第46話 俺以外の地上のすべてのものが異世界に召喚されたのでこの世界では俺が最強
『補足。これは勇者様はお気づきかどうか分かりませんが、
俺のツッコミを聞き流す素振りさえ見せることなく、ミミルは続けて言った。
光明を湛えた教室で、能動的に輝きを発していないのは俺と彼女だけだった。
「えっ。ええと、それは、どういう……?」
『補足。勇者様が自身で経験してきたと信じている過去の認識は、この仮想世界のなかでは遡行的に改竄され得るのです。……訂正。すでに改竄されつつあるのです』
「ええっ……!? って、ええぇっ!?」
俺の動揺に対しミミルは眉ひとつ動かさない。
しかし彼女のその顔は見方によっては自ら言い放った言葉に無自覚なままきょとんとしているかのようにも見え、ある意味でこれは最強の天然キャラとも言えるのではあるまいか――いや、それはさすがに穿ち過ぎか。
『確認。この物語の始まりにおいて、勇者様の発言につぎのようにありました――』
【 これから話すのは俺の前世の記憶。 】
【 そして、俺が世界でひとりぼっちになるまでの物語だ。 】
かつての俺の言葉がメッセージとなって脳内に再生される。
自分自身の台詞をじかに聞かされるというのはなんとも奇妙な気分だった。
「ああ、うん……。それは確かに俺の発言だけども、さ……」
前世の記憶に目覚めてから先ほどミミルにふたたび声をかけられるまでのひとときの間、俺は今朝の大量転生に至る冒険の日々を回想していた。
たった三日間にも満たない、それどころかろくに戦ってすらいないあの時間が真に冒険の日々と呼べるかどうかは異論があるかもしれないが……。少なくとも俺にとっては文字どおり世界が変わるほどの出来事であったのだ。
その記憶が改竄されたものだと、ミミルは言う。
『確認。転生プログラム起動の際に勇者様は感じたはずです。自己の意識が仮想世界と混ざり合い、自他の境界が不鮮明になっていく過程を』
「それは、その……」
今朝までの魔法のない高校生活が仮想世界であることを思い出したとき、実のところ俺はそれほどの困惑を感じてはいなかった。むしろ嗚呼やっと戻って来たなという、久しぶりの帰郷にも似た心象を抱いていた。
だがその安息も、そういう物語に都合の好い設定でしかなかったとしたら?
そうだ。元来の『魔界計画』は〝世界を書き換える魔術〟。改竄こそがその本質なのだ。しかも今回はそれが不完全な状態で実行された。
〝
俺は唯一立っていた拠り処が急速に瓦解していくのを感じた。
宇宙空間に放り出されたときだって、こんなに心細くはなかった。
こんな俺の当惑を、不信を、ミミルはどのように受け止めているのだろうか。
「で、でもだってさ、俺がここにいるのは勇者として送り込まれたからだろう? あの世界で起こった戦争が偽物だったとは思えないし……。あっ、ほら! 〝楔〟になってすぐの頃、まだ転生を始めて間もなかった初期の世界のこと! 俺が経てきた成功に失敗…………あれだっていまも順を追って思い出せるし……」
『肯定。それは事実です。記録されたエピソードに欠落や改変はありません』
「そ、そうか……」
俺は少しの安堵を覚える。
思い返してみるに、最初の頃は大変だった。
仮想世界へ召喚されたばかりの魂の大半は未だ呪いに汚染されていた。
プログラムに従い魂は新たな登場人物として現出せられたが、そこは憎悪や恐怖が剥き出しの世界だった。
あの頃はまだ俺のなかのイメージとプログラムの同期が未熟で、俺の意識は転生前の世界と地続きにあった。ミミルの破壊的な爆裂ショック療法を受けるまでもなく、俺は勇者の自覚を保っていたのだ。
しかしその代わりに、世界の像はずっと混沌としていた。
俺が呪われた魔法世界の印象を払拭し切れていないこともあって、不浄と清浄のイメージがつかず離れずの距離でせめぎ合っていた。当然、浄化に都合の悪いイメージを修正し終えないままに世界は崩壊した。それを何度か繰り返した。
失敗と修正を繰り返して繰り返して繰り返して――やっとのことで平穏な世界を描けるようになったとき、俺は元いた世界のことをすぐには思い出せなくなっていた。
俺の世界に対する認識は、魔法世界にあった記憶ではなく、どちらかといえば異世界の被召喚勇者候補たちの記憶を基にしたものに成り代わっていたのだ。
それが世界を浄化へと向かわせるのに都合が好い設定だと、プログラムは判断したのだった――。
いや、それも違うな。
いい加減もう誤魔化すのはよそう。
あれは紛れもない俺が決めた選択だった。
戦争も魔王もない人生を渇望した、俺の選択だった。
勇者として戦えと要請するあの世界から逃れたい一心にあった、俺の選択だった。
世界を救う力もなければ事態を好転させる運気もない、俺の選択だった。
俺以外のすべてのひとたちの幸せを願った、俺自身の選択だった――。
世界を救うのに都合が悪いのは、俺のなかの卑屈で他人事主義な勇者としての自意識そのものだと、試行錯誤を繰り返すうちに俺が自分で判断したのだ。
「…………ああそうか。なら改竄されたのは過去の出来事なんかじゃなくて――」
それを捉える俺の認識のほう、か。
『肯定。現在の勇者様の意識は、世界を俯瞰する際に前提となる知識の大部分を異世界のそれと置換されています』
ハハルル博士は〝楔〟のことを物語の主人公に喩えた。
それに倣うならば、改竄されたのは叙述、小説でいうところの地の文だったのだ。
物語の骨子となるプロットはそのままに、それを物語として書き出す主人公の常識が別人のものに置き換えられていたのだ。
さらにメタい言及を続けると、俺はさながら〝信頼できない語り手〟のひとりであったと言えるのかもしれない。
「……ありがとうミミル、俺、やっと本当のことを思い出したよ」
『了承。それは何よりです、勇者様』
答えるミミルは場面に似つかわしくなく無表情である。
俺はあらためて自分がたどってきた回想を振り返る。
よくよく考えるとおかしな点ばかりだ。会話とかもところどころ違っているような気がするし……。
俺があの世界でもオタクをこじらせていたのは事実だが、あそこまで現実をフィクショナルに見てはいなかった。それ以前に、話し下手の俺にそんな思考をめぐらせている余裕はなかった。
とくに出会ったばかりのヨーリを即座に優等生キャラに類型していたり、妙に学園青春ラブコメのお決まりに自覚的だったり、フラグフラグと連呼したり、ラルリェンロールをゴスロリ幼女と呼んでいたり、セーミャの変身を流行りのアニメやスマホゲームにたとえていたり……。なんだよ、レアリティSSRって。
ああ、いや、学園青春ラブコメ自体は元の世界にもあったかな……? ホーリーハック魔導魔術学院で勇者同士のトーナメント戦が実施されていたというあたりの話もあやしいが、どうも記憶が定かではない。
あと、どうやら元の世界にいたときは俺が知り得なかった情報も知らない間に追加されているようだった。これは俺の意向ではなくおそらくプログラムを組んだハハルル博士かリーズンの仕業だな……。
直接は目にしていないはずの中央教会での出来事や遠目にはっきりとは分からなかった連邦式魔力召喚装置の雄姿を、俺は脳裡に如実に再現することができた。
まあいずれにせよ、いまとなっては確かめようも思い返しようもないが。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
呪われた世界を救うただひとつの方法、『転生プログラム』。その術式発動の条件である〝楔〟に選ばれたのが、よりにもよって『最弱』にして『最後』の勇者の俺。
最初は渋った。
俺にそんなことできるわけがない、と。
それでもそれが、魔王を封印しながらも結果的に世界を救うことのできなかった俺に残された、せめてもの勇者らしい最後の使命だと思ったのもまた本心だった。
しばしの逡巡を経たのち、無理強いはしないがと断りを入れるハハルル博士の前で俺はその役目を受け入れた。
術の行使に必要な魔力は世界に満ち満ちた呪いのエネルギーを変換して補った。魔国軍の有する魔力供給炉が神聖帝国側の技術を遥かに凌ぐ優れたものであったことも幸いした。
人類を苦境に追いやった魔王城のシステムが最終的に世界を救う一縷の希望となってしまったのであるから皮肉な話だ。
『報告。ただいまこの世界に保存されていた全魂魄の転生完了を確認しました。それに伴いまして、当プログラムのサポートは間もなく終了します』
「えっ」
『報告。更新を確認。バックアップデータをリセットします。……承認。リテイク01を削除しました。……承認。リテイク02を削除しました。……』
「え、えっ。ちょっとまって」
『警告。なお、当プログラムはサポート期間が終了次第、自動的に爆発します。ご了承ください』
「ええっ!? ばくはつって……!!」
ここに来てまさかの爆発オチか!?
爆発ネタはさんざんやったからもういいんだよ!!!!
『警告。自動消去プログラムを起動。爆発まであと、十秒……七秒……五秒……』
「あ、え、だから待ってって!!」
『承認。自動プログラムを一時強制中断。……なんでしょう、勇者様』
って、待てるんかい。
「……ちょっと確認しておきたいんだけどさ」
『了承。当方の可能な範囲でお答えします』
……ふう。
俺は少し胸のうちを落ち着けて問いかける。
「この転生プログラムってさ、確か元いた世界ですでに死んでしまっているひとの魂は反映されないんだよな?」
『肯定。今回の転生プログラムにおいてはプログラム起動時点で生きている状態にある全生命の魂が対象となっています。それより以前に死亡している魂についてはその限りではありません』
「ああうん。でもその、通り過ぎてきた仮想世界のいくつかのなかでさ、何人か故人の姿を見たような覚えがあるんだけど……」
失われてしまった魂の持ち主が生前のように生き生きと動いていたあの光景。
それともあれも遡って改竄された認識によるものなのだろうか?
『回答。その件につきましては、この世界はあくまで勇者様に〝都合の好いように設定された〟世界ですので』
「ううん……、よく分からないな。ご都合主義が適用されてるってことか?」
『例示。たとえば、チャン・エイト・ウッドソン。該当人物はあちらの世界では死亡が確定していました。彼のような人物が仮想世界内に認められる理由は、プログラムによる世界像補正機能が働いた結果であると説明できます』
「世界像補正機能……?」
『補足。世界像補正機能は、旧『魔界計画』において改変後の世界のメンテナンスとして作用する予定であった部分が応用されたものです。世界の運用に不都合が生じた場合、プログラムが自動で必要となる設定を補う機能です』
なるほど……?
さすが大天才ハハルル博士の仕事、無駄がない。
『補足。今回の場合、勇者様が思い描く物語の登場人物として必要性と具体性の高い人物の魂が失われていたため、記録をもとにそれらしい人物像が生成されました』
「それらしい人物像……」
『補足。あえて彼の異世界の記憶に則して説明するならば、プレイヤーキャラクターのなかに置かれたNPC、名前のあるモブ、とでも言えましょうか』
名前のあるモブ。その説明でしっくりきてしまう自分が悔しい。
元の魔法世界では理解し得なかった用語の使い方だ。
「つまりなんだ……。仮想世界で出会ったウッドソン部隊長は外見的にそれらしく見えていただけで、本人の意志はなかったってことか……」
それは俺にはあまりに哀切極まりない事実だった。
だが、それを必要としたのも俺の弱さゆえだ。誰も責められるべきではない。
「じゃあ、ヨーリから話に聞いていただけのシロリーが同級生として出てきたのもそのせいか……」
『検索。…………該当一件、シロリー・カーノック。該当人物は転生体として現出しています。該当人物の死亡は確認されていません』
「なんだって!?」
シロリーが生きている……!?
ヨーリの話だとてっきり死んでいるもんだとばかり思っていたけど……。
「えっと、シロリーの安否がどうなってるかとかって確認できたり、する?」
『了承。勇者様がご希望とあれば』
「……頼む」
『検索。魔王城の過去のデータベースを照会します。検索。…………該当情報十四件。絞り込みます。……完了しました。情報を抽出、読み込み。……』
そうしてミミルはロボットらしくその瞳をちかちかと明滅させていたが、幾許もなくして口を開いた。
『要約。第四十番勇者シロリー・カーノックは、中央教会暦一八七二年七月九日の北方山脈におけるドラゴン遠征部隊との戦闘を最後に消息が途絶えています。魔国軍将校の戦闘記録中にその名前が確認できますが、その後の生死については不明です』
「でも、この世界に転生してきたってことは……」
『推測。おそらくは何らかのかたちで生存している可能性が高いでしょう』
ああ、それを聞いてなんだか安心した。
正直、ヨーリをあの場に残してきてしまったことはずっと心残りだった。
身近な存在となっていた勇者を二人も相次いで失い、彼女のメンタルにまったく影響がないとは思えない。呪いが無事に解除されたとしても、勇者とかかわった過去は彼女の人生に暗い影を落としかねないのでは――そう案じざるを得なかった。
だけど、シロリーが生きているなら話は別だ。まだ見ぬ少女、シロリー・カーノック。ヨーリが憧れた魔女の親友。気丈で評判の魔女っ子勇者のことである。戦争が終結すれば、いずれ必ず帝都に帰ってくる。親友の帰還はヨーリの心を優しく癒してくれることだろう。
そう、俺がいなくても世界はきっと大丈夫だ。
すべては、それでいい。
『…………勇者様』
「な、なんだよ」
穏やかな心境になっていた俺をミミルが機械的な声で呼びかける。
『程なくして世界の浄化は完了します。これで世界は救われることでしょう。本当におつかれさまでした』
「え、ああ」
『どんなときも世界を疑い、多少の力を持たされても全能感に酔いしれないのが勇者様のよいところです。どうか、その気持ちをいつまでも忘れず』
「………………っ」
不意に褒められて俺は狼狽を隠せない。
『ふふっ。まあ、それでも無力感に苛まれてすぐどうしようもなくなってしまうのがあなたですけどね』
「余計なお世話だ。っていうかミミルお前、その話し方——」
『警告。自動消去プログラムを再起動します』
「あっ……」
『爆発まであと……ヨン、サン、ニ——』
「…………くっ」
ぱちんっ。
風船が弾けるような音を立ててミミルは消滅した。
それはじつに一瞬のことだった。
あとには彼女の痕跡は何も残ってはいなかった。
「……なんだ。ギャグみたいな音させなくてもできるんじゃないか、爆発」
そもそもミミルは魔導プログラムが生み出した仮想存在だ。彼女がこの世界に干渉するのにいちいち物理的なアクションは不要のはずだった。クラスメイトの少女の姿を取っていたのだって、俺がイメージする世界観に合わせた結果だったのだろう。
登場のたびに派手に爆発したり火薬のにおいがしていたのも、俺の記憶を呼び起こすための演出でしかなかったに相違なかった。
教室には俺を除いてなにものもいなくなっていた。それは生徒や教師の姿だけではない、残された机やその上のノート、筆記用具、鞄等々までもが順に消えていっていたのである。
転生プログラムに施された魔術は魂に内在するイメージの力に働きかける。対象の人物のみならず、仮想世界でその魂の持ち主とゆかりが深かったり必要とされていた物、その人物の近くにあった物として現れていた諸々を順番に呼び出し、転生先で元の人物の持つ記憶のなかのイメージへと再構築する。そういうふうな仕組みになっている。そうなるように組まれた術式なのだ。
椅子や机、黒板までもが消え、ついには教室、やがては学校全体が異世界の光に覆われていった。
ミミルはさっきすべての魂の転生が完了したと言っていた。
仮想世界全部がこの場所と同じように消滅していくのも時間の問題だろう。
俺は教室から窓の外を眺める。幾度となくリテイクを繰り返した世界で、毎日のように見てきた景色だ。それはいつかの俺が思い焦がれた、高台から見下ろす平穏な日常の風景でもあった。
眼下の街からは白く柔かな光芒が無数に上がっていて、それらは地平線の彼方まで続いていた。あらゆるものが上空の召喚陣へと吸い込まれていく。
俺が何度も失敗を重ねてようやくしっかりとイメージできるようになった
気づくと俺の右手には、ひと振りの短剣が握られていた。
八十八号聖剣〈宝剣アルタルフ〉——。それはかつての世界で冒険をともにしてきた勇者の聖剣だった。聖剣の力は俺の魂とともにある。世の理を超越するこの聖剣の力があったからこそ、俺はこうしてここに立っていられる。
「……残ったのはこの勇者の証しだけってか」
俺はいまいちど聖剣を強く握った。
輝きを増しながら終わっていく世界。
俺以外の地上のすべてのものが光の粒となって消えゆくなかで、俺は独りだった。
〈了〉
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