風見夜子の死体見聞 続短編/著:半田畔

富士見L文庫

『風見夜子とラブコメディ』

act.1-1


 家をでると、目の前に日本人形がいた。よく見ると風見夜子だった。日本人形であればまだマシだったが、幼馴染で間違いなかった。

 彼女は塀によりかかり、本を読んでいた。いや違う、読んでいるフリだった。表紙が逆さまになっている。朝から知的な行動をしている自分をアピールしたかったのだろうか。

 おれに気づいた風見が本をその場で捨てた。知的ではない。

 深い青色の瞳が、おれを見つめてくる。

「おはよう。一緒に学校にいきましょう、凪野くん」

「なんでいるんだよ」

「別にこれが初めてということではないでしょう、バディ」

「その呼ばれ方は初めてだ」

 ついこの前までは、通学路の途中の電柱に隠れて挨拶してきた彼女だったのに、いまでは自宅の目の前ときている。ついでにいえば、彼女がわざわざ自分の家をでて、学校へ行く間に遠まわりをしてここまで来ていることも、おれは知っている。うれしいかうっとうしいかでいえば、八割がたうっとうしい。

 風見の捨てた本を拾いあげると、『爆弾のつくりかた』とあった。いますぐ捨てなおしたかったが、自宅でもある定食屋の目の前に、こんな本を捨てられては営業妨害にもなりかねないので、仕方なくカバンにおさめた。

 並んで歩く。彼女の長い黒髪が揺れて、肩に触れてくる。六月の末で、いまだに空気はむしむしとしていた。風見から、かすかに汗のにおいがした。嫌なにおいではなかった。

「あなたのところの定食屋さん、何時からやってるの?」

「七時だが」

「ねえ凪野くん、毎日あなたの味噌汁が飲みたい」

「奇抜なことをいうな」

「毎日あなたの脳みそ汁が飲みたい」

「奇怪なことをいうな!」

 なんだ、脳みそ汁って。

 見上げれば電線にとまっている小鳥が、青空に向かって爽やかに鳴いているというのに、おれの頭のなかは脳みそ汁のことでいっぱいだった。

「それに味噌汁うんぬんのくだりは、本来、男であるおれが、女にいうものだろ」

「凪野くんが男? 奇妙なことをいわないで」

「おれの性別になんの違和感があるんだよ」

「わたしが体を張って助けた凪野くんのあのときの姿は、とてもとても女々しいものだったけどね」

 二か月ほど前。おれは風見に自分の命を救われていた。

 彼女は、これから死ぬはずの人物の死体が視える、目の持ち主だった。風見が『未来の死体』と呼んでいるそれの救済に、命を救われたことからおれも手伝わされてきた。

「男らしい場面も見せてきただろ」

「そうね。ひとを殺しかけたわたしを止めてくれた凪野くんは、かっこよかった。二階の自室のカレンダーの裏側にクリアファイルをはりつけて、エロ本を収納している凪野くんも男らしかった」

「なんで知ってんだよ!」

「このデータ情報化社会で、いまだに紙媒体って……」

「ほっとけ!」

 見上げれば青空を背景にして、いくつもの雲が優雅にただよっているというのに、おれの頭のなかは新しい本の隠し場所を模索するのでいっぱいだった。

 おれがただ成人誌を収集しているだけの人間ではないという証拠に、彼女がひとを殺そうとしたところをとめたことは、確かにある。

 きっかけとなったのは、ある男の存在だった。

 未来の死体となる相手を助けるために、運命を変えてきた風見は、ひそかに敵をつくっていた。それも常識では測りきれない強靭な相手だ。

 あいつは風見と同じ、未来の死体を視ることができる目を持っていた。それを利用して、人間の死に関わるビジネスを展開していた。死神とも、死の商人とも呼ばれている。

 同じ力を持っていても、風見とあの男では、使い方が違っていた。同じ目を持っていても、二人には見えている景色が違う。思想的には風見の敵だ。人類の敵と表現しても、言いすぎではないのかもしれない。

 死神との一件がひと段落して、二週間。記憶がいまでも鮮明に焼きついていて、気持ち的にはもう少し休息が欲しいところだった。

「頼むから、通学路の途中で死体を見つけるとかやめてくれよ」

「そんなに怯えないで、男らしいところを見せてよ」

「怯えていない。面倒なだけだ」

 昔から、おれは自分が一番好きだった。他人が火につつまれていれば、持っている水を自分にかぶせるような男だった。いまでは少し心境の変化もあって、身の回りにいる親しいやつらくらいになら、一緒に水を分け与えてもいい気がしている。

「ねえ凪野くん。あそこを見て」

「なんだよ、まさか未来の死体か?」

「猫が交尾してる」

「お前はもう少し女らしさを身につけろ!」

 とはいえ、味噌汁をつくる風見の姿など、やはり想像できなかった。

 学校に向かいながら、何度か「ねえ凪野くんあそこを見て」遊びに付き合わされ、そのたびにくだらないものを見せつけられたのち、ようやく校門についた。

 何事もなく通学ができて、ひと息つけそうだった。ようやくさわやかで、優雅な青空をゆっくり見られそうだった。

「ねえ凪野くん、あそこを見て」

「見ないよ。なんだよ」

 おれの態度を無視して、風見は行く手を指差す。そこには何もなく、昇降口へと道が続いているだけだ。だけど彼女には、おれには視えない何かが視えている。

「うちの学校の、男子生徒みたい」

 こういう事情に関して風見は嘘をつかない。まぎれもなく、未来の死体だ。

 現実から逃れるように、天をあおいだ。むなしい青空だった。

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