第50話 交戦(2)

「魔法障壁だと?! 煩わしい……!!」

「だからそれ以上行っちゃだめだって言ったのに……君が聞かなかったからだよ」


 ようやく降りることができる。そう言って、シャンディとネリエは身動きが取れなくなったセレスの背から飛び降りた。まるで鳥かごのように完全に閉じ込める形の檻は、大きな翼を生やすセレスにとっては動きづらいことこの上なかった。


 自分ひとりならありったけの魔力をかき集めて、檻を壊すこともできる。幸いあたりにはリリスの魔力が充満しているから、魔力には困らない。問題は傍にいる二人だった。セレスが本気を出せば、いくら魔法使いだといえ傷を負うぐらいではすまないだろう。そうなるとほかの手を考えなければいけないが、さっぱり思いつかなかった。


「お前たち、ここから出る策は何かあるか?」

「うーん……僕ら三人が全員出るのは難しい。でも一人出られるくらいの時間、穴を開けるのは何とかいけるかもしれない」

「本当か?!」


 しばらく触ったり眺めたりを繰り返しながら炎の壁を検分していたシャンディは、ゆっくりと言葉を選びながら答える。八方塞がりだったセレスはその言葉に食いついた。


「やってみなければわからないよ、打ち消し魔法はあまり得意ではないから。でもやってみる。時間は掛かるけど、 ネリエならできるよね?」

「シャンディができるって思ったならできるわよ。私の実力はあなたが一番よく知っているもの」


 話を振られたネリエは事も無げに答える。その言葉はシャンディに絶対の信頼を置いているからこそ言えるものだった。人間の魔法使いの絆とはこういうものなのか、と少しだけ目を丸くしたセレスは、ネリエの方を向いて頭を下げた。


「どんな手を使ってもいい。ここを出られるなら」

「じゃあお願いするよ、ネリエ。すぐに始めてほしい。時間が無いんだ」

「わかったわ、シャンディ。いくわよ」


 手の片方はシャンディの手と重ね、もう片方は壁へそっと触れる。バチバチと指先がはじかれるのも気にせず、ネリエは二つ三つと何かの言葉をつぶやいた。その言葉に反応するように、白い光が指先へ生まれる。まるで生き物のようにうごめくそれは、炎の壁を削り取るようにゆっくりと動き出した。息を詰めて見守っていたセレスは、その浸食作用が思っていたよりも早いことに感嘆する。これならあまり時間をかけずに外へ出られそうだった。


 だが状況はまったく楽観視できるようなものではなかった。兄ならこんな障壁はあっという間に壊してしまえる。リリスの安否は、この障壁を作り出した魔法使いたちがどれほどカイヤと戦って持つのかにかかっていた。兄が捕まる檻を見やれば、大きくたわんで軋んでいる。程なくあれは壊れるはずだ。


「頼むから間に合ってくれ……」


 藁にもすがる気持ちでセレスはそうつぶやく。それをあざ笑うかのように鳴り響いたのは、カイヤを取り囲む障壁があっけなく壊された音だった。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 炎壁が破壊された。壁を作り出していた魔法使いの体に走った衝撃は、周りにいた者たちの何倍も大きかった。


「……っ!!」

「セレナ!」


 地面に倒れこむ前にセレナの体を抱き止めたのはルディだ。そのルディもまた、魔法を破られた反動で青い顔をしていた。


『リリスを守りたいならさっさと妖魔を倒してしまえばいい話だ。そうすれば大事なお姫様は傷つかずにすむ、 そうだろう?』


 少し前、岩に「えさ」として拘束されるリリスを見たふたりがランディに詰め寄ると、 嫌ならさっさと妖魔を倒せと言われた。今思うと、確かにそうだと納得した自分たちの頭を殴ってやりたい気分だ。半妖魔だというのに、今まで戦ってきたどの妖魔よりも圧倒的に強い。その実力の差は、あっけなく壊された魔法障壁を見れば一目瞭然だった。


「馬鹿な、これほど早く檻が壊されただと?!」

「鉄壁の檻といわれる紅の魔法使いの魔法障壁が、あっけなく壊されるなんて……!」


 二人の妖魔たちを罠にはめ、捕らえられたことで有頂天になっていたサポート役の魔法使いたちも、 すぐに壊されてしまった魔法障壁を見て真っ青になった。だが膝をつき、立つのもやっとという様子の紅の魔法使いを見て、それが妖魔の実力なのだということを知る。


「化け物……っ!」


 落陽の魔法使いの片方がそう叫んだ言葉に、檻を壊して出てきた妖魔は目を細めて笑う。それは褒め言葉だとでも言わんばかりだ。その表情に、魔法使いたちはさらに恐怖を煽られた。


「さて……どれから遊んでやろうか」


 大きく翼を振り、魔法使いたちのほうを舐めるように眺める妖魔の目はさながら獲物に品定めする獣のようだった。底知れぬ恐怖におびえた魔法使いたちは皆一歩後ろへと引き、恐怖に顔を歪める。唯一動じずにその場へ立っていたのは、互いにに支えあいながら立つ紅の魔法使いの二人だった。


「まずはお前たちからか……そこにいる小娘と似て美味しそうな魔力の匂いをさせておるな。 食うほどには到底足りぬ魔力だが、我と遊ぶだけならば足りよう」

「簡単に手出しはさせない――白銀と黎明はリリスの周りにシールドを張って守れ。落陽はできるだけ妖魔の動きを止めろ。 私たちが隙をついて攻撃をしかける!」


 恐れを感じさせない凛とした声が紡ぐ指示は、三組の魔法使いたちに少しだけ希望を抱かせた。恐怖に満ちた表情はそれぞれ緊張に引き締まったものに変わり、指図された通りに動き始める。澄み切った音が響くと同時に青い盾がリリスの前に浮かび、落陽は妖魔に向けて足止めの魔法を唱えた。


「ふむ、それもまた一興。せいぜい足掻いて我を少しでも長く楽しませてもらおうか」


 妖魔はそれでも動じない。足止めの魔法は難なく妖魔へかかり、黒い影が足をその場に縫いとめる。それでも飄々ひょうひょうとした余裕の笑みは消えることなく魔法使いたちに向けられ続けた。


「妖魔よ――覚悟!!」


 ルディがそう叫び、目にも鮮やかな紅炎こうえんの球を二つ、それぞれの手に掲げ持つ。セレナの魔力を総動員して作り上げた炎球の威力は先ほどの魔法障壁の比ではない。投げられて手を離れた炎球はまっすぐ妖魔へと向かっていく。その場を動けない妖魔にこれをかわす術は無い。今度こそ、この妖魔を倒せるのだと誰もが思った。


 ――だがそれは一瞬にして絶望へと変わる。


「こんなもの、児戯にも等しきものよ。下らぬ」


 あざけりの声音とともに魔法使いたちの元に届いたのは、風の渦巻く轟音ごうおん。何が起こったのかをろくに理解することなく、身を焼く熱い炎に全員がその場へと倒れ伏す。


「そんな……まさか……っ!」


 絶え絶えに呟いたのは、ルディに身を庇われて直撃を免れたセレナだった。体に力は入らず、首をもたげるのが精一杯な状況だ。一瞬で焼け野原になったあたりを見回して、妖魔が先ほどの炎球を受け止め、自分たちに投げ返したのだと理解する。もはや自分たちになす術は無い――そう思わせるほど、力の差は明らかだった。


「ほう、女、あれを受けてもまだ意識を保てるか。さすがは、といったところだな。最も、戯れにすらならぬ遊びだったが」


 感心したような、馬鹿にしたようなその声音に、自分以外は意識を失っていることを知る。ゆっくりとその場を離れてリリスのほうへ向かう妖魔の姿を視界の端にとどめながら、 セレナはかろうじてまだ形を保っているもうひとつの魔法障壁を見やる。


 ――もしも、彼があの子を守ってくれるなら。


 最後に残されたただ一つの可能性にかけてみようと思った。魔力を送るのをやめると、魔法障壁の残滓はふっと消えうせる。ぼやけていく視界にかろうじて映ったのは、目の前の妖魔によく似た姿だ。彼がきっと、リリスの愛するひとなのだろう。


「どうか……リリス……を、まもって……!」


 聞こえるかどうかもわからない声で、セレナはわずかに残った気力を振り絞ってそう叫ぶ。それを最後に意識はブラックアウトした。

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