第74話 赤い瞳と蛇と不幸

「ったく、ハナのやつは相変わらずだねー」


 ハナの対応に鼻で笑いながらレンと小狼を引き連れて閑静な住宅街を歩くお頭。長身で外にはねた黒髪、結わいた長い髪が胸元で揺らしながら歩いていく。


 そして、後ろの二人に話しかける様に声を出した。


「そうは思わないか、レンと小狼?」


 それは後ろの様子を気にかけてだった。何も答えずに静かに歩く蓮。先程のアジトのやりとりが尾を引いているのは間違いない。その二人の様子を伺いながら狼少女は尻尾を下げる。二人の出す重たい空気にどうしたらいいのか分からずに困っていた。


 明らかにレンが何かを抱えているのは分かる。


「レン、お前はいつまでそうしてるつもりだ?」

「…………」


 お頭は後ろを見ずに語り掛けた。


「お前に何があったかまでは知らない。探るつもりも聞きだすつもりもない。それでも私は任務に私情を挟むのは許さないよ」

「レンちょん……」


 優しく姉御は彼を戒める。その言葉を受けてレンの襟で隠れた表情を伺うように狼少女が静かにのぞく。彼は下を俯いたまま何かを答えようともしなかった。ただ、それでも言われた任務をこなすためにお頭の歩幅に合わせてついていくだけだった。


「ハァ……しょうがないね」


 何も返事を返さないレンにお頭は愚痴をこぼす。いつものレンと違うことはわかっている。あれだけ取り乱すことは見たことがなかった。だからこそ彼をいさめる為にあれだけ暴力的な行為を持って律するほかなかった。


 彼女は任務に私情を挟むことで崩壊したチームを知っている。


 だからこそ、彼女はレンの愚行を許すことが出来なかっただけだ。


「アタシは任務をこなせば文句を言いやしない……分かったな――」


 彼女は後ろを完全に振り返りレンの顔を強く睨みつける。


「レン」


 これは彼女なりの隊員に対する誠意に他ならない。勝手など許さないと眼が告げている。上からレンを睨むような双眸にレンは口を結んでただ一度頷いて答えを返す。


「分かってればいい」


 冷たく言い放ちお頭は前を向きまた歩き出す。ギリっと音がした。微かな音だったが小狼は静かに下に視線を向ける。レンの手から雫が垂れ落ちている。それはレンなりにお頭の言葉を飲み込んだが故の怒りの行き場だった。


 強く自分の手のひらを傷つけながらも拳を握って耐えるのが青年の答え。


「おやおや……ウサギがこっちに飛び跳ねて来た」


 歩くお頭の足が止まる。目の前から走ってくる少女。周りに眼をやる余裕もない様子でただ困惑した表情で全速力でこちらに向かってくる。


「どうしよう……どうしようッ!」


 スカートと胸を揺らしながら学校の制服にブレザーを纏った姿でこっちに走ってくる。青がかった黒髪を揺らしながら少女は前にいる三人の横を通り過ぎようとした。


「——っ……」


 少女の足がもつれたように前につんのめる。前に倒れそうになる身体。転ばないように反射が働くだろう。だが、彼女の眼は生気を失ったように光を失くしていた。静かに瞼が閉じていく。


「っと」


 彼女の倒れそうになる体を地に着く前に抱えるお頭。すれ違いざまに神の如き早さだった。それはウサギを狩るための刃。大きな衝撃音もなく完璧に撃ち込まれた。裏の首筋への手刀。狙いすました刃は静かながらも確実に少女の意識を刈り取った。


「これでこっちの任務は完了だね」


 御庭番衆に与えられた任務のひとつ――鈴木玉藻の確保。


「この子の取り扱いには注意を払いな、なんてたって――」


 お頭はメンバーの二人に顔を向けて玉藻を抱えたまま告げる。

 



「総理の残されたの家族だからね」




 それは鈴木家の血を引くもの、総理大臣の孫。彼女はそう言い玉藻を抱えたまま歩きレンの前に立つ。そして彼の前で玉藻を離して受け渡した。


「この子の管理はお前にまかせる、レン」

「なんでッ……」


 少女を受け渡された青年は顔を歪めた。この渡された任務の意味を彼は理解している。彼女に逆らえないという部分の他にだからと堪えて着いてきた部分もあった。


「お前の任務はコレだ」


 そして、それを分かっていながらもお頭はレンに冷たく言い放つ。これ以上の同行はさせないと。この任務が終わればレンが望んでいた任務との合流に向かう手筈。


「熱くなった状態のお前を連れていくことはできない……」


 玉藻を抱えて手が塞がっているレンの肩をポンと叩いてお頭は彼を残して歩いていく。レンの表情は歪む。望んだ任務に行くことは叶わない。そして、逆らうことも出来ない。彼はその行き場のない怒りをかみ殺す他なかった。


 ——どうして……ッ!


 レンと離れて歩いていくお頭に小狼は置いていかれないように小走りで駆けていく。そして、彼女は二人が離れたことで声を出した。


「お頭……レンちょん……こっちの任務にきたがってた」

「そうだね」

「なんで……ダメ?」


 まだ言葉に慣れていない狼少女はたどたどしく問いかける。


「レンが私情で今回の相手と何かあったことはわかる……」


 小狼に言われずともそれぐらいはお頭とて理解している。


「レンがアレだけ熱くなってる状態で連れていってもお荷物にしかならない」


 任務の話をしただけであんなに我を見失うぐらいだ。もし任務に連れていこうものなら暴走しかねない。彼女がそうする他なかった。落ち着かせるためにも玉藻の任務を与えるしかなかった。その答えにしょんぼりする小狼の頭をクシャクシャと乱暴に撫でながらお頭はその気持ちだけは貰っていく。


「シャオ、私達がレンの分も頑張らなきゃね」

「うん……!」


 彼女たちはレンを置いて別の任務へと向かっていった。




 蓮は一旦大きく呼吸をして怒りを収める。思う所は色々あるにしても与えられた任務をこなすことに徹底するために。お頭から任務を預かった以上は遂行するほかない。ただ一人の少女を手厚く保護するのが任務だ。


 それだけの簡単な任務だった――。


「おや……これはどういうことですかね?」


 声をかけられたレンの視線がその男に向いた。不思議な男がいた。見るからに弱そうで老人にしか見えない。ただ執事服を着ていることを抜かせばさして注目することも無い。


「その女性……気を失われているようですが?」


 腰は折れ曲がり風に吹かれれば飛んで行きそうな老人。それがゆっくりとこっちに背中を曲げて近づいてくる。レンはやれやれと言わんばかりにため息をついた。


「ちょっと、転んで頭を打っただけだ。気にするな」


 単なるジジィが少女を心配したに過ぎない。爺様が少女を見たところで何か変わる訳もないとレンは言い放つ。ゆっくりと近づいてくる老人を遠ざける様にして言った言葉だ。


「頭を打たれたのですか……それは大変です」


 レンの表情が僅かに曇る。何か感じるものがある。したたかな言葉。気にするなと言ってもゆっくりと距離を詰めて来ている。直感に近かった。レンは能力を発動をしておく。彼の長髪をわけた髪から出ている片目だけが赤く輝きを増す。


「おっちょこちょいですね……」


 そのとぼけた老人。それを取るに足らない存在だと思っていた。




「——玉藻様はッ!」



 

 親指とひとさし指・中指の三指さんしが強く曲線を描いて繰り出される。それは老人の動きではなく達人の動作。急激な動きだった。警戒を緩めていた間合いを横から突如現れた蛇がうねる。


 高速でうねる蛇の拳――蛇拳じゃけん


「——ッ!」


 それがレンの喉元に噛みついた。奇怪な軌道な動きから蛇の口のように開き三つの指が彼の喉元を食い破る蛇となる。尋常ならざる握力は食いちぎるが如く喉元に突き刺さり血しぶきを上げて自分は絶命する。




「ナ――ッ!」




 レンは慌てて体勢をのけ反って回避した。その蛇は横の電柱に食いつき破片をまき散らす。レンの顔から脂汗が出る。一撃で分かる。只者ではないと。見たこともない動き。


 ——この老人、何者だッ!


 警戒を強め後ろに飛びのく。殺気・気配の消し方、強さの消し方、なにより蛇の拳。そのどれもがレベルを超越している。レンは自分の腕に感覚がないことに気づく。


「いつの間に……ッ!」

「また頭を打たれては危険でございますので……」


 気が付けば自分の腕にあった重みが老人の手元に移動している。早業としかいいようがない。わずかに一撃に気を逸らされた間に奪い取られていた。


「こちらで預からせて頂きました」

 

 少女を片手で抱えて丁寧に喋る白髪の老人にレンの顔が歪む。が遅ければ確実に息の根を止められていた。直感に身を任せていなければ蛇に喉元を食いちぎられていた。命を狩りに来た年老いた蛇。


 それが、元御庭番衆の先代お頭とは夢にも思わない。


 だが、その実力は晴夫と引き分けて命あって帰るほどに健在である。


 ——未来予知ヴィジョンが遅ければ確実にやられていた……ッ!


 自分が死ぬ未来を見た。僅かな油断をしているだけで殺されかける。蛇に喰われた横の電柱が音を立てて倒れていく。それが時政宗という男の実力に他ならない。


「ジジィ、その女をおとなしく返せッ!」


 それでもレンは吠える。お頭から与えられた任務は彼女の保護。鈴木玉藻という総理の孫の回収。目の前の敵がなんであるかなど関係ない。忍びとはそういうものだ。


「人払いはしてあるようですね」

「……ッ!」


 まるで全てを見透かす様に時政宗はレンに語る。閑静な住宅街と言え電柱が倒れた音を聞けば住人が出てくる。だが、その予兆がまったくない。静かなままだ。


 それは晴夫を暗殺する際に時が仕掛けたものと同様。




「どうなってんだ……こりゃ……」




 時とレンの視線が別の男に向いた。人払いをしていたはずなのにそこに現れる者が居た。状況が呑み込めていない男。その視界に青年男子と白髪の老人が立っている。


 そして、電柱が横倒れに倒壊している光景に走ってきた男は顔を歪ませる。


「……ッ!」


 ——鈴木さんッ!?


 老人が抱える少女に眼を取られた。彼女を探し求めて走ってきたが故に彼女の存在を確認する。気を失った少女を老人が抱えている。どういうことになっているか分からないが空気が張り詰めていることは体に向いている二人からのプレッシャーで理解した。


 ——これはまた俺の……


 現御庭番衆のレンと元御庭番衆の時政宗、


 そして――。


 ——不幸が炸裂した感じか……ッ!


 ピエロ櫻井が駒沢の住宅街で一人の少女を巡って争いに発展することになる。



《つづく》

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