1-12.邪光のカーテン

 ――コンコン。

 僕はエミナさんの部屋のドアをノックした。


「ミズキちゃん? どうぞ、入って」


 エミナさんの声がしたので、僕はドアを開けた。

 エミナさんは、部屋の中で椅子に座ってこちらを見ている。


「こっちへ」


 エミナさんが呼んでいる。


(何だろう……)


 僕は少し緊張しながら部屋に入り、エミナさんの近くへと歩き始めた。

 呼ばれたのはロビン君を病院へと送った後、食事していた時だ。


「……そうだ! ミズキちゃん、後で私の部屋に来て!」


 その一言で、僕はここへ……今まで体験した事の無い、女の人の部屋の中に入る事になったのだ。


「ミズキちゃん、ここ、座って」


 エミナさんが立ち上がり、開いた椅子に座るよう、僕に進めた。


「え? いいよ、座ってて」

「ううん、違うの。まあ、座ってみてよ」


 エミナさんは、妙に機嫌が良さそうに喋っている。


「うん……」


 僕は釈然としない気持ちで椅子に座った。


「本当……」

「え……?」

「本当に綺麗な髪だよね、ミズキちゃんの髪」

「え……そ、そう?」


 僕は自分の髪に触れた。確かにサラサラで、綺麗かもしれない。

 しかし、この世界の感覚も、僕自身の髪も、まだ馴染みの無いものなので、良く分からない。


「そうだよ! ……ね、髪型、そのままじゃ勿体無いからさ、可愛くしよ?」

「え? 可愛くって……?」

「昼間、色々あったけど……髪、乱れやすいんだなって。最終的にはボサボサになっちゃってたから、髪型、変えた方がいいと思うんだ」

「そ、そうかな……」


 僕としては、もう熊のリビングデッドと戦ったり、延々と走らされたりはごめんなので、髪の乱れない生活を送るようにしたいところだ。


「でも、切るの勿体無いと思うの。こんなに長い、綺麗な桃色の髪なんだから」

「うん……」


 確かに長い。

 それにしても、エミナさんは、僕の髪を相当気に入っているらしい。


「だから、ボサボサになっても誤魔化せる髪型に……」


 エミナさんが、櫛で僕の髪をすきはじめた


「そんな髪型、あるの?」

「うん、ちょっと乱れたくらいが可愛いやつ。あ、それに、動き易いように纏めた方がいいわよね。腰より下に伸びてると色々不便だろうし」


 エミナさんは、なんだかんだ言いながら、僕の髪を弄り回しているらしい。


「……ねえ、ミズキちゃん」


 ふと、エミナさんの声のトーンが下がった。


「え……な、何?」


 なんだか、かしこまった雰囲気になったので、僕は恐る恐る返事をした。


「昼間はさ、危険な目に遭わせてごめんね」

「うん? いや……い、いいよ、別に」


 本当は全然良くない。一つ間違ったら死んでいたかもしれない。


「記憶喪失で、頭も混乱してたのに、いきなりこんな事に巻き込んじゃって……」

「ほ、本当に良いんだ、別に。エミナさんこそ、そんなに傷だらけになってさ」

「私は……仕方ないのよ。魔法が使えて身軽な人は、この村には、そんなに居ないから……」


 エミナさんは髪を弄る手を止め、ゆっくりとした足音を鳴らしながら、僕の正面へと歩いてきた。そして、僕の目を見つめると、話しだした。


「ミズキちゃん、貴方はロビンの命の恩人です。本当にありがとうございました」

「え……何、急にかしこまって」

「今言った通り。弟の命を助けてもらったんだから、当然でしょ? ありがとう、本当に」

「ど……どういたしまして」


 僕が照れくさくてモジモジとしていると、エミナさんはサッと僕の目の前に鏡を突き出した。


「あ……」

「どう?」


 エミナさんがにっこりと笑う。


「わ……」


 言葉を失う。髪型を少し弄られただけで、随分と印象が変わるものだ。

 両側を大きなリボンで縛って纏め、それでもまだ余っている髪は、金色のリングで纏めて耳の前を通している。


「うん、かわいい。こうしておけば、ちょっとくらい髪が跳ねても気にならないと思う」

「なんか、凄く女の子っぽいな……確かにかわいいよ、凄く」


 自分に一目ぼれしたというのだろうか。凄く可愛くて、一瞬、言葉が出なくなったほどだ。


「でしょ。こんなにかわいい女の子なんだもん、何にもしないなんてもったいないよ」

「そう……だよね。僕、女の子だもんな……」


 自分が女の子だという実感は未だにわかない。この世界への違和感と同じだ。


「あ……でもさ、寝るときはどうするの? もう夜だけど」

「寝るときは外さないとだね。でも、また朝になったらやってあげるから!」


 エミナはそう言うと歩きだし、窓のカーテンを開けた。


「綺麗な空だね」

「星かい?」

「ううん、邪光じゃこうのカーテンを見てたの」

「え? じゃ、ジャコウ?」

「そう、邪光のカーテン」

「何、それ」

「それも記憶喪失なんだ。じゃあ……今、空ってどうなってると思う?」


 エミナさんは、カーテンを閉めながら言った。


「空?」


 僕はしばらく考え込んだ。単に夜空の事を聞いているのだろうか。それとも、天候や星の事を聞いているのだろうか。邪光のカーテンとは何なのか……考えても、特に何も思い浮かばないので、ひとまず頭に浮かんだ夜の空の様子を答える事にした。


「真っ暗なんじゃないかな……」


 当てずっぽうで答えた、適当な答えである。


「真っ暗な空に浮かんでいるもの、あるでしょ?」

「ああ、やっぱり、星とか天気とか、そっちの事かぁ」

「そうじゃないの……やっぱり分からないんだ……ちょっと立って」

「ん? うん」


 良く分からないが、僕は言われるままに立った。

 すると、エミナさんは椅子を窓の正面へと移動させた。


「ここ、座って」

「う、うん」


 僕は、やはり言われるがままに、椅子に座った。


「あれを知らないって事は、ミズキちゃんは本当に、あの時に記憶喪失になったって事なのかな……? コーチが暴れた時に、頭を打ったとか……」


 エミナさんは、ぼそぼそと言うと、徐にカーテンを開いた。


「これが……空に浮かんでるものだよ」

「こ……これって……」


 星がある。晴れているから目立たないが、雲も月明かりに照らされて見える。そして……エミナさんは、これの事を言っていたのだろう。


「オーロラ……?」

「オーロラ? オーロラが何かは分からないけど……あの、ゆらゆらと揺らめいている光。あれが邪光のカーテン」

「邪光の……カーテン……」


 赤紫や青紫色の光が、まさにカーテンのような形を作り、風になびいているかのように揺れている。

 あの形は、何度かテレビで見た事がある。オーロラだ。紫色のオーロラが、特に寒くもないのに空に浮かんでいる。


「綺麗だな……」

「本当に知らないんだ……日常的な風景なんだけど……すっかり忘れちゃってるのかな? それとも、相当歳をとっているとか……いえ、でも、そうなるとエルフよりも、もっと寿命が長いっていう事だから……そういえば、エルフも記憶に無いんだっけ?」

「うん。イミッテに合って、なんとなく分かったけど……」

「ふぅん……じゃあさ、別のエルフに明日、会ってみましょう。魔法みたいに、何かの拍子に思い出せるかもしれない」


 エミナさんは、あの時に魔法が使えたのは、僕が魔法の使い方を思い出したからだと思っているようだ。

 僕としては、訳も分からないまま何故か魔法が打てただけだし、魔法を使ってみても、特に何も思い出しはしない。その上どうして魔法が打てたのかも分からないので、結果的には謎が深まっただけなのだ。


「この村は人間の村だし、人口もそれ程多くない。だけど、一人だけエルフが居てね、魔法雑貨屋さんをやっているの」

「へぇ……魔法の雑貨屋さんかぁ……」

「……空、見てるの?」

「……ああ、ごめん。綺麗だなって」


 僕は、いつの間にか邪光のカーテンに見とれてしまっていた。オーロラは見た事が無いけど、きっとあんな感じなんだろうな。


「そっか……見た事無い人が見ると、やっぱり綺麗なんだ」

「え? 見た事無い人が見るとって……エミナさんは違うの?」


 僕が言うと、エミナさんはかぶりを振った。


「私は綺麗だと思う。だけど、そう思ってる人は少ないの」

「そうなの? 慣れてるからかな」

「それもあると思うけど……それだけじゃない。あれは魔王の力だと言われているの」

「魔王……か……」


 魔法、エルフ、魔王……それらの単語は、僕の記憶にある世界で使用されているが、現実には存在しないものばかりだ。


「いてて……」

「どうしたの?」


 エミナさんが首を傾げた。


「いや……何でもないんだ」


 僕は、これまでの事を色々と考えて、この世界は現実世界じゃない。夢の世界だと結論付けたが、頬をつねってみて、それも分からなくなった。

 時間が経っても、寝ても、頬をつねっても、夢から覚めない。

 どうやら僕は、中世ファンタジー調の、剣と魔法の世界に迷い込んでしまったらしい。


「魔王はね、勇者に倒される直前に、この世界を結界によって隔離したと言われてるの。そして、その結界の色が、魔王の力の色、赤い紫や、青の紫だと言われているの」

「なるほど……たしかに、魔王の力だと言われると、なんだか綺麗に思っちゃいけないような気がするもんね」

「そう。だから皆、あの色を不吉がって、嫌がってるの。でも……知らない人が初めて見て綺麗だって思うなら、やっぱり綺麗なのかも」

「そう……だよね……僕も、綺麗だと思うよ、とっても……」


 絡み合う赤紫と青紫の、ぼうっとした光。オーロラのようなそれは、ゆらゆらと不規則に揺らめいて……それを見ていると、なんだか心が安らいで、嫌な事も忘れてしまえる気がする。

 僕はエミナさんと二人、この奇妙な世界に建つ木造の家の一室に腰を下ろし、窓辺で隣り合って、夜更けまで邪光のカーテンを見ていたのだった。

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