事態への対処が一段落したとき、当然ながら、軍首脳陣は責任の所在を明らかにする必要にせまられた。当然その筆頭候補はヴァルバレイス号の所属する(していた)第六艦隊司令部と、現場で指揮権限を有していたヴァルバレイス号所属の士官であった。


 しかし、ヴァルバレイス号の艦内および艦外への通信記録を解析した結果、異常事態に対する生物科学班の対応について、きわめて不穏当な行動、もしくは不行動があきらかになった。彼らは非常な事象の発生を艦橋に報告して協力を仰ぐことをせず、みずからの手で事態を処理しようとはかったのである。



 生物科学部門は、どちらかというと軍事行動的要素が薄い部署でありながら、エリート部門として成長したため、実戦部門との関係はお世辞にも良好とはいいがたかった。実戦部門の国の権益を防衛しているという自負と、生物科学部門のエリート意識がともにべつ感情を生み、その好まれるべからざる感情は、生物科学部門の成長とそれにともなう待遇の上昇が養分となって、両部門の大半の将兵の心中に、順調に繁茂していったのである。


 ヴァルバレイス号における生物化学実験を指揮統率したリック・パーラ・テンドゥッチ生物科学少佐にも、そういった認識があったにちがいない。彼は決して無能ではなかった。無能な人間が、生物科学部門の少佐にまで地位を高められるほど、同部門の人事査定は甘くないのである。だが、ヴァルバレイス号の乗員にとってはまことに不運なことに、彼は生物科学部門の人間であることに過大な自尊心を有しており、生物化学実験に実戦部門、今回の事件でいえばヴァルバレイス号艦橋司令部が介入することをよしとしなかった。ゆえに、事態の前兆となる異変に気がついたときも、艦橋にいっさいの報告をしなかった。そして、事態が制御不能な状態にあると彼が気付いたときには、すでに手遅れであったのである。


 宇宙艦隊における生物化学実験は生物科学部門のしょうかんするところであり、実験を統率する指揮官から要請を受けるか、緊急の必要性がない限り、実戦部門は介入できないことになっている。この取り決め自体は、生物科学部門の独立性を担保するために有益であったが、このときはヴァルバレイス号艦橋が問題を把握する機会を奪うことになった。制御を失って実験室からおどり出した猛獣がまっさきに艦橋に向かった不運もかさなって、ヴァルバレイス号実戦部隊は組織的な行動ができず、結果的に戦力を分散したままの戦闘を余儀なくされてしまった。


 これが、艦首脳部がすみやかに事態を把握し、環境の指揮のもと統率のとれた対応をすることがかなえば、破局的結末は回避しえた可能性が高い、というのが、ヴァルバレイス号事件調査委員会の結論であった。もっとも、これは迅速に処分を決定するための第一次報告であるから、今後さらに調査がすすんでいけば、またちがった解がみちびきだされるかもしれない。



 アイリィ・アーヴィッド・アーライルは、ときおりぜんとした表情をまじえながら、上官の説明を黙々と聞いていた。このとき、彼女は司令官ちゆうじようの語る内容が未発表のものであって、一大尉に過ぎない身分の者に明かしてよい情報ではないことに気付いていない。美形の提督があまりにも自然かつよどみない口調で話すので、高い水準の感知能力が活動を抑制されているようである。もっとも、この場面に援用したところでたいして意味のない規則を、無意識のうちに排除している側面もあるだろう。無論、語るほうはそれらすべてを承知の上で、情報の共有をはかっている。


「生物科学部長クレート・ラザレ・ガブリエルたいじようと、軍令本部副部長アンドレアス・オルセン・グッテンベルク大将が半年間の謹慎、それに続く一年間の停給処分。ほかの生物科学部門に関わりの深い将官も、何名か処分される見通しね」


 生物科学部長ガブリエル大将は、その役職がうたうとおり生物化学部門のトップである。部門長として大量の決裁をこなしながら、また現役の科学者として現場にも臨場する、部門長の地位にある者としてはめずらしい人物であった。ただ、その科学者としての誇りゆえか生物化学部門の独立性に過敏にこだわっており、宇宙艦隊内の非常時における指揮系統の規則にも口うるさく注文をつけたといわれ、実戦部門の人間、特に上層部にとっては、きゆうてきとはいわないまでも決して好まれる人物ではなかったようである。


 部門のトップの地位にある人間として彼が事故の責任を負うのは当然のことではあったが、彼に反感を持つ人間が、今回の事態をとして不愉快な障害物を排除しようと積極的に活動した一面があったことは否めない。もっとも、生物科学部門内での部門長の評判は悪くなく、処分を残念がる声も多かった。


 いまひとりの被処分者である軍令本部副部長グッテンベルク大将はいわゆる軍官僚で、戦場をはじめ一切の現場に出ることなく、デスクワークのみで大将まで上りつめた人物である。エリート部門たる生物科学部門でなくとも無能な人間を大将に任命するほど政府軍というのは愚かな組織ではないから、彼が人事、物資、情報といった、戦敵ではなく資料と格闘する分野で相応の功績をあげてきたことは疑いえないのだが、彼はそれ以上に、大多数の人間にとって好意的にはとらえにくい類の政治力にすぐれていた。彼は、相手によって有効となる贈品や接待をたくみに使い分けて自身の立場を強化し、ときには昇進や地位をめぐる競争相手を巧妙な謀略によって蹴落とすことで人生曲線の上昇をえがいてきた人物であり、その手腕は、政府軍内において追随しうる者はいないほどであったのである。


 そして、実情を知る者からは皮肉の成分をこめて〝権力の芸術家〟と称されるグッテンベルクがさらなる高みをもとめて利用したのが、当時未開惑星開発に関する功績を根拠に権勢拡大をはかっていた生物科学部門であった。軍令本部のさんとして各部門の権限配分に一定の影響力を行使しうる立場にあったグッテンベルクは、近い将来に未開惑星開発の分野において生物科学部門の重要性が増大することを見越して同部門に接近し、権限の拡大に便宜を図ったのである。このこと自体は特に問題視される行為ではなかったが、結果的に過剰な権限を与えたことが今回の事件によってけんしてしまい、権力の芸術家が胸の内に秘めていた(見る者によっては露骨な)さらなる高位への野心は、その実現までの道程に大きな後退を余儀なくされたのだった。



に落ちない、という顔ね」


 二名の被処分者の名を挙げて、八階級下の――まもなく六階級にその距離は縮まるのだが――部下の表情に戸惑いの色を見出したので、美形の上官は詳細な説明を追って加えたのだが、今度は違う種類の困惑を上官は看取することになった。年少の客人がいだいた疑念は、茶髪の提督が処分の内容を事前に知らされて感じたものと、異なるところはなかった。


「半年間の謹慎に一年間の無給というのは確かに厳しい処分ですが…」


 おそらく話題にするのが難しい事情が背景にあるのだろう、ということをアイリィは察したが、あえて率直に感じるところを述べることにした。自分の話す番を終え、冷めかけた紅茶をすすっている茶髪の提督の好意に甘えた部分もあるが、当の上官がそれを求めているように思われたからである。


「正直な感想をいえば、あれだけの事象を発生させておいて退役処分を受ける者がないというのは、違和感がありますね」


 部下の感想を聞いて、ティーカップを空にした艦隊司令官はうなずいた。


「そうね」


 短い返答に、懸念の旋律を小柄な客人は感じとった。


「これは、ここだけの話だけれど」


 部屋の主人は声を低くしていった。


「どうも、あまり好ましくない政治力の存在を感じざるを得ないわね」


 なるほど、とアイリィは心の中で了解した。政治力を駆使して現在の地位を築いたグッテンベルク大将に、利害を持つ者は数多く存在する。ガブリエル大将はグッテンベルクが地位の強化に利用した生物科学部門の長であり、当然太いパイプでつながっているであろうから、ガブリエル大将が軍を去ることはグッテンベルクにとって不都合である。


 グッテンベルクは現在に至るまでに獲得してきた協力者――グッテンベルクがもたらす利益にすがる寄生虫といっても過言ではないかもしれないが――を利用して、自身とガブリエル大将が退役処分を受けることを回避したのではないだろうか。無論、その対流として、多額の金銭や膨大な利権が、複数の人間の間を地をたいじやのごとく移動したことは間違いない。推測ではあるが、おそらく事実に限りなく近いだろう。地位や権力というものは、ある種の人間にとっては至高の価値をもつようで、そのような人間は、みずからの殊宝を守るために、ごく一般的な価値観を持つ者からは白眼視されるような手段を平気でもちいるのである。


 アイリィ・アーヴィッド・アーライルは、その推論を言葉に乗せてれきすることはしなかった。口に出すのがはばかられる内容であるし、おそらく上官も具体的事実を把握しているわけではないだろうから、何か問うたところで返答に困るだけだと思ったからである。


 すこしの間沈黙が続いたが、彼女の上官は部下が事情を察しえたことを看取して、話を続けた。


「おそらく、軍は事故原因の第一責任者であるテンドゥッチ生物科学少佐の非を最大限に強調して、処分の正当性をその裏側に主張するでしょうね」


 アイリィはさすがに良い顔はできなかった。


「死者にむち打つ、ですか…」

「死人に口なし、というからね」


 両者はそれぞれことなった表現で、心情を同じくしたことを確認した。無論、テンドゥッチ少佐に責任がないとは、ふたりとも思ってはいない。彼の判断の誤りによって生じた結果はあまりにも重大であり、じゆんしたとはいえ、彼の罪科を正当な尺度によって評価することは必要なことである。しかし、権力の芸術家が彼を道具とすることへの嫌悪感もあって、死者に対して同情する気分が意識せずとも生じ、茶髪の提督と小柄な客人は、その感情を自然なものとして受け入れていた。


 ふたたび幾ばくかの静寂が生じた。こんどは客人のがわが沈黙を破った。


「まあ、その点については、我々としては結果を受け入れるしかないのではありませんか、提督」


 部屋の主人たる艦隊司令官は、部下がさりげなく忍ばせた協調の意思をろうなくとらえた。


「そう、その点についてはね。もっとも、他の点に目を向けたところで、何か動くべきことは現段階ではないでしょうけど」


 そういって茶髪の提督は話題を〝他の点〟に転じた。

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