第12話

 目が覚めるとベッドの上だった。


 当然だ。

 前の晩はちゃんとベッドで寝た。結局たいした事はわからなかった。


 今日はサツマイモの収穫をする予定だったはずだ。農業着に着替えなくては。





 個室から出て、普段となにか違う事に気がついた。


 全体的に騒然としている。


「どうしたの?」


 ファイブが慌てたように通り過ぎようとしていたから、取っ捕まえて聞いてみる。


「ワンが…ワンが暴れているのよ!!」


「え、なにそれ?」


 胸がイヤな音を立てる。


「とりあえず、そこに連れて行って!」


 玄関ホールには、ありえないくらい人が集まっていた。普段、二棟にこれだけ多くの人が集まる事はない。


「どういう事なの?」


 明らかに様子がおかしい。みんな、なにかの拍子に爆発してしまいそうな危うさがある。


 ファイブに取りすがるようにして、引っ付いた。


「分からない。朝起きたら、ワンがみんなに職員の人たちをやっつけるように言ってて…あたし、どうしたらいいか分からなくて」


 怖い。


 怖い。


 世界は姿も見えぬ侵略者に侵されていた。


 ワンの声がホールに響く。


「みんな、戦え!」



 そのかけ声とともに、あちこちで職員との小競り合いが始まった。

 小競り合いなんてものじゃない。

 圧倒的な暴力だ。


 職員一人にたいして、大勢で群がるような。

 職員の数が少ないのもあるけど、全体の半分くらいしかいない。

 みんながここにいるわけじゃないのかもしれない。


「おまえ、裏切りやがって! 自分だけ逃れられるとおもうなあ!」


 男の声がホールに響いた。


 聞き覚えがあると思ったら職員の声だった。

 必死に目を凝らすと、その職員がアタラにつかみかかっていた。


 職員同士がどうして。


「ここが消えた所でなにが変わる! 所詮、手を変え、品を変え、同じような機関が存続し続けるにきまっているだろう」


 アタラの口が小さく動く。


 わたしにまでは聞こえなかったけれど、相手にはばっちり聞こえたらしい。


「!」


 腕を振り上げ、アタラを投げ飛ばした。




「あ…、あ…あああ」


 わたしは見ている事ができなくなって、駆け出した。


 廊下を抜けて。

 裏口も通り抜ける。


 さいごに、幼い頃繰り返し登った木までやってきた。


 どうしてこんなことになったんだろう。


 わたしは自問自答した。

 分からない。

 分からない。


 でも、よく考えたら、世界の滅びの兆しはたしかにあったような気もするのだけど。


 だれでもいいから、側に来てほしかった。

 よく分からないまま、涙が溢れてくる。




 どのくらい泣いただろう。


「やっと、見つけた」


 しゃがみこんだままのわたしの腕をつかむ手がある。


「いや…!」


 わたしは反射的に、その手を振りほどこうともがいた。


「おちつくんだ、僕だ」


 その切羽詰まった声に動きを止める。


「あ、アタラ…?」


 アタラだった。

 険しい顔をやわらげ、いつものように優しく笑みを浮かべた。


「そうだ。僕だ」


 人に会えた安心から思わず、その懐にとびこむ。

 アタラはその腕をわたしの背中に回した。


「だいじょうぶだよ。だいじょうぶ」


 声を聞いているうちにだんだんと落ち着いたわたしは、しがみついたままアタラに質問した。


「どうなっているの?」


 アタラは珍しく口ごもった後、答えてくれた。


「いいかい。魔法が飽和状態になって、解けるときがきたんだ。この世界は、異世界に吸収されるんだよ。その為の応援ももう近くに来ているはずだ」


 そんな…。

 震えが止まらない。


「だいじょうぶ。怖がる事はない。きみはもう何回も異世界に行ったじゃないか。さあ、おいで」


 アタラは立ち上がると、わたしの手をひいた。


「どこに行くの?」


「いいからおいで」


 頬を真っ赤にしていてもアタラはアタラだった。安心する。

 アタラはなにも言わず、わたしの手を引き、庭を抜けていく。そして、小さな古びた木戸までくると、鍵を差し込み、扉を開ける。


 そこには見た事がない森があり、ちいさな道が一本続いていた。


「さあ、行くんだ」


 そう言って、わたしの背を押し出す。


「え…アタラは?」


「僕はここに残るよ。まだやり残した事があるから。だいじょうぶ、ショウ君がふもとで待っている」


「そういうことじゃなくて…」


 わたしの話を聞いていない。

 アタラはわたしの体を無理矢理押し出すと、いつかしてくれたように頭を撫でた。


「これから大変だろうと思うけど、がんばるんだよ」


 今まで見た中でも、とびきりの優しい笑顔を浮かべる。

 でもそれが、どうしても別れの挨拶のようにしか見えない。


 もう、会うつもりはないんだ。


 その事実をみとめたくなくて、白衣にしがみつく。

 けれど、アタラは、取りすがる私を引きはがすと、扉を閉めてしまった。



 わたしはどうすることもできずに、立ち尽くす。

 けど、このままではいけないのは、泣いてぼんやりした頭でもわかった。


 言われた通りに道を下り始める。


 一度止まったはずの涙がまた溢れてくる。


 涙を流しながら、声をあげずにただ黙々と歩いた。



 道の終点でクルマの前に立つシュンが視界に入る。


「行こうか」


 シュンはそれだけ言うと、わたしに後頭座席の扉を指し示した。


「どうして、いるの?」


 わたしの質問にシュンは困ったように答える。


「アンタの保護者に頼まれたんだ」


「そっか、ありがとう」


「…いいから」


 座席に腰を下ろす。

 シュンは泣きはらしたわたしの顔を見て、眉根を寄せた後、がまんならなくなったのか肩をつかんだ。


「アンタが気にする事じゃない」


 なにをだろう?


「アイツはアンタを助けたかもしれねえけど、他に悪い事もいっぱいやってんだ。それにアイツはアイツでやる事があるんだろう?」


「それはどういうイミ…?」


「アンタの治療は終了したって言っていた。終了した以上、アンタがこれ以上、かかわる必要はないだろ」


 わたしはなんだか悲しくなった。

 滂沱の涙を流しつつ否定するわたしに、シュンは困り果てたようだった。


「わかったから。でもとりあえずクルマに乗れよ。見つかっちまう」


 腕をつかむシュンをやんわり引きはがす。


「ごめん、いけない」


「なんでだよ」


 なんでだろう。

 わからないけど、このまま離れちゃいけない。

 そう思った。


 どうして?

「だって…」


「だって?」


「わたしの世界はあそこだもの」

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