小さな国のお姫様と、大きな国の騎士
冬石
前編
海風の吹く小さな国。王は優しく、小さかったが平和な国だった。この国の王には7人の娘がおり、末娘以外はみな他国へ嫁いだ。小さな国を守るための政略結婚であったが娘たちは一言も不平を口にする事なく、笑顔で父へ別れの挨拶をした。祝いの席が終わると決まって王は、すまない幸せになっておくれと泣いた。
やがて残ったひとり姫は十六歳になり、美しく育った。姫の名はフィノア。華やかさを称えられることの多いフィノアだったが、今は目を伏せ静寂の中、窓際にたたずんでいた。机の上には白い封筒が一つ置かれていた。差出人名は無かったがフィノアには誰から届いたものかわかっていた。
ふと窓の外に顔を上げると数羽の小鳥の影が過ぎ去る。城内の静かさが心を侵食していくようだった。
数ヶ月前。その夜、きらびやかな舞踏会の中央にフィノアはいなかった。数日前に正式に婚約を結んだ。フィノアは姫としては最期の舞踏会を楽しむ気にはなれないでいた。何人もの顔見知りである他国の姫や王子が誘ってはくれたが足は重く、笑う自信もフィノアにはなかった。めでたくフィアンセとなった王子は幸いにもいなかたっため、情けない顔を見せずにすんだ。王子はきっと他の女性の所にいるのだろう。お互い望んだ結婚ではない。
他の好きな人がいようとかまわなかった。どこに行くにもついてくる次女や召使たち、豪華な食事、綺麗なドレス、大きすぎる宝石のついた指輪。つめたく冷え切った城内の雰囲気に飲み込まれ、孤独を感じる。
幸せになどなれるはずがなかった。その場にうずくまって泣きたい衝動を抑え、下唇を強く噛む。
「踊ってはいただけませんか」
かけられた言葉に一瞬体がすくんだ。
声の主が誰であるのか顔を上げずともわかった。
優しい声なのに鼓膜を震わせ心をかき乱す。返す言葉は一つしかなかった。腹から返事を搾り出し答えた。
「もうしわけありません」
そう、最初からこうなると知っていたならば、想い人などつくらなかった。毎晩彼の生死を神に祈りなどしなかったのに・・・・・・。断りの返事を返しても青年はフィノアの前から立ち去ろうとはしなかった。
黙りこみそこから離れない。青年の名はティーダ、フィノアの三番目の姉が嫁いだ国に仕える側近の一人であった。若いながらにして戦争で名を挙げ、いくつもの勲章を授与されていた。いずれは王の信頼を置く騎士となり国を動かしていくこととなるであろう立場にいた。誠実さと利発さを兼ね備えた理想的な青年であった。
そっとティーダに手を取られフィノアが手を引くまえに握り締める。剣を持つことに長けた硬い手だった。この長く無骨な指先に頬を撫でられるたびに胸を焦がしたのだ。思い出してはならない、こんな想いはもう捨てなければならなものだった。フィノアは胸が痛くてたまらなかった。しかし指先から暖かさが伝わって甘い感覚が全身にしみこむ。
「あなたをお慕いしております、今も」
低く甘い声で優しく告げられる言葉。その全てがフィノアの心には毒薬だった。いっそのことその言葉を受け入れてしまえたのならば・・・・・・。ここからふたり一緒に、どこか遠い国まで逃げてしまえれば、そう思うたびに父や姉、民の顔を思い出しそんなバカなこと出来はしないと首を振った。自分ひとりのことでないのだ。結婚しなければならない。フィノアは、それが自分に決められた運命だと必死に思い込んだ。
「もうしわけありません・・・・・・」
顔をうつむけただそう答えることがフィノアの精一杯だった。声が震えているのは、きっと気のせいだと指をきつく握り締めた。早く、早くどこかへいって欲しい。視界に入らない場所へ行ってくれれば、この胸の痛みも少しは収まるだろう。あの目に見つめられているかと思うとそれだけで目元が熱くなる。
「必ずあなたをお迎えにあがります、どうか・・・・・・」
口にしてはだめ、と首を振り青年の手のひらをすりぬける。彼の考えていることは禁忌に近かった。
逃げるように王子の横を早足で通り抜けた。その時の王子が小さな声で何かを言ったが、フィノアは耳鳴りのせいだと自分を誤魔化した。
フィノアは庭園まで出てから最期に顔を見ておけばよかったと後悔をしたがきっとそうしていたならば、泣いてしまっただろうと弱い自分を笑った。
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