第3話 異変

 次の日、リリスは伯父が約束した来訪を楽しみにしながら屋敷を出た。久しぶりにぐっすり眠れたので、とてもすっきりした気分だ。屋敷のそばの森の中にある小さな小屋は、外で誰にも邪魔されることなく修行のできる唯一の場所だった。


「いい天気……!」


 木々の間から差し込む朝の光で生き生きとしている森を歩きながら、リリスは嬉しそうに呟く。森の清廉な空気はまだ少し沈んでいた気分を晴れやかにし、小屋へ向かう足取りは自然と軽やかになった。やがて小屋の赤い屋根の端を木々の間に見つけ、リリスは気分を引き締める。重たいドアを押し開き、軽く中を見渡して確認すると、あらかじめ敷いてあった質素な敷物に腰をおろした。


 目をつぶって集中力を高めると、リリスは修行を始めた。自分の中にある魔力を感じ取り、それを分け、動かす。それはとても易しそうに見えて、実際は限りなく難しい。リリスが修行と呼ぶのは、自分の中にある魔力を高め、魔力を自分が望むだけ自在に動かすこと。ただそれだけなのかと軽んじられがちだが、『魔力を与える者ウィズシア』にとってはなにより重要な技術である。


 自分や相手の望む大きさの魔力を渡すことができれば、それが早くて正確であるほど発動する魔法の威力と精度は大きくなる。 逆に自分で魔力をコントロールできないと相手や自分の命を落とす危険すら出てきてしまう。 この修行は『魔力を与える者ウィザス』にとって、一番重要かつ唯一の修行ともいえるものだった。


 そうして集中していた時間は三時間ほど。 一度も途切れなかった集中をようやく解き、リリスは大きく息を吐いた。 小さい頃からずっと続けてきたこの修行は、息をするのと同じくらい自然に自分の体へ身についている。それでも毎日欠かさずやるのは、すぐに感覚が鈍ってしまうからだった。


 いつもなら一日中でもやっているが、昨日同様三時間ほどで切り上げたのは伯父がもう一度訪ねてくるかもしれないと思ったからだ。彼は帰ってきたと思えばすぐに別の仕事でいなくなってしまう。久しぶりの長期滞在は嬉しいものだった。今日は伯母様にも会えるだろうかと考えながら、来たとき同様軽やかな足取りでリリスは帰宅する。


 ところが屋敷へと戻ると、なぜか屋敷はサーシャ家一族の者たちで溢れていた。親戚たちの間を縫うように歩いていくと、リリスに気付いた者たちが道をあける。親戚たちがささやきあう会話を聞かないようにしながら、足早に自分の部屋へ向かった。リリスが息を付けたのは、自室にたどり着いてからだった。そこで部屋に先客がいたことに気付き、あわてて居住まいを正す。帰ってきた部屋の主にあわてることもなく一礼したのは、部屋の掃除をしていたメイドだった。


「ねぇ、下にサーシャ家の人たちがたくさん来ていたけれど、今日は何があるの?」


 自分の記憶さえ正しければ、今日は何もないはずだ。なぜ、あんなに人が集まるのだろう。サーシャ家一族はとても大きく、分家も合わせれば膨大な人数がいるが、普段屋敷に集うのは本家筋の二、三家族だけである。何もないのに何十人も集まるのは、絶対に何かあると踏んで、出て行こうとするメイドを呼び止めた。すると彼女は怪訝そうな顔をしながら質問に答えをくれた。彼女の返答はリリスにとって予想していなかったものだった。


「あら、ご存知なかったですか? 今日は月例の集会が開かれているんですよ」

「えっ……でも、今日はその日じゃなかったはずよね?」


 その日までにはまだ余裕があったはずだ。いつも月の半ばになると開かれる月例集会には一族の「魔法使い」たちが集まるため、リリスはいつ開かれるかをよく記憶していた。間違って部屋を出てしまえば最後、今日のような好奇と軽蔑と嘲笑の的にさらされるためである。そんなリリスの思いを知ってか知らずか、問い返されたメイドは首を傾げて答えた。


「私はよく知りませんが、そういえば緊急に開かれたらしいということをほかのメイドたちが言っていた気がします」

「そうなの……とりあえず、教えてくれてありがとう」

「いいえ、リリス様のお役に立てたのなら幸いです。では、私はこれで失礼いたします」


 再び一礼して部屋から去っていくメイドをリリスはなかば放心状態で見つめていた。しばらくしてから、緊張の糸が切れたようにすとんとベッドへ座り込む。いったいいつ、集会の通達が出されたのだろう。まだ「魔法使い」にはなれていない自分にも、次期当主だということで一応通達は来る。今までは「魔法使い」になっていないから、という理由で出席を断っていたのだが、なぜか今回だけ通達は来ていない。


 ずっと断り続けているリリスには、もう言う必要がないと判断されたのだろうか。それとも何か、別の意図があるのだろうか。そのほどは分からなかったが、なぜか今回の集会は自分のことに関係ある気がしてならなかった。それが良いにせよ、悪いにせよ、いずれ父から何らかの連絡があるに違いない。そう考えると、いつもに増して重い気分になった。


「あーあ、今日が集会だったのなら、きっと伯父様たちは来られないわね……」


 思い出した事実がさらに重い気分に拍車をかける。せっかく楽しみにしていたのに。集会が始まれば、早くても終わるのは夜遅くだ。


「まあ、急だったから仕方がないわよね。きっと明日になったら来てくれるもの。今日は前から読みたかった本を読むことにしようっと。 ちょうどいっぱい時間が取れてよかったわ」


 自分に言い聞かせるようにわざと明るい声でそう言い、部屋の片隅においてあった分厚い本を取り上げる。それからリリスは家中の明かりがおとされるまで本を読んで起きていたが、やはり伯父が部屋を訪れることはなかった。それどころか一日経ち、二日経ち、三日経っても伯父たちの訪れはなかった。決して約束を破ることのない伯父がいつまでたっても来ないのは、今回が初めてだった。


 何かあったのかと心配になり、こちらから伯父のもとへ出向こうとしたこともある。だがどうしても自分に侮蔑や嘲笑を向ける従兄弟や他の親戚に会うのが怖く、結局行けずじまいに終わっていた。不安だけが募っていく中で、リリスはメイドたちの噂話から先の任務で伯母が怪我を負っていたこと、伯父がその看病で家を離れられないことを知る。どうして伯父は自分に嘘をついたのだろうだろう、なぜ何も言ってくれなかったのだろう。そうと思いながらも、 自分から会いに行く決心はつかないまま時が過ぎていった。


 そうして月例集会から一週間が過ぎた夜のこと。リリスは夜遅く、父の自室へ呼ばれた。

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