TRACK 08;消えた死神の瞳

 千尋さんを助け出した。

 無事な姿を確認した私だけど、頭の中が整理出来ない。千尋さんが通り魔に刺されてから、余りにも展開が早過ぎた。事情も知らない私だったから尚更、付いて行くのがやっとだった。


 千尋さんは高校時代に自殺を図った。自分の能力を恐れて、いつか昔と同じ間違いを犯してしまわないかと考えた。

 結局、自殺は未遂に終わった。メンバーの人達が千尋さんを助け、そして説得した。それ以来、千尋さんは自殺なんて図った事がなかったのに、20年近く経った今になって、もう1度自殺を図った。

 そして、メンバーの人達の行動は早かった。


(所長達は…高校の時からずっと、千尋さんの事を気に掛けてたんだ……。)


 いつもダラダラと過ごして、仕事に対してもやる気がない、この世で最低な人達だけど……それでも、仲間を思う気持ちは誰よりも強い……。先日、幸雄さんがいなくなった時だって皆の行動は早かった。


(やっぱり、私はここを辞められない。超能力も身に着けたいし、いつか、一人前の仲間として認められたい……。)


 浅川君と昇さんから貰った報酬で、このところは景気も良い。

 だから私は、もう少しだけここで働く事にした。




 千尋さんが助かって、メンバーの人達は固い表情を和らげた。

 でも千尋さんはずっと顔を下に向けて横たわり、無防備に弱々しい姿を見せ続けた。そんな千尋さんを、私は初めて見た。子犬がどれだけ涙を拭ってあげても、泣くのを止めなかった。




「俺には……自信がない……。」


 千尋さんが落ち着くのを黙って見守っていたら、千尋さんが小さな声で話し始めた。


「千尋……」

「通り魔に言われた!俺は!……あいつらと同じ目をしてると……。俺の中に、俺が知らない悪意が隠れてる……。いつかそいつが目を覚ますんじゃないかと……いつか平気で人を殺せるようになるんじゃないかと……俺は、自分が怖くて仕方がない……。」


 所長が肩を掴んで宥めようとしたけど、それよりも早く千尋さんが叫んだ。


「俺は昔……人を殺した。」


(小学校の、担任の先生の事だ………。)


「死んでしまえと思った!心の底からそう思った!すると担任は…窓から身を投げた。…俺の能力で!俺が願ったから!!担任は命を落としたんだ………。」


 千尋さんはもう1度大声で泣き始め、遂には頭を、何度も何度も地面にぶつけ始めた。


「!!千尋、止めろ!健二……!!」


 幸雄さんは急いで千尋さんの肩を掴み、健二さんに止めるさせるように指示した。


「止めるな!幸雄!健二!頼むから死なせてくれ!!」

「……………。」


 私は、また涙が止まらなくなった。

 千尋さんは、余りにも強過ぎる能力を与えられた。


(まさか……超能力が人を不幸にするなんて……。)


 私は、幼い時からずっと超能力を身に着けたいと思っていた。今でもその気持ちは変わらない。だから、こんな最低な事務所で働いている。

 でも、今の千尋さんを見ているとその気持ちが揺らいでしまう。




「分かった。千尋……。それじゃ……俺がお前を殺してやる。」

「!!??」


 泣いて暴れる千尋さんを、幸雄さんと健二さんはずっと抑えていた。2人も泣きそうになりながら、千尋さんを慰めようと必死だった。子犬は少し遠ざかって、暴れる千尋さんに吠えていた。きっと、早まるなって叫んでいたんだと思う。

 そんな中、所長が信じられない言葉を口にした。


「所長!何て事言うんですか!!?」


 私は思わず怒鳴った。


「弘之!!お前、何て事言うんだ!?」


 幸雄さんもその言葉に腹を立てた。

 健二さんは後ろを振り返って、所長をじっと眺めた。睨んでいた訳ではない。


「千尋………。俺が、お前を殺してやる。だから……」


 所長は怒鳴る私を見る事もなく胡坐をかいてその場に座り、千尋さんと向き合った。

 健二さんはその様子を伺ったまま、次の言葉を待っていた。


「だから……お前は自分を信じろ。俺達の言葉を、どうか信じてくれ。」

「…………?」


 続いた言葉に、千尋さんが不思議そうな顔を浮かべる。

 健二さんは笑い顔を作り、幸雄さんの表情も和らげた。


「一体お前は、いつになったら俺達を信じてくれるんだ?いい加減、こっちも疲れたぞ?」


 ………かなりキツい、所長の言葉はまだ続く。私はそれを、強張った表情で見守った。


「これで最後だ。もう1度だけ言うぞ?お前は良い奴だ。そして超能力に、良いも悪いもない。怖いのは、それを悪用しようとする人の心だ。昔言っただろ?ナイフで怪我をしたら、それはナイフのせいか?そうじゃない。使っていた人間が悪いんだ。」


 所長は、超能力自体には善も悪もない事を伝えようとした。

 でも多分、千尋さんの悩みはそこではない。


「…………俺は……俺自身に自信がない……。」

「だから!俺達を信じろって言ってるだろ!?お前は良い奴だ!お前が能力を使い誤る事は、絶対にない!」


(………………。)


 要らない心配だった。20年近くも付き合っている人達だ。千尋さんの気持ちを分かってあげられないはずがない。


「それでも信じられないってんなら、お前がいつか悪意に目覚めて悪さするって言うんなら、その時は…俺がお前を殺してやる。お前が悪さをする前に、必ずお前を殺してやる。……約束する。」

「…………………。」

「だからお前は、お前の手で誰かを殺したり、不幸にしたりする事はない。俺達が、お前を殺してでもそれを止めてやる。」

「……………。」

「だから……もう要らない心配はするな。自分から死のうなんて、2度と考えるんじゃない。」

「つまり…お前が人を殺したくなった時は、そうしたくても出来ねえように、俺達がお前を殺してやるってんだ。だからお前はその日が来るまで、怯える必要はねえ。何せ、お前が先に殺されちまうんだから。ただ……そんな日は来ないと思うがな…。」

「そうだぞ、千尋!お前が今のお前である内は、誰かを不幸にしたり傷付けたりはしねえ。………自信を持てって。お前に与えられた能力を、誇りに思えよ。」

「………。」



 …………………。

 正直、私には理解し辛い言葉だった。所長は、千尋さんが悪意に目覚めてしまったら、その時は殺してあげるって言った。

 だけどその言葉に、健二さんや幸雄さん、そして千尋さんまでもが笑った。




 千尋さんは、泣き笑いをしていた。まだ涙が止まらない。

 ヘドロにまみれているせいで、千尋さんの涙は黒かった。


 でも私には、その涙の色が違うものに見える。

 黒く濁ったその涙には、ヘドロでもない、きっと悪い何かが含まれているのだ。これまで心に抱えていた、悪い考えや気持ちが含まれているはずなのだ。それが体の中から、涙と一緒に出て行ったのだ。


 実際に、涙が止まった千尋さんの瞳は、以前とは違って明るくなった気がする。


(もう、死神は宿ってないんだ。)




「分かってくれたんなら、病室に戻ろう。傷口の消毒もせんとな…。」


 千尋さんから全ての涙が流れ終わって、子犬が千尋さんの膝に乗っかった時、健二さんがそう言って立ち上がった。


「病院は西の方角だ。……千尋……。もう、後ろを向いて歩くんじゃねえぞ?」

「………………。」


 占い結果を予想していた健二さんが、そう言いながら手を差し出した。


「…………………。」


 腕を掴んで立ち上がった千尋さんだけど、歩こうとはしなかった。やっぱり、西が今日の鬼門で正解だ。

 だから幸雄さんは、千尋さんの背中をそっと押した。すると千尋さんは、重そうな足を1歩だけ前に出した。


「千尋さん、早く!!」


 それを見た私は……千尋さんの手を掴んで綱引きのように引っ張った。

 千尋さんは豆鉄砲を喰らった鳩のように驚いて、腰を下に落として踏ん張った。


「ほら、行くぞ!千尋!」

『ワンワン!』


 そこを所長は見逃さなかった。千尋さんの腰を掴んで押し上げた。

 千尋さんに逃げ道がない事を確認した健二さんは、笑いながら先頭を切って歩き始めた。


「おい、おい!待てって!」


 千尋さんは焦った表情を崩さなかったけど、それでも足は確実に病院に向かって、1歩1歩進み始めた。




(………。)


 拓司さん曰く、私には免疫がない。超能力を使えない私は、千尋さんが招くと言われる不幸に合うかも知れない。千尋さんに操られて、命を危険に曝すかも知れない。

 でも……きっとそうじゃない。免疫があるから所長達は無事なのではなく、元々千尋さんは、不幸を呼んでしまう人なんかじゃないんだ。能力をコントロールする力も備わっている。


(私が……それを証明するんだ。)


 私は、握っていた両方の手の片方を解き、健二さんのように前を向いて歩き始めた。


『ワンワン!ワンワン!』


 子犬も、千尋さんの後ろから激を飛ばして歩き始めた。




 私は、超能力を信じている。実際にその力を目の当たりにしている。

 そして、願いは必ず叶うものと信じている。想いは、人そのものを変えてしまうのだ。


 ひょっとしたら千尋さんには、知らずの内に発動してしまう、何らかの能力が備わっているのかも知れない。考えた事が現実になってしまうような、そんな能力だ。

 だから変な心配をしないでポジティブな考えをしていれば、不幸が来ないどころではなく、幸運を呼ぶようになるかも知れない。

 私は、そう信じる事にした。


(きっと、西に向かっても悪い事は起こらない。きっと………。)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る