第18話 「ヒラメのお寿司」 妖怪「任せられない」登場
1
心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる
天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う
てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る
定年が近いということで、会社に尽力してきた労をねぎらい、部下たちが金を出し合って油絵の肖像画をプレゼントしてくれることになった。
花菱四天王に数えられ、群れずに独立独歩を貫いた男だ。だから部下には厳しい。自分の時はそんなものではなかったと、部下には容赦ない。役員で現場を離れていても、「現場とは人と人だ」という信念から、いまどきの現場を叱責する。ヌルイやり方をするぐらいなら、彼は「貸せ」と何もかも一人でやってしまう。
タクシーに乗っても、近道を知らない運転手に向って道を教える。時間帯によって変わる信号のタイミングの違いまで熟知してるから、青信号を繋げていく最速の走り方まで知っている。世界各国で泥水から高級料理まで食べてきたから、そこいらのシェフより舌が確かで料理の腕もある。下手なシェフなら「貸せ。わしにやらせろ」と厨房に上がりこみ、実際にシェフより旨い料理をつくってしまったことも、何度もあった。部下の交渉がぬるければ一人で先方に出向き、一人で契約を取りつけてきてしまう。水谷の「貸せ。お前らには任せられん」が出るとき、周囲の部下達は震え上がるのだ。
もう定年で勇退なんだから静かにして下さいよ、と長年直属の部下だった
モデルなどやったことのない水谷は、最初こそ緊張していたが、雰囲気に慣れてくると自分がどのように描かれているか気になった。
「どれ、そろそろ見せてくれんか」と、水谷は画家に尋ねた。
「まだデッサン段階なんで」と、画家はゆっくりと構えている。
せっかちな水谷は席を立ち、デッサン中の絵を覗きに来てしまった。
「なんだ。任せられんのう。貸せ」
水谷は若い画家の木炭を取り上げ、がしがしと描き込みをはじめた。
「わしはこれでも、昔画家になりたかったのでな」
その画家よりも上手い絵を、そう言って水谷はたちまち描き上げてしまったのである。
水谷の右肩にはいつ頃からか、妖怪「任せられない」が取り憑いている。そのことには本人も周囲も気づいていない。そう、我らがてんぐ探偵シンイチに出会うまでは。
2
水谷は
「坊主、御茶ノ水へ向かうぞ。嫌なら降りろ。嫌じゃなければこのまま乗せてってやる。運転手さん、御茶ノ水へやってくれ」
と、水谷は動じるでもなくタクシーを発進させた。
「別に構わないよ。僕はあなたと話をしたいだけだから」
「ほう。誰だね? アラブからわしを暗殺にでも来たのかね?」
「全然。あなたに妖怪が取り憑いている、って警告しに来たんです」
水谷は面白がった。
「これは面白い。インチキ霊媒師なら世界中で見て来たぞ。アメリカの超能力捜査官も、ナイジェリアの心霊治療師も、タンザニアのブゥードゥーも、全部インチキじゃったぞ」
と、急に水谷は運転手の道に文句をつけた。
「今の右にやるより、直進で一個先右折のほうが良いのに」
天狗面の少年シンイチは、タクシーのルームミラーを指差した。
「鏡を見てください。あなたの右肩に取り憑いているのは、妖怪『任せられない』です」
「ふむ」
妖怪「任せられない」は、マンガの王様のような顔をしていた。鮮やかなスカイブルーの体に高い鼻だった。金色の立派な髭をたくわえ、小さな王冠まで被っている。それが自分の右肩にいるのを、水谷は鏡越しに確かめた。
「なんじゃこりゃ。さっきトイレで鏡を見たときはおらなんだぞ」
「妖怪『心の闇』は普通の人には見えないんですが、名前を自覚すると、取り憑かれた宿主には鏡越しには見えるみたい。あなたは、『人に任せられない心』になっていますね?」
妖怪「任せられない」の立派な金色のヒゲが、車の振動に合わせて揺れている。水谷は運転手に指示しながら、鏡越しに天狗面のシンイチに尋ねた。
「その信号のワンブロック前で止めてくれ。……坊主、わしは他人に任せるのがとても嫌じゃ。全部自分で出来るものならやりたい。というか、やっている。それは、この妖怪『任せられない』のせいだというのか」
「驚かないんですね」
「長年世界で色んなものを見てきたからな」
二人と一匹はタクシーから降りた。
「お前は何者じゃ」
シンイチは天狗の面を外し、素顔を見せた。
「妖怪『心の闇』を退治する、てんぐ探偵。高畑シンイチといいます」
水谷は動じないまま歩き出した。
「歩きながら話そう。わしは得意先に二時までに顔を出さなければならんのでな」
シンイチとネムカケはついていった。すっかり水谷のペースに乗せられてしまっている。
「で? 妖怪が取り憑くとどうなるのだ? 体を蝕むのか?」
「おそらくですけど、蝕むのは心だけです。心の変調によって体が調子崩すときもあるけど、基本は心です。心を蝕み、そこからエネルギーを吸うみたい」
「そうか。では、こやつのせいではないのか」
と、水谷は自分の胃の辺りを撫で回した。
「?」
「もうすぐ、わしは手術しなければならんのだ。腫瘍が胃に出来ていてな」
「手術?」
「うむ。妖怪のせいでないとすると、胃に出来た腫瘍はわしの不摂生が原因か」
「えっ。手術するのに働いて大丈夫なの?」
「大丈夫ではないが、仕事は他人に任せられん性分だからの」
「それだよ! それが妖怪のせいなんだって!」
「性格じゃろ。昔からそうだぞ」
「いつからか、酷くなったりとか」
「エスカレートはしたかも知れんが、明確な一点などないのう」
ガラス張りの近代的ビルの前に、一行はたどり着いた。その前に、背広姿の男たちが待ち伏せしていた。水谷は顔を険しくした。
「古川、何故ここにいる?」
直属の部下、古川だった。部下を連れて直訴しに来たのだ。
「水谷さん。一回、俺のやり方でやらせてくれませんか」
「ふん。わざわざ俺を捕まえに来て言うことはそれか」
「俺たちが折角金を出しあって呼んだ画家さんのメンツは潰すし、まあそれは今は本題ではないんですけど、そろそろ引退なんですから、俺に任せることも考えてくださいよ」
「ダメだ。任せられん。ここの人と俺は何年の付き合いだと思ってる。アフガン紛争以来だぞ。ゲリラの銃弾を一緒にくぐった仲じゃ。向こうさんも、俺だから信用してくれるんだ。ぽっと出のお前のやり方を信用してくれる訳ないだろう。……話はそれだけか」
水谷は急ぎ足でそのままゲートをくぐり、ビルの中へ入っていってしまった。
残された古川と他の男たちは、その背中を見てため息をついた。場違いな少年と太った老猫は、交互に古川と水谷の背中を眺めていた。
「あのおじいさん、来週手術するって言ってたけど」
とシンイチは古川に話しかけてみた。
「どうして聞いたんだ?」
「えっと、そう、友達になったんだ!」
「あの古狸、誰とでも友達になるんだな」
「入院するの?」
「あと三日で」
「病院は? お見舞いにいかなきゃ」
「
「……ひとつ聞きたいんだけどさ」
「何?」
「まさか手術も『任せられない』って、自分でやったりしないよね?」
「まさか」
古川は一笑に付そうとしたが、確信は持てなかった。
「いや……あの人なら、あり得るかも」
3
「よう高畑シンイチ君。話の途中だったな。スマンスマン」
「名前一発で覚えてるなんて!」
「それも仕事の一部でな。わはは」
三日後、シンイチはネムカケを連れて愛宕第一病院の水谷を訪ねた。ベッドに寝かされた水谷は、病人とは思えない元気さで大声を張り上げた。
「わしのアレはどうなってる?」と肩を指差した。
「変わらず」
妖怪「任せられない」はニヤニヤするでもなく、尊大な顔で世間を睥睨している。
「そうか。そうだろうな。ところで、ちょっと待ってくれぬか」
「うん。勿論」
個室の病室には、スーツ姿の会社員たちが列をなして水谷の前に並んでいたからである。水谷は彼らの書類を見ては、赤いボールペンで何もかも修正を入れていた。
「これも駄目。これも駄目。全くわかっとらん。お前、何年目だ?」
「八年目です」
「精進せよ」と水谷は赤の入った書類を突き返した。
「ありがとうございました」
「次」
まるで空手の百人組手だ。次々に部下達の書類を直しては次の書類へ。赤いボールペンで部下達をメッタ斬りにする武道家のようである。
列の最後は、古川だった。
「古川。お前も直して欲しい書類があるのか?」
古川は手に何も持っていなかった。話をつけに来たのだ。
「俺が水谷さんの部下の歴史が、一番長いんだ」
「それでも結局何もならなかったではないか。わしのやり方を盗みもせず、改良もしなかった。出来の悪い弟子じゃ。それが今更自分のやり方だと?」
「俺はアンタじゃない。アンタも俺じゃない」
「ふん。任せられる訳ないだろう。『尻ふかせの古川』なんかにな。どうせわしの尻拭いの量が増えるだけだろう。ケツの汚い奴めが」
「手術の前後、契約業務を止めてあなたを待てと言うんですか」
「デカイ契約だ。お前は経験したこともない。お前になぞ任せられん。さっき行列してた奴らにもじゃ。全く仕事というものを分っとらん」
「……」
「話は以上か。では帰れ」
「……じゃあ、七日まで止めます」
「五日には復帰する」
「傷が塞がらないでしょう」
「同じくこのベッド上で仕事をする。問題ない」
古川はこれ以上の説得をあきらめ、悔しそうな表情を残して病室を去った。
「待たせたの。妖怪退治の少年よ」
老人は急に優しくなり、シンイチに声をかけた。
「悪いが、扉を閉めてくれんか」
シンイチは扉を閉めた。水谷の肩の妖怪「任せられない」は、少し大きさを増したように感じられる。
「実はな、わし、怖いんじゃ」
「手術が?」
「違う。わしの体を他人に預けることがじゃ」
「でも、手術ってそういうものでしょ?」
「出来るなら『貸せ』と医者からメスを奪って、自分で内視鏡をのぞきたい所じゃ。だが医学の知識は何もない。わしはそれを指を咥えて見ていなければならん。そんなの危なっかしくてしょうがない。怖くて怖くてしょうがないんじゃ」
「お医者さんを信用できないの?」
「今まで命すら自分で守ってきた。今更他人に命を預けられるか!」
「じゃ誰なら信用できるの?」
「誰も信用できん、と言っておるのだ!」
息を荒げた水谷は、窓を見て落ち着きを取り戻した。どうやらその窓に自分の「任せられない」が映っていることに気づいたらしい。
「……担当医が信用できないから、そやつの手術を昨日見せてもらった。これまでの経歴も調べ上げた。失敗した手術は三例。数百もの手術をやって来てだ」
「すごい成功率じゃん」
「しかしわしが四例目にならぬ保証はない」
「大丈夫だよ」
「世の中に絶対はない。ないから、自分でやるのじゃ。自分でやって失敗したなら、誰の責任でもなくわしの責任じゃろ。それなら死んでも納得がいく」
水谷は窓にうつった「任せられない」から、遠くへ視線をうつした。
「わしは二十歳のときに親友を失った。医療事故だった。ちゃんとやれば大丈夫だったものが、ついうっかりで命を失ったんだ。あいつも『ついうっかり』で死ぬなんて、納得いかないと思う。だからわしはそれ以来、わし一人の手で何もかもやって来たんだ」
「……水谷さん、優しい人なんだね」
「どこが?」
「他人に失敗の汚名を着せないようにしてるんだね」
「ふん。……他の奴まで責任取れんだけじゃ」
妖怪「任せられない」の白んだ目を、再び水谷は見た。
「せめて眠ってる間に全部終わってたら、何も考えなくて楽なんだが……」
水谷はため息をついた。今まで黙っていたネムカケが、突然口を開いた。
「シンイチ。五日まで不動金縛りをかけてしまえ」
「えっ?」
「どうせ麻酔をかけるんじゃろ。似たようなもんじゃ」
水谷は驚いた。
「ね、猫が喋った?」
「シンイチよ、早く!」
「……わかった」
シンイチは印を組み、九字を切った。。
「臨! 兵! 闘! 者! 皆! 陣! 烈! 在! 前! 不動金縛りの術! エイ!」
ここで水谷の時は止まり、記憶は途切れた。
4
水谷は長い夢の中にいたような気もするが、直後に目覚めたような気もした。目をあけると同じベッドに寝かされ、古川や他の部下達の姿が見えた。胃の辺りに包帯のようなバンドのようなものが巻かれている。
「古川。契約の続きを」
古川はあきれた。
「第一声が仕事とは、参りました。普通、手術は成功したのか?とか、聞くでしょうに」
「お前らの顔を見てれば大体それは分かる。契約書は持ってきてるだろうな」
「……」
「どうした?」
「あなたが眠っている間に、仕事は全部、俺がやっておきました」
古川は分厚い契約書を見せた。
「貸せ!」
水谷は古川の手からそれを奪い、仔細を検討した。
「なんだこれは……なんだこれは……!」
全てのページを読み終えた水谷は激怒した。
「何ひとつ合っとらんではないか! 古川……お前はわしから何を学んだ!」
古川は逆に、全く落ち着いていた。
「全部、俺のやり方です。俺はアフガンにもベトナムにも行っていない。その俺の責任で出来るやり方に変えさせてもらいました」
「何だと?」
「ひとつもアンタのやり方は使ってません」
「お前……それは裏切りか! 謀反か!」
「違いますよ。あなたから教わったことをしたんです。最初に教わったことです。『ウチの商品を売るためなら、どんなことでもやれ』。それをちゃんと守ったんです」
「……それで、契約は成立したんだな?」
「はい」
「ならばよい。……お見舞いご苦労。現場に戻れ」
「……はい」
古川とその部下たちは一礼して病室を去った。
シンイチとネムカケは、窓際の丸椅子でずっとこれを見ていた。シンイチは口をひらいた。
「手術は開腹せずに内視鏡でやったから、すぐ治るってさ」
「まさか医者にも古川にも、全面的に任せることになるとはの。……で、わしの妖怪は?」
「……残念ながら、そのまま」
水谷は、寝かされた状態のまま窓を見た。やはり妖怪「任せられない」と目が合った。
「退院したら、快気祝いに旨い物でも食いに行こう。あの変な術で心配する暇もなく眠れたからな。お主にお礼がしたい」
「古川さんには、どうして怒らないの?」
「仕事は結果が全て。それは奴も分かっているだろう。成功だけが報酬じゃ。……で、何か食べたいものはあるか? とっておきの寿司屋が築地にあるのだが」
「お寿司!」
シンイチと魚好きのネムカケは飛び上がった。
後日。築地市場の路地裏の小さな寿司屋に、シンイチとネムカケは招かれた。水谷の他には誰も客はいなく、大将が一人で握るような、小さなカウンターの店だ。奇麗に磨かれた白木のカウンターが、大将の丁寧な仕事ぶりを物語っている。
「水谷さん、今日はどうしますか?」と大将は尋ねた。
「この子と猫殿に、とっておきのものを食わせてやってくれ。何が好きだね?」
「えっとね! マグロとコハダとエンガワ!」
「へい! サビ抜きで?」
「サビ抜きで!」
「猫のお客さんは、酢飯は少なめですかい?」
ネムカケは床に設けられた特別席でうなづいた。
大将は優雅な手つきで寿司を握り、シンイチとネムカケに、マグロとコハダとエンガワを出した。
「うまい!」とシンイチはもりもり食べる。ネムカケも舌鼓を打った。
と、水谷の前に小さな寿司が出された。
「わしは何も頼んどらんぞ」
「ヒラメの昆布締めです」と大将は説明した。
「頼んどらんが」
「ヒラメは一番消化のいい、良質な蛋白質です。顔色がいつもより優れなさそうなので、何かあったのかと思いまして。シャリも少なめにしときました」
「大将、わしが病み上がりだと知ってたのか」
「いえ。観察です」
「そこまで観察して、寿司を握るものか」
「体調次第で、美味いものも不味いものもありますからね。お客さんの体調考えるのも我々の仕事ですよ。ウチの寿司を食べてもらうなら、何でもしなきゃ」
「ふむ。……どこぞで聞いたような台詞だな」
大将の笑顔につられ、水谷はヒラメの昆布締めをつまんで食べた。
「旨い」
「でしょう。このヒラメはサービスにさせてもらいます。病み上がりから俗世間にようこそ。何から握りますか?」
「うむ。その前に、電話をひとつしてもよいかな」
「どうぞ」
水谷は古川に電話をかけた。二回コールで古川は出た。
「何でしょう」
「築地の寿司屋にいる。今すぐこれるか」
「急ですね」
「先日の祝勝会をやろう。全額わしのおごりじゃ」
「ほほう。珍しいこともあるもんですね」
「あと、こないだの画家さんには、来週時間をとって一から描いてもらうことにしよう」
「……どういう風の吹き回しですか」
「早く来いよ。祝勝会兼、お前に全面的に引継ぎを頼む会にするつもりなんだから」
「はあ?」
「お前が言ったんだぞ。わしはお前ではない。お前はわしでもない。お前が知らないわしの知ってることを、全部伝えようと思う。……早く来んと、わしが店の寿司全部食っちまうぞ」
「……十五分で行きます」
「十分で来い」
水谷は意地悪に笑い、電話を切った。
「ということで、大将。悪いが、十五分後に二人前を握ってくれんかな」
「へい。ご注文はそれからにしますか?」
「いや、もう決めたよ。……はじめて頼むものだが、いいかな」
「どんなものを?」
水谷は、ゆっくりと微笑んだ。
「お任せで」
こうして、水谷の妖怪「任せられない」は彼の体から離れた。
シンイチは右手で寿司をつまみながら、左手で火の剣を持ちながら、妖怪「任せられない」を一刀両断する破目となった。
てんぐ探偵只今参上
次は何処の暗闇か
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