第97話「黒き勇者」
スペラとディアナはオルガを撃破した後、村人たちを追う事も考えたが既に察知範囲から離れすぎていて追う事は出来ない。
スペラの能力であれば一度触れていれば追う事も出来たが、あいにくその機会には恵まれなかった。
匂いを手繰るにも雨により洗い流されてしまっている。
猫、犬などの動物の嗅覚であれば追えなくもないのだが、それは標的が定まっていればの話であって関係のない者からいつの匂いなのかも具体的に判別が不可能な現状では、無造作に混ぜられた米の実った房を割り出すようなもの。
わかるはずもない。
それならば素直にアマトたちと合流を謀るのが得策というもの。
だというのに、現状その行動ができない。
ディアナはスペラを背に庇うように前に出て警戒を緩めることなく、その場から動こうとしない。オルガ相手でも全く動じることがなかったというのにその表情は余裕がないのが伺える。
「どうしたのにゃ」
「静かに……」
ディアナは一言呟くだけでそれ以上は何も言わない。
否、何かをぶつぶつと唱え続けている。
不思議な事に、何かを唱えながらスペラと会話を行ったのだ。
腹話術というものがあるが、一度に二つ以上の事を話すことができる者などそうはいない。これは多重詠唱を得意とするディアナの専売特許だ。
ディアナはスペラとの会話がこれ以上ないと判断し、さらに詠唱を追加。一度に二つの詠唱を口頭で唱えながら頭では3つ詠唱を行う。即ち現状5つの詠唱を行っている。
莫大な魔力、呪力、霊力、精霊力、法力の合わせ技から繰り出される複雑に絡み合った防御不可能攻撃でなければたいしょができないほどの強敵。
それが空高くからスペラ達を達観していたのだ。
スペラは視認するがそれが何かを理解することができない。
人の形をしただけの何かだとしか感じ取ることができない。
これが圧倒的なレベルの差から生じるものだとは本人は自覚することができない。
ディアナとのレベル差も相当なものだが月とすっぽんくらいの差だと言えば理解できるだろうか。
無論、圧倒的な差があることを例えることわざであれば比べることは出来るが、スペラとの差は最早比べることなど不可能な世界なのだ。
地球上にはいつくばる虫が自力では月にいけないようなもの。人間であれば科学の力を借りて月に行くことができた。
もはやスペラなど天から望む者からすれば虫と同等かそれ以下、眼中にはない。
ディアナをただ見つめるだけである。
外見こそ、黒髪、黒眼の若者にしか見えない青年。その容姿は物語の主人公のようで勇者や英雄と言われても何も違和感などない。
それが、モンスターを退治している場面であればの話である。
その瞳はディアナを見詰め、左手の盾は血に濡れ、右手の剣は赤黒くなりふき取った血が綺麗に拭きとれていない。
「……クインテッド・エルクライブラントライド」
ディアナの声が一瞬五つ別れたように僅かにエコーが掛って辺りに響き渡る。空中に停止している青年の正面、左右、上下の五方向に次元の穴が開きその穴から光に矢が解き放たれる。
その矢は光の速さで青年に向かって行ったが、青年は躱すことなくその矢に射抜かれた。
その矢は全て標的に突き刺さると互いの矢と繋がり茨のように絡みつき青年を拘束し、呪い、腐敗、燃焼、爆破、精神汚染をもたらす。本来は矢ごとに付随する効果がリンクすることで全ての矢にその効果がもたらされる。
しかし、青年は表情一つ変えずに一言呟いた。
ディアナたちにその声が届くことはない。
天と地ほどの距離があれば、口の動きすら確認はできない。
むしろ、それだけの距離があるにもかかわらずその存在を視認できたディアナが優れていたのだ。
スペラも何かがいるという事は察知能力で知ることができたのだが、知るだけならば難しくはないという事なのだ。
それ以上ともなれば話も変わってくる。
青年はこう言ったのだ。
『愚かだ』と……。
ディアナは心臓を射抜かれていた。
地面に倒れ伏す少女に何が起こったのかわからず、呆然と立ち尽くす猫耳少女。
上空の気配は消えていた。
ディアナの胸には手のひら大の穴が開いていたのだが、徐々に塞がっていく。
ふつうの人間であれば死んでいた。
即ち……
「み……見逃し……てもらった……みたい、ね」
「そんにゃ……」
涙を浮かべるスペラは状況が理解できていなかった。
胸を射抜かれて見逃してもらったとはどういうことなのだろうと。
理解できないのも無理はない。目の前でくり広がれていた事の何一つとしてわからなかったのだから無理もない。
大量の血を失い、息も絶え絶えの瀕死のディアナを背負いアマトたちとの合流を果たすためにスペラは歩き出した。
ディアナは射抜かれたというのだから、それは線という事。
ディアナを貫いた線の行きつく先には動かなくなった骸が転がっていた。
その骸の事は二人は知らない。
もしも、ディアナを貫くことがなければスペラは死んでいたのだから……。
青年は気まぐれでスペラの命を救っていたのだ、レイブオブスの刺客から。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます