これは、故意じゃない。①

@Yuyu_nnyu

第1話 うそ

二人で取った狭い個室。


ほんとうに、二人分のスペースしかないネカフェに置いてある、だれが使ったのかわからない、黒いクッション。無機質な部屋で、限られた時間の中で行われる行為。周囲にある音は、キーボードを叩く音と、寝息、聞き取れないくらい小さな喋り声、漫画のページをめくる音だけ。


とりあえず、靴を脱ごうと、靴を脱いで、パソコンの前に無造作に投げられたクッションを取って、二つ、横に並べた。


彼も靴を脱いで、きちんと二人分の靴を揃えてから、狭苦しい個室に上がって、二人で寝転がり、身を寄せ合う。


寝転がる、と言っても、転がれるスペースは、ほとんどないに等しい。せいぜい、横になるのが限界のスペースだからだ。彼の方向に体をねじらせ、向き合って、彼の顔をじっと見つめた。ちょうど、おでこがぶつかりそうな距離だ。慣れた様子で、同じように彼もすり寄ってきた。彼の胸板が、あたしの目の前にあったので、顔を近づけてみた。足も絡めて、隙間がないようにして、寄り添って、毛布をかぶり、彼の胸に耳を当てると、心音がした。


ドキドキ、ドキドキ。


規則正しく、鳴り響く鼓動。


ドキドキ、この音に、いつものように安心感と同時に絶望感を覚えた。


人がこんなに近い距離にいて、あたしを恋人にするように優しく撫でて、愛しているかのように包み込んでくれる、いつもの安心感。なのに、意中の人でもなんでもない他人が、恋仲のような距離にいる、それを許容してしまっている自分に対する絶望感があった。


「顔近づけて。もっと、近づいて」と、言って、彼は小さく手招いた。


「うん」と、あたしは言って、今度は彼の胸に顔をピッタリとくっつけた。腕は彼の背中に回した。足をピンと伸ばした。心音が、さっきよりもずっとはっきりと聞こえるようになった。彼があたしの身体を、両腕で包み込んだ。


「細いね、手が余る」


「そうかな、フツーだよ」と、普通の友達同士のノリで会話をした。


添い寝は、普通の友達がすることじゃない。


みんなで仲良く、お泊まり会での雑魚寝とかじゃない限り。しかも、二人っきりでだなんて。まるで、恋人であるかのように。だけど、いつも相手は恋人じゃなくて、ただの友達かそれ以上の、恋人以下の相手。


添い寝は、だいたいセックスのあとに必然的に行われる行為だ。本来ならば、恋中にある人たちがする行為なのだ。なのに、肝心のセックスの部分を切り取って、添い寝だけをする関係が、この世には存在する。


あたしの心臓も、ドキドキと音を立てていた。だけど、このドキドキは恋からくるものではないことは、今となっては明白な事実だった。


ドキドキ、ドキドキ。


「寂しいね」と、彼は言った。


「うん」と、あたしは答えた。


彼があたしに向かって手を伸ばした。顔や胸に伸ばされるであろう手を掴んで、「手はお膝でしょ」と彼の手をよけた。彼がしたがっていたことは、どうせキスとか愛撫とかなんだろう。あたしが求めているのはそんなんじゃなかったから、要らなかった。


気まずそうに、あたしの隣で、彼は横になって寝ているだけ。


ただ、それだけの関係だった。







この、文章を書いていく、お話を綴っていく作業を、ほかの何かに例えるならば、砂場あそびだと思う。


ここが、とても広い砂場だとする。


砂場には、当然たくさんの砂がある。そこから、持てる限りの砂を両手で握り、少しずつ、お山を作っていく場所を決めて、砂場の一か所を盛り上げていく。ぺたぺたと、砂に砂を重ねて、手でしっかりと固めていく。


言語という砂に満ち溢れた場所で、ちまちまと、地味にお城を作る作業みたいなもの。


大人数でみんなでワイワイ楽しく、一斉に手にかける。けど、どこかが綻ぶことがないように。きちんと、形になるように。正確に、慎重に。壊さないように、壊れないように。だけど、ちゃんときれいなお城のような形になるように、誰かと協力し合いながら、あまり手に力をこめすぎないで、丁寧に作業をこなしていく。こんな感じで、今回この文章の中であたしの言いたいことが伝わればいいなあと思っています。


これが、今回の文章を書くあたしのモットーです。


できるだけ優しくわかりやすい文章で、そこにスパイスとして加えられるのが自分の考え。あたしが、この文章を書くために選別した砂。そして、その砂で、自分の主張を崩れにくい程度にかためて、お城のようなきれいな形を作る。それができていたらこの文章は成功でしょう。




さて、いつもTwitterでしているように、アスクエフエムの質問に答えるくらいの軽い感覚で、まず、上手な嘘の吐き方についてお話しようと思います。


上手な嘘の吐き方とは、端的に言ってしまうと、つきたい嘘の中に、少しだけ本当のことを加えてみればいいだけです。ほんとに、それだけ。


ほら、よくあるじゃない、美味しい食べ物の中に含まれている隠し味的な要素。


例を挙げるとするならば、カレーの隠し味でチョコレートを入れる的な感覚で。


ほんの少しだけ、言いたくないバカみたいな真実に、綺麗な嘘を加えるの。綺麗に、おもちゃのような、あの、ワザとらしく、キラキラさせた、セボンスターのアクセサリーみたいに作られた嘘を加えるの。こうやってして、完璧に近い、上手い嘘が作り上げられる。


という事で、以上の事を踏まえまして、お話ししていきたいと思います。


今からお話しすることには、少しの綺麗な嘘と汚い真実が含まれております。


どこまでが嘘か、本当かの、判断を見誤らないように、どうかご注意ください。


これは、一人のメンヘラの少女の物語です。きっと、どこにでもある何の変哲もない物語です、砂のお城の心を持った女の子のお話です。来年、読み返したときに、どうか鼻で笑えていますように。たいしたことないじゃないかと言えていますように、傷も癒えていますように。







このお話は、ある女の子が4歳くらいのときの話から始まります。


そして、その女の子の名前は、仮に、Yちゃんとしましょうか。


Yちゃんは、小さい時から、とても甘えん坊で、パパやママにだっこされるのが大好きでした。だっこされると、愛されていると実感できるからです。いま、自分が甘えている状況にあるんだなあと客観的にも認識できるからです。


Yちゃんのパパとママは普段からYちゃんを褒めたり甘やかしたりしませんでした。なぜか、と二人に尋ねると、Yちゃんのパパとママも褒められないで育ってしまったからだそうです。


褒められて育ってないから褒め方がわからないし、Yちゃんが大学生という、そこそこな大人になってしまった今、もう今更過ぎて、これといって褒めることも見当たらないのよ、と大人になってからパパとママに言われました。悲しかったです。


なので、たぶん、最後に、甘えられていたなあ、と実感できたのが、この、だっこされていた時期だけでした。


それ以降、甘えさせてもらった経験は、お洋服を買ってもらったり、本を買ってもらったり、その他に、ホテルかなんかでの美味しいご飯を食べに、外に連れ出されていた時くらいです。まあ、それでも親のすねをかじって生きているので、甘えているといえば、甘えているの範囲に入ると思うのですが、コミュニケーション的な愛情を感じたのは、思い返しても、だっこ以外でとくにありませんでした。


Yちゃんは、だっこされて、パパとママの胸に顔を埋めるのが大好きでした。とくに、ママの胸に顔を埋めるのが好きでした。理由は、ママの胸の谷間に、ちょうどYちゃんの顔が隠れるように埋まって、ちょっとした秘密基地にいる様な気持ちになれたからです。


文字通り、当時はおんぶにだっこな日々でした。朝が来て、昼が来て、やがて、決まり事であるかのように夜が夕日の後ろからついてきます。夕日の足が夜に追いつかれて、バトンタッチをする。そうして、遠くの空が闇に飲み込まれてしまうと、Yちゃんの目もそれにつれて、次第に重くなっていきました。夜が来ると、甘えん坊なYちゃんは、毎日、パパとママと一緒に寝ていました。川の字になってみんなで、「おやすみ」をしていました。


パパが残業で帰ってこないときは、夜遅くまでママと二人で起きてパパの帰りを、やさしい絵本を読みながら待っていました。反対に、ママの帰りが遅い時は、パパと二人でじゃれ合いながらママの帰りを待ってました。


ママの帰りが遅い時、Yちゃんは、パパを少しだけ独占することが出来ました。


物心ついたときから、Yちゃんは、パパと結婚したいと思っていたので、この時間は、まるで物語の中のお姫様と王子様のつかの間の逢瀬のような意味を持っていました。Yちゃんはパパの平べったくて薄くて、かたい、胸に身を丸めて埋めました。


Yちゃんにとって、パパの胸はママのとは違った意味での秘密基地でした。パパがYちゃんの顔を両腕で包み込んでくれて、ちょうどYちゃんの嬉しそうな顔がパパに見えないように隠れるので、Yちゃんの、パパをひっそりと慕っているという秘密が守られている、という意味での秘密基地になっていました。


Yちゃんを抱えて添い寝してくれるようになってから毎日、Yちゃんのことを、パパが優しく撫でて、秘密基地を作るように包み込んでくれました。Yちゃんはパパによく、「頭を撫でて、よしよし、して」と頼んでいました。


パパの温かい手が好きだったからです。あの大きな温かい手は、ママがいない間だけの特別なものでした。Yちゃんは、ママがお仕事でいない間だけの婚約者の気分でした。


うとうとしながらパパの胸の秘密基地に蹲っていると、突然大きな音が玄関に響きました、バッタン!とドアの音が。ママが仕事から帰ってきたことを示す音でした。Yちゃんはママの帰宅に動揺してすぐにパパから離れました。自分の中にある、パパを慕う気持ちがバレてしまうと思ったからです。


しかし、Yちゃんの挙動不審な反応とは裏腹に、パパは、急にどうしたの、とYちゃんに不思議そうに尋ねるだけでした。いつものパパでした。


このとき、Yちゃんは、パパの動じない反応を見て少しだけ悲しくなりました。パパはYちゃんのことを、なんとも、ただの子供だとしか思ってないと悟ったからです。


もし、パパに、後ろめたい感情がちょっとでもあったのならば、ママが帰ってきたとき、少しだけ、Yちゃんのように動揺するはずなのです。あ、やばい、離れなきゃ、となるはず。


だけどYちゃんのパパは、狼狽するYちゃんとは至って異なり、呆けた様子で、ひとり悲しそうに項垂れているYちゃんを見つめるだけでした。


というわけで、Yちゃんの生まれて初めての添い寝の相手は、初恋のパパでした。そして、初めての恋と失恋もまたパパでした。


パパの失恋を経てから、Yちゃんは、立派な処女になりました。


Yちゃんは、高校三年生の夏頃になるまでずっと感嘆な処女でした。


Yちゃんと思う、処女というのは、失われていく感覚のようなもので、セックスしたら簡単に失われてしまう、奪われてしまう、乙女心のことです。


それは、必ずしもセックスで奪われてしまうわけではありません。セックスはあくまできっかけに過ぎません。勿論、世間で言う処女喪失とは、セックス経験の有無にありますが、Yちゃんにとってそんなことはどうでもいいことでした。処女とは、純粋な下心を持った、乙女心のことなのです。


こうして、初恋に敗れたYちゃんは、処女に目覚めました。


処女なので、いつか、自分にも、自分のことを愛してくれて、そして自分自身もその人のことを愛せるという関係を築きあえる人が現れると思っていました。キスやセックスは、本当に愛し合える人とするもので、手をつなぐことも、信頼する人とするものだと、本当に心の底から思っていました。


好きじゃない人とする、『それ』は、とても悪いことだと思っていたので、太宰や藤村なんかの小説やエッセイを読むたびに、理解できないことに対する疑問と、『それ』をゆるせない怒りが生じていました。生粋の処女であるYちゃんにとって、セックスフレンドなんてお話にならないくらい、最悪な関係の果てでした。自分は、寂しさや肉欲に負けて、そういう関係を作らないようにしようと固く決心していました。


しかし、Yちゃんが小学校に上がるとすぐに手をつなぐような関係のお友達ができたり、体育大会などで無理やりつながされたりしたので、Yちゃんの処女の心は、ほんのちょっぴり、ここで失われてしまいました。


半ば無理やり失われた処女の心は新しい気持ちをYちゃんに覚えさせました。体育の時間に、知らない男の子と手をつないだ時に、感じた背徳感。緊張と戸惑いで、汗ばんだ手。知らない男の子とつないだ手の隙間から、汗がすうっと浮かんで、零れ落ちていきました。


Yちゃんは思いました。ああ、これってしてもいいんだ、だめじゃないんだ、普通なんだ、好きじゃない人とも手をつなげるのか。という感覚を得たと同時に、Yちゃんから、ちょっとだけ処女の心から何かを奪っていきました。


何かに対して、普通なのだ、と思うとき、あたしたちは、大事な処女の心から何かを少しだけ奪われているのです。繊細が、平凡へとなり変わってく瞬間。子供が、大人になっていくのと同じです。そのことに、Yちゃんは気づきもしませんでした。







男の子と手をつなぐことが普通だと認識してしまい、少し欠けてしまった処女の心を持ち合わせたYちゃんは、最悪の成績で中学を卒業して、高校生になりました。


高校に上がって初めて、Yちゃんは、人生を狂わせるような恋をしました。


パパの次に、人を本気で好きになりました。



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