを祈ったことがありますね。」

「ああ、そうだったかもしれません。私は自分勝手なヤツでした。」

「そのことに善い報いをもたらそうという神の御意思です。」

「はぁ、では私はどうなるのでしょう。」

「一つ仕事をしてもらいます。人助けの仕事です。」

「別に、断わるのでもないのですが、断ったらどうなるのですか。」

「再び眠って頂きます。そして、この世界が終るまで目醒めることはないでしょう。」

「そうですか。人助けということなら、やってみたい気もします。」

「では、起き上がって付いてきてください。」

 パウエルは起き上がって、周りがよく見えるようになった。周りはただっ広い暗い空間に棺が規則正しく並べられていた。ここまで広い部屋だと、棺の数は数千はあるように思われる。

 パウエルが尋ねた。

「これは何ですか。ここはどこなんです。」

 『旅人』からは意外な答えが帰ってきた。

「ここは宇宙船の中です。宇宙船といってもある星全部が一つの宇宙船になっていて、この星はこのような部屋で無数に埋め尽くされています。一つ一つの『棺』は生命維持装置になっているはずでした。ただ、この宇宙船は神の創造の予定に入っていたものの結局使われず、今、こうして未完成のまま無神論者達のための地獄の施設として転用されています。」

「じゃあ、この棺一つ一つに人が眠っているのですか。」

「そういうことです。開けてのぞかないでくださいよ。彼らにもプライバシーがありますから。」

 死んでプライバシーが考慮されることに少しおかしみを感じながら、パウエルは『旅人』のあとを付いていった。何分か歩いたかのように感じたが、部屋の隅に来ると、目の前に自動式のドアがあった。

 『旅人』が語りかける。

「この扉の向こうで皆が待っています。数名でチームを組んで救助を行っていただきます。パウエルさんは、今回がはじめての参加ですが、他の方はそうではありません。いや、実のところを申しますと、他の方の数回前の記憶というのはある意味『捏造』で、このこころみ自体が今回がはじめての可能性もあります。しかし、たとえそうであっても『はじめてでない』ということに嘘はありません。嘘ではないようになっています。」

「はぁ、なんだかわからないのですが、私はとにかく経験者にまじって何かをするのですね。」

「そうです。素直な方は好きですよ。」

 『旅人』は自動扉の前に立った。扉が開いた。


 扉の中ではさっきまでの光景とは一変して明るく白い部屋で、意味不明な機械のパネルがいくつもあった。中央のところに何か大きな装置があって、三人がそれを囲んでまばらに立っていた。三人のうちの一人は、『旅人』と似た格好をし、他の二人は、パウエルと同じ白装束だった。

「真ん中にあるのが、立体映像装置です。あそこにとある自殺者の映像が映りますから、それに呼びかけて救いに導いて欲しいのです。」

「自殺を止めればいいのですね。」

「いえ、それはもう不可能な情勢です。むしろ、信仰に導いて死後の安らぎを得させてください。さぁ、映りますよ。」

 部屋が暗くなるとともに、中央の装置にビルから落下している人が、スローモーションのように映った。さらに周りを見ると三人しかいなかった影が、十数人に増えている。

 『旅人』が説明する。

「お気付きのようにこの十数人が参加者の人数です。この装置は他の場所にある同様の装置とつながり、他の場所の救助人の立体映像も表示されています。先にここにいた三人の他に彼らと共同して救助にあたります。やり方は他の人を見てください。習うより慣れろです。」

 他の人は口々に自殺者に声をかけはじめた。ひたすら死ぬなと声をかける人、救いがあることを説く人、自分の失敗を語る人、いろいろだった。

 パウエルは『旅人』に尋ねる。

「こんなにいろいろ言って自殺者には届いているのですか。」

「彼の目に耳に、この立体映像のようにはっきりとした我々の姿は届いていません。でも、心に霊として通じることができます。より深い地獄に落ちることのないよう、心を尽くして言葉をかけてください。」

 パウエルはひるんだ。どう言葉をかけていいか最初わからなかった。だから、とにかく一人よがりかもしれないが、自分が今、救助に向かうことになったその驚きを表現しようとした。

「私は神をいないものとして死んでしまった。今、よみがえってみてそれを後悔している。こんなふうになるとは思ってもみなかった。君には、助かるというチャンスがあるらしい。どうなるのかはわからないが、できれば改心するべきだ。」

 そうして声をかけていると、自殺者の体が白く輝きはじめた。

 『旅人』がパウエルに声をかけた。

「白く輝いているのが見えるでしょう。あの方は救われたようです。最後まで声をかけ続ける必要はありません。最後のひどい光景が映りますから目をそむけていてください。」

 パウエルはそのまま見つめ続けた。ドンと音が鳴って肉体がおかしなふうに曲がったところで、パウエルは目をそむけた。『旅人』を含めて何人かが前に出て、自殺者をおおった。「たぶん、大丈夫ですよ」という声に、パウエルが、おそるおそるそこを見ると、モザイクがかけられていた。

 『旅人』が顔をそむけがちなパウエルに語る。

「はじめてで状況がよくわかっていない中、なかなかがんばりましたね。彼はより深い地獄に行かずに済みました。神もお喜びになっています。あ、どうしました?」

 『旅人』が声をかけたのはパウエルとは別の方向へだった。


 終りの場面のあと、向かい側でずっとうつむいていた男が突然立ち上がった。

「もういやだ! こんなことをして何になるんだ。」

 そういって、彼の後ろの自動扉から飛び出して行ってしまった。

 『旅人』は手早く、立体映像を消しながら、向こう側の別の『旅人』に語りかけた。

「早く追いかけてください。パウエルさん、そしてそこの方、ここに残して行くわけにはいかないんで一緒に付いて来てください。」

 部屋を出ると、さっき走り出した男が『棺』を開け、そこの中の人の首をしめようとしているのが見えた。

「早く止めないと!」

 もう一人の『旅人』が男を羽交はがい絞めにしたところ、『旅人』が首をしめられた人の様子を確かめた上で、『棺』の蓋を元に戻した。

 『旅人』が男に問い詰めた。

「どうしてこんなことをしようとしたんですか?」

「いくら自殺者に呼びかけたってあんなものは映像に過ぎない。救ったことにはならないんだ。」

「そんなことはありません。」

「それに比べて、ここには、棺の中には、肉体がある。それを救ってやったほうが何倍もいい。ここは死後の世界だ。だから、ここで殺してやれば他の世界に行ける。こんな陰鬱なところで過ごすより、どこか違うところにやってやったほうがいいんだ。」

「確かにここは死後の世界、しかも、地獄ですが、ここで死んだ霊は本人のとがでもないのにより深い地獄に落ちることになります。あなたがやろうとしたことはやはり人殺しの罪なのです。」

「もう死んでる者に、殺すも何もあるか……。」

 男がうなだれて抵抗する力を緩めたところで、『旅人』はまぶたの上に手を置いて眠りにつかせた。男の体をゆっくり横たえる。

 『旅人』がもう一人の『旅人』に言う。

「彼は長くこの仕事をやっていた。彼は徐々に自殺者に影響されたのかもしれませんね……。とにかく、彼はあとで運びましょう。今はとりあえず残りの方を元の場所まで送り届けましょう。」

 『旅人』はパウエルに立体映像装置のある部屋に戻るように促した。

 パウエルは『旅人』に尋ねた。

「こんなことはよくあることでは……。」

「もちろん、ありません。異常事態です。驚かれたでしょう。我々も驚きました。」

 『旅人』はその部屋の別の出口を開けて、そこから出るように促した。パウエルは指示に従い、『棺』だらけの部屋に出た。

「あの方はどうなるのですか。」

「今回のことは、無知や錯誤が引き起こした罪です。慈悲のある対応がなされることでしょう。落ち着くようであれば、今後もこの仕事を続けるかもしれません。ただ、おそらくは別の場所に行くことになるでしょう。」

「『より深い地獄』ですか?」

「いえ、私には正しい裁きはできませんが、だいたい同じくらいの深さのところでしょう。」

「気になっているのですが、『より深い地獄』とは何ですか?」

「よりむごい、より苦しい地獄というのとは少し違います。そこは天国の光がより届きにくいところなのです。太陽の光が届きにくいところでは作物が育ちにくいものですが、同じように救いから遠ざけれるのです。まぁ、しかし、詳しいことは神のみぞ知るという領域のことがらですね。」

 パウエルは、元の『棺』に着き、横たわった。『旅人』が蓋を閉めながら語りかける。

「これから今回のような仕事を続けていただきます。あの男のように虚しくなっておかしな考えにとらわれることもあるかもしれません。そのときは我々に言ってください。何か策を講じることができるはずです。」

「今日の体験は最初から最後まで驚くことづくめでした。」

「次回はもっと落ち着いて対応ができると思います。そのときにはもっと質問をしていただいて答えることもできるでしょう。今回その時間がなくなったことをお詫びします。」

「質問ですか。眠っているうちに考え出したりできるのかな。」

「難しい質問ですが、次回、目が醒めたときには今よりも活発な会話ができるでしょう。」

「それでは、何と言ったらいいのかな……今回はお伴していただいてありがとうございました。」

「いえ、こちらこそあなたにお伴できてよかったです。それでは、おやすみなさい。」

「おやすみなさい。」

 『棺』の蓋が閉じられると真っ暗になった。パウエルはさほど疲れていたわけでもなかったが、すぐに深い眠りに落ちた。

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