魔女の同窓会

和間諭季

武蔵ヶ原の十三夜(1998年11月1日)

 強引に折り曲げられた街灯の光が、二、三度瞬いたのを最後に消える。

 訪れた暗闇を照らす月は、満月よりも僅かに欠けている。

 月明かりが照らす大通りには、普段の賑わいは見る影も無い。夜ゆえに人がいない、というだけではない。コンクリートの路面はひび割れ、商店街への入り口であったはずのアーケードは押し潰されて残骸と果てていた。

 ただ一夜にして廃墟と化した街の、歩道の隅に影が二つ……いや、三つ。立ち尽くして微動だにしない少女と、地面にしゃがみ込んでいる少女。後者の足元には、ぼろ雑巾のように擦り切れた少年が倒れ付している。

 三人とも、若いというより幼いという形容詞が似合う年頃だ。最年長と思しき少年も、明らかに義務教育課程を終えていない。少女二人にいたっては、未だ小学生と思われる。保護者の同伴なしで出歩くには不似合いな時間だが、それ以上にそぐわないのは彼等の発する雰囲気。酷く重苦しい、悲壮感とでもいうべきものが、三名の間には漂っている。

 しゃがみ込んだ少女が何かを唱え、彼女の両手が柔らかく発光する。その手を胸に押し付けられて、荒かった少年の呼吸が少しだけ緩まる。ほっと息を付く少女、その表情がにわかに強張る。生じた気配に息を呑み、振り向いて、


「――キーリ?」


 現れた影を確認し、息をついた。


「悪ィ、驚かせた」


 キーリと呼ばれた新たな影――武田たけだ霧子きりこは、やはり小学生らしき少女だった。口ぶりこそあっけらかんとした男言葉だが、格好のほうは少女らしく着飾っている。ブレザーコートとミニスカートは、夜の色と同じ黒。胸元の蝶ネクタイと頭のキャスケット帽は、僅かながら紅色を含んでいる。闇夜に溶け込みつつ、その暗がりから浮き上がる――相反する二つの要素を融解させた服装は、確かによく似合っていたが何処か作り物めいてもいた。


「それで、こう次郎じろうは?」


 しゃがみ込んでいる少女に向け、霧子が問う。


「大丈夫です、必要な処置は済ませました」「――モンダイない」


 重なる返答――後者のやや人工的な声は、しゃがみ込んだ少女の首もと、灰色のストールから発せられている。


「そうか……よかった」


 二つの返答に、霧子は安堵の息を漏らす。倒れこんだ少年――町村まちむらこう次郎じろうに向けたまなざしは、乱暴な口調とは裏腹に柔らかい。荒くはあっても規則正しい彼の呼吸を確認し、霧子はいまだ立ち尽くしたままの少女へと視線を移す。


「ミズホも無事だったんだな」


 少女――久間くま瑞穂みずほは怯えるように身体を震わせ、だが俯いたまま答えない。


「おい、ミズホ。おまえ――」

「キーリ」

「――分かったよ、イオ」


 甲次郎の脇にしゃがみ込んでいた少女――たけいおに首を振られ、霧子は渋々引き下がった。


「キリコ、イイのか?」

「だったらどうすりゃいいんだよ」


 キャスケット帽の呼びかけに、吐き棄てるように答える。いいと思っているわけではない。だが、ならば何を言えば? どんな言葉を選んでも、状況を悪化させてしまう気がする。


「あちらは、どうなっていますか?」

「ああ、最悪だな」


 沈み込んだ心持を素早く振り払い、霧子は庵美の問いに答える。


「暴走した【霊力炉】は、ぜんぜん止まりそうもねえ。霊体も生体もかまわずに飲み込んで、どんどん大きくなってやがる」


 彼女が語るのは端的な事実。たとえ取り繕おうとしても、庵美はその虚偽を絶対に見破ってしまうから。そして今の庵美では、虚偽を虚偽と知った上で対応するのは難しいから。


「博士も取り込まれたままで、霊力炉の【非常停止装置】が働き始めたようにも見えない。博士が言っていた、【十五分】はもう過ぎた」

「そうですか」


 霧子から逃げるように視線を伏せ、頷く庵美。ストールを握りしめたまま僅かに震えている右手が、彼女の動揺を表して――それでも『お淑やかな令嬢』の様相は崩さない。学校随一の『お嬢様』という立場が育んだ気骨に頼り、打ち崩されかけた心を強引に立て直す。


 だがこの場にいるもう一人の少女は、彼女と同じことは出来なかった。


「――ごめんなさい」


 唐突な謝罪。普段なら喧騒に紛れてしまうほどの小声が、人気の無い夜の街に奇妙に響く。


「え?」


 俯いていた庵美が声を上げ、それが決壊のきっかけとなったのか、


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 立ち尽くしたままの久間瑞穂の口から、同じ言葉が譫言のように幾度も幾度も繰り返される。感情が失せた無表情を、酷く歪んだ泣き顔に変えて。肩を震わせ、嗚咽を漏らし、悔い、自らを責め続ける。

 断罪を請う彼女の声は、庵美が内に封じていた悔恨の念をも掻き立てる。


「ううん、ミズホだけのせいじゃないわ」

「みんな、わたしのせいなの。全部、わたしが悪いの」

「それを言うなら、私だって十分……」

「ウガダバァ―――――!!!!!!」


 なおも謝罪を続ける瑞穂と、つられて項垂れ掛ける庵美――そんな二人に、霧子が吼えた。


「え?」

「ほわ?」

「ッたくもう! 二人とも、なーに辛気臭くなってんだ。ミズホ!」

「は、はい!」

「泣くことも謝ることも、後でいくらでもできる。だから今は、両方とも禁止! いいな?」

「で、でも……」

「い・い・な!」

「――は、い」

「よし! じゃあ次!」


 一睨みで瑞穂を頷かせると、霧子は庵美へと向き直る。


「イオ! なーんでお前までこいつにつられて後ろ向きになってんだ? 何のために俺がこの状況を、正直に言ったと思ってる?」

「それは……」

「あるんだろ? まだ、打つ手が」


 それが当然であるかのように、訊ねる――いつも通り、自信たっぷりに。

 実際には霧子は、祈るような心持だった。

 なにか打つ手が、あるはずだ。だって、こんな結末はまっぴらだ。友達同士で対立して、結果的にはそれが【博士】の霊力炉の暴走に繋がって、その暴走にたくさんの、関係ない人たちが巻き込まれる――ミズホのバカは、もうそれがどうしようもないことってメソメソしてやがる。だけど、俺は認めない。親友と呼べる人間が二人もできて、すごく大人な憧れの人に初恋もして、その後で、本当に好きな人もできた――そんな素敵なここ数週間の、最後の結末がこんなものだなんて許さない。

 たしかに俺には、暴走した【霊力炉】を止める方法も、それを止めるため敢えて中に取り込まれた【博士】を助け出す方法も思いつけない。でも、イオミなら――自分たちが困ったときにいつも解決の道筋を見つけてくれる彼女なら……


 じっと見つめる霧子の視線から、庵美が戸惑ったように目を逸らす。

 それで――それだけで、霧子の祈りは確信へと変わった。


「ほーら、やっぱりな」


 庵美の考えを見透かしたように、霧子はニヤリと笑ってみせる。


「で、でも……」

「ん?」

「危ないわ」


 拭けば掻き消えてしまいそうな声で、庵美は言う。顔をそむけ、唇をほんの少しだけかみ締めて――解決策があるという事実が、あたかも罪であるかのように。

 霧子に言うとおり、庵美は暴走した【霊力炉】への対策を思い付いていた。そして、それを思いつくことのできた自分自身を恥じていた。

 だってこれは、あまりにも危険だ。自分が――ならば、まだ許せる。だけど危険にさらされるのは、主に自分以外の二人。二人の力に頼りきり、二人の命をチップとして扱い、そして自分は安全な場所から、彼女たちに指示を出す。吐き気がする。最悪だ。何という、無責任――けれどそれが最良の方法だと、庵美は理解してもいた。

 この方法以外に、【博士】を――剛平太さんを助け出すやり方はたぶん無い。だから私は最終的に、この策を二人に押し付ける。恥じ入りつつ、躊躇いつつも、頭のどこかでそう確信している自分自身を庵美は恥じる。意識とは無関係に働き、合理的な回答を弾き出す己の頭が恨めしい。いっそ考えることができなければ、こんなことを思いつかなければ、どうしようもない圧倒的な現実の前にひれ伏して、それを認められたのに――


「ある……の? どうにかする方法が」


 顔をあげた瑞穂が、庵美のほうを向いて聞いた。


「危険だわ」

「でも、あるんだよね!」


 左右に顔を振り、それでも残った涙を両手で乱暴に拭い取り、瑞穂は庵美へと詰め寄る。


「あるには、あるわ。でも――」

「なら、やろう!」


 そう言って頷く瑞穂の目は、暗くて見えないけどきっとまだ赤い。さっきまで大泣きしていたせいで、まぶたも少し腫れている。でもそれは、もうすっかり、しっかり前を見据えている。

「イツデさん、お願いします」


 ポケットから取り出した、右手分だけの手袋に呼びかける。


「はいはい、【アンプ】使いが荒いわねーぇ」


 何処かふてくされた声で応じた手袋は、瑞穂の右手に嵌められ――そして、発光。

含思型魔マスコット兼力増幅器ステッキ的存在】であるイツデが瑞穂の【固有魔力波長魔法の力】を認識、記録されていた【気創闘衣魔法少女服】を形成し転送する。ブレザーとミニスカート、といった霧子のものとは異なって、瑞穂のそれは手首から足先までを覆うウェア。胸部、腰部に多少の増加防衣があるものの、基本的に厚みはない。防御力よりも動きやすさを重視したつくりなのだろう。


「あ……あの、ミズホ――きゃ!」


 瑞穂の突っ走りっぷりに戸惑いを隠せない庵美の首に、霧子が腕を回し顔を引き寄せる。


「ムダ、ムダ。ああなったミズホが頑固なことは、イオも知ってるだろ?」

「ですが、」

「それに、今回はただ暴走してるわけじゃない」


 ニヤリと笑う霧子の指摘に、庵美も渋々頷く。どうしようかと思い悩み、悩みすぎて突っ走り、結果自爆するというのは瑞穂の失敗の典型パターンだが、今度のはそれとは若干違う。どうしようもなくなってとりあえず突っ走っているわけじゃない。前を見つめる彼女の両目には、意思がある、決意がある。状況が状況であるだけに思い詰めてはいるものの、自暴自棄にはなっていない。


「ミズホ!」


 それでもやはり心配をとめられず、内に抱きかかえようとするように、庵美は瑞穂に呼びかける。


「大丈夫――ですか?」

「わかんない」


 真っ直ぐ見つめる庵美に、瑞穂も真っ直ぐに答える。


「でも、これはわたしの責任だから。わたしがキリコやイオミみたいにちゃんとすることができていたら、これは防げていたはずだから、ダメだなんて言うことわたしにはできない」

「ですが」

「それにね」


 なにか言おうとした庵美を、瑞穂は首を横に振って遮る。


「もうどうしようもないんなら、わたしは泣いて、謝って、悔いて、自分を責めるしかすることがなかった。でもね、やれることがあるんだったらそれをやらなきゃ、わたしはもっとダメになっちゃう。だから、お願い――イオミ」


 懇願の瞳に直視され、庵美の双眸が揺れる。


「――分かりました」


 困ったように目を閉じて、それからゆっくりと頷く。まぶしいものを見るような視線を、自分を見つめる瑞穂に向ける。


「強いんですね、ミズホは」

「え?」

「タン、お願いします」


 視線を肩のストールに移して、言う。


「了承した」


 謹厳実直な声と共に、ストール――【含思型魔マスコット兼力増幅器ステッキ的存在】、タンが発光。庵美の全身を光が包み、彼女の【闘衣魔法少女服】が形成される。きっちりと着こなされた、黒の和服。帯と、所々になされた刺繍の赤が映えている。瑞穂や霧子のそれとは明確に異なるデザインは、動きやすさを度外視し、【術式形成】に特化したものだ。


「それでは、方針を説明します」


 肩にかけられたストールの位置を手で整え、二人に振り向いた庵美の顔は、もう完全にいつも通り。一片の動揺も見て取れない武原小のクールビューティー。その頼もしさに、霧子と瑞穂は顔を見合わせ思わず微笑む。

 彼女たちは皆、理解していた。この物語はもう決して、めでたしめでたしのハッピーエンドで終わりはしないということに。これからはじまるのは、最悪の中で選びうる最善を求める戦い。できる限りましなバッドエンドにたどり着くための物語。

 闇の向こうで、さらに黒々と渦巻く【魔気】が三人に迫る。【博士】の夢の成れの果て、総てを喰らう【暴走霊力炉】。それに立ち向かう三人には、しかしもう迷いの色はない。




 そうしてその夜、一つの魔法少女事件が終結を迎えた。

 死者、行方不明者438人。さらにその三倍近い負傷者を発生させたこれは、戦後最悪の魔法少女事件【武蔵ヶ原の十三夜】として呪術関係者の間に長く記憶されることとなる。

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