第166話・陰水とのこと


 ◇プレイヤーの呼吸率は30%です。



 誰かの手によって水中から助けられたオレの呼吸率が徐々に回復していく。

 いくら仮想現実の中でも息苦しさが半端じゃない。

 ヘタしたらショック死するくらいだったからな。


「シャミセンさんっ! 大丈夫ですか?」


 声が聞こえそちらに目をやると、テンポウと白水さんが、不安と安堵の表情でオレを見下ろしていた。


「大丈夫ですか。シャミセンさん」


「……ローロさん? なんでここに?」


 フードを被ってはいたが、そのおおきな身形と頼りがいのある渋い声は、たしかにローロさんそのものだった。


「あはは……今さっきようやく第二フィールドに入れたんですよ」


 どうやら[エメラルド・シティ]へ向かおうとしたさい、白水さんとテンポウが慌てているのを見かけ、こちらへと足を向けると、二人が水面に向かってオレのことを叫んでいたらしい。



「あ、そういえばあのヤドカリとヘビはどうなった?」


「それに関しては、私とテンポウさんで片付けることができました」


「多分パーティーになっているシャミセンさんにも経験値が入っているはずですよ」


 そう言われ、ステータスを確認してみると、


 【シャミセン】/見習い魔法使い【+5】/8320K

  ◇Xb:7 次のXbまで:17/70【経験値227】

  ◇HT:43/154 ◇JT:143/343

   ・【CWV:20+2】

   ・【BNW:20+2】

   ・【MFU:23】

   ・【YKN:19】

   ・【NQW:34+15】

   ・【XDE:88+14】



 なんかすごい増えてる?


「おそらくレベルの高いモンスターを倒したことによる恩恵が入ったんじゃないでしょうか」


 たしかにヤドカリのXbが10だったから大金星ってことになるわけね。



「それにしても……」


 オレは水中で起きたことを頭の中で整理した。


「溺れていたオレを助けてくれたのってローロさんですか?」


「いや、俺はあくまで水中に誰かがいて、モンスターに攻撃されているのではと思ってライトニングの魔法を使ったんですが」


「使った? そのわりにはなんか奥歯に物が挟まったような言い方ですけど」


「それがさほどダメージがなかったんでしょうな」


 ローロさんがうそぶいたところでなんの特もない。

 ということは――誰かがやったってことか?

 もしかして……漣が助けてくれた?


「……わけないか」


「なにか心当たりでも」


 オレのつぶやきに対して、ローロさんたちが首をかしげる。


「あ、いや……大したことじゃないですよ。オレの勘違いかもしれないし」


 オレはローロさんの問いに対して、曖昧な返事を返した。

 こんなこと誰に話したところで信じないだろうし、そもそも漣の実兄であるローロさんの手前話せることじゃない。



『……このギアってさ……本当に人の感情だけを読み込んでいるのかな?』


 漣の幻聴が言っていた言葉。

 たしかにこのVRギアは人の感情を読み取り、それをステータスに反映させるという機能がある。

 しかしその反面、ギアから脳へと干渉させるようなことはしていないはずだ。

 もしかして……漣が自殺した原因と、NODで起きている不審な事故死って――なにかおおきなつながりがあるってことか?



 ♪



「どういうこと? フチン」


 [セーフティーロング]の社長であり、わたしの父親フチンごと孫五龍に、NODで起きていることを聞いての事だった。

 ビデオチャットで、中国にある実家に暮らしているフチンは苦痛に満ちた顔でわたしを見つめている。


『フチンもそのことを気に病んでいるんだが、どうにもハッキリとした証拠がない』


「でも、現にギアのデータが壊れるなんてこと、普通はないはずだよ?」


『うむ。ギアを初期化することは可能だが、ユーザー自ら初期化フォーマットするというシステムプログラミングは入れていないし、そもそも外部からそのようなシステムがあれば注意喚起をしている』


「それにNODで起きていることは、夢都さんの時みたいにゲームの中にハッキングしてじゃなく、プレイヤーの意識に取り憑いて……」


 わたしはその先を喉の奥で押し殺した。

 もし本当にそんなことがあったとすれば、それはフチンの懸念材料である、ギアが人の脳に干渉することと他ならないからだ。

 フチンが作ったVRギアの特徴は、人の脳波を感知し、その命令によって動きに変化をつける、いわゆるB・M・Iをフルに活用したものだ。

 たとえば水の中に入ったことで、脳がかすかに息苦しいと感じれば、プレイングキャラにもその影響が出る。

 だけど、それはあくまで脳波をギアが読み込んで演出していてのことで、ギア自体から脳への干渉はしない。

 したとしても、セーフティーロックがかけられているから、障害を与えるようなことはないはずだ。

 ゲームの中でも感覚を体験するという意味で、痛感共通設定が付けられているが、100%……つまり痛みをそのまま体感する設定にしていない限りは、微かな痛みも感じない。

 逆に言えば、その設定さえしていなければ基本的には無害と言ってもいいはずだ。



「ねぇフチン、シャミセンさんっているでしょ? 星天遊戯でとんでもない幸運値のプレイヤー」


『うむ。噂は遠い中国のこちらにも届いておる。お前と恋華がお熱だというプレイヤーだということもな』


 そう言いながら、PCの画面に写っている老人はカラカラと笑う。


「うぅむそうでもないんだけど」


 自分でも好きか嫌いかと言われると、好きに近いのはわかるのだけども、父親から改めて言われるとなんか否定したくなってしまう。


『あははは、それでそのプレイヤーがなんと言ったんだ?』


 それを察してか、フチンは微苦笑を見せながらも話の続きを促した。


「あぁっと、フチンの作ったプログラミングに関与できるようなそういうことがあったんじゃないかなって」


 もしくはわたしが考えているような視覚による催眠とか。


『うむ。自慢じゃないがそんなやわなプログラミングではないぞ。わたしの作ったギアシステムはな』


 ガハハと、フチンは胸を張る。


「そ、それは病院で植物人間だったわたしも脳波だけでプレイしていたからわかるけど、でももしもってことがあるでしょ? 自分を過信するなってよくムチンから言われてたじゃない?」


『あははは……それを言われるとな。しかしあのプログラミングに関与できるほどならば、そもそも人のゲームに入り込んで悪さはしないだろう』


 フチンはすこし考える素振りを見せてから、


『そのシャミセンさんの友人である宝生漣さんが投身自殺したというのは、星藍はどこまで知っているんだ?』


 と聞き返してきた。

 わたしは煌乃くんから聞いた宝生漣さんのことを思い出しながら、


「ネットの中でイジメを受けていた。現実でも似たようなことを受けていたって。まったく赤の他人からしてみれば、傍からしてそれを苦に自殺したと傍目にはそうなるんだろうけど――、どうも違う気がするんだ」


 と、自信なく応える。


『うむ。どうしてそう思うんだ』


 そんなわたしの顔色を窺ってか、フチンはけげんな目で問いかける。


「その漣さんが、わたしやナツカ……ケンレンも昔やっていたMMORPGのトッププレイヤーだったの。その人と偶然野良パーティを組むことがあったんだけど、正直いって、わたしのほうが足手まといになるんじゃないかってくらいだった。ただあくまでゲームの中での付き合いだったから詳しくはわからないんだけど……」


 あの時一緒にプレイしていてわかったことがある。


「エレンさんが、そのシャミセンさんの想い人だった宝生漣さんだったとしたら、彼女が自殺したことが本当に信じられない」


 わたしの言葉に、フチンは唖然とする。


『自殺した人間を悪くいう気はないが、結局それは憶測ではないだろうか?』


「それはわかってるけど、軽はずみな行動や言動で恋華を苦しませてしまったからこそ言えるの。あれだってヘタしたら自殺行為だったから。でも支えになるかもしれないシャミセンさんの目の前で自殺したことはどうも信じられないでいるし、なにかメッセージがあったんじゃないかなって」


『メッセージ……か――、遺書や殴り書きされた書物がなかったことから自殺は計画的ではなく、なにか突発的なものと考えられる』


 ある程度当時の新聞記事を読んでいるのだろう。

 まぁネットで新聞記事を調べることは可能だし、フチン自身日本語はわたし以上に読めるからなぁ。


「それにNODで起きていることだって、ほとんどが健康優良とも言えるプレイヤーが不審な死を遂げている。そうなるとやっぱり漣さんの自殺も、それに関係しているんだとわたしは思うんだ」


『フチンも自分が作ったプログラミングに確かな自信があるというわけではない。もしかしたらちょっとした設定ミスからおおきな亀裂ができているのではと今でも思ってしまう。社長という立場上、一概のプログラマーとして関与するというのができない』


 わたしの問いに、フチンは頭を抱えるように答えた。


「社長という立場上、一概のプログラマーとして関与するというのができない?」


 ふと聞き漏らすことのできない言葉があったので、わたしはそれを鸚鵡返しした。


『社長としての責務が思った以上にキツくてな。企画提案が通されたゲームの監督ディレクションもせねばならんのだ』


「それじゃぁ今のアップデートってフチンが作ったものじゃないってこと?」


『いや、システムの大本はフチンが作り上げたものだ。それにもし人の脳波を読み込むのではなく、ギアが人の脳に影響をあたえるようなプログラミングがあれば、強制的にギアのシステムを制止する仕組みにしているし、最終確認だけはしっかり私がしているからな』


 痛みを走らせたり、脱力を与えるというのは、細心の注意が払われている。安全面には徹底しているってことか。


「フチンが人を傷つけるようなシステムを作るとは思っていないけど、そういうことならやっぱりゲーム内での演出ってことになるのかな?」


『そうとは言い切れないが、しかしその宝生漣さんがVRギアのテストプレイヤーだったことも、こちらで調べ上げられたからな』


「あれってたしか抽選だったよね?」


 それに関しては偶然だったとしか思えない。


『それにVRギアが完成したさい、テストプレイヤーにギアを譲渡したが、きちんと初期化した状態であちらから登録してもらうようにしていたはずだ』


 それがどういうわけか、宝生漣さんのところにはギアに彼女のアカウントが登録された状態で送られている。


「誰かがそれをわざと仕組んだってこと?」


『そう考えられるな』


 フチンがうしろを振り返る。部屋に誰かが入ってきたのだろう。

 わたしはすこしカラダをうしろへと引き、モニターのうしろを見ようとした。

 フチンのバストアップが、わたしのPCモニターに表示されている無料会話ソフトのウィンドゥに映されているだけで、フチンの部屋の奥が見えるというわけがない。

 かと言って、覗きこもうとしたところで見えないのはする前からわかっているはずなのに、やってしまうのはどこの国の人でも一緒なのだろう。


「お仕事?」


『うむ。済まないな、もう少し話がしたかったのだがどうやら仕事の連絡があったみたいでな』


「ううん、元気そうでなによりだった」


恋華の顔も見たかったがな』


 そう言いながら、フチンは後ろ髪を引かれたような表情を見せる。

 ちょっと、わたしと話している時と違って、本当に残念そうな顔しないでくれないかな。


「恋華ならまだ部屋でくつろいでいるか、寝付けないかだろうけど、呼んでこようか?」


『いや、もうそろそろ寝る時間ではあろうから邪魔をしてはいけないし、旧正月には毎年会えているからな。楽しみがあると仕事も結構捗るものだぞ』


 そう言うと、フチンは通話を切った。

 PCモニターにはわたしの好きなアニメのキャラの壁紙と散らかったアイコンが映し出されていた。



「……ふぅ」


 わたしはすこしだけ嘆息を吐くと、椅子の背もたれに身をゆだね、天井を仰いだ。


「フチンのほうもまだ解決の糸口が見つかっていないってことか」


 星天遊戯ならとにかく、NODの中ではあくまでプレイヤーでしかないわたしが、ゲームの事で口を出すことができないことくらいはわかっている。


「でも助けてあげたいって思っちゃうんだよな。借りっぱなしは癪だし」


 椅子から立ち上がり、クローゼットへと足を向ける。


「やっぱりデートっていった手前、ドレスコードをどうしようかな」


 時計を見ると午後十時四五分を回っていた。

 そろそろ布団に入って寝たいけど、明日のことが気になってしょうがない。



 さて、こういうのは前日に決めるのがいい。

 ハッキリ言って、当日に着ていくものを選んで相手を待たせるというのは愚の骨頂。

 選び悩んだところで相手にどういう印象を与えるかによって、その日一日を失敗してしまう。

 ならいっその事前日に決めたほうがスムーズに行く。


「あっと、明日は曇のち晴で、少し肌寒くなるだろうから、そんなに薄手のものを着たらカラダ壊すだろうな」


 季節の変わり目ほど身体を壊しかねないしね。

 クローゼットにかけている洋服を物色し、明日着ていく服のコーディネートを色々と考えていくと、不意に何種類もある洋服カードを組み合わせ、高得点を目指すような、そういうファッションコーディネート系のゲームを思い出してしまい、思わず、


「なんかこう、テーマみたいなのがあったら結構楽なんだけどなぁ」


 とちいさく失笑してしまった。

 大学に行く時も、実を言うとさほど周囲の目を気にしない性格だったからあんまり意識せず、目に止まった服しか着て来なかった。


「煌乃くんにどんなのがいいか聞いてみようかしら」


 と思ったが、おそらくレポートを書いているか、NODか星天遊戯のどちらかにログインしているだろうと思い、グッとスマホを睨むだけにした。


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