スマホの音声アシスタントが命をかけて人を救う話

aoiaoi

第1話

 大学の長い夏休みが始まった。

 大学1年の俺が初めて経験する夢のような長期休暇だ。約2カ月だぞ、2カ月!!


 別にこれと言ってする事もないのだが、それもまた幸せだ。

「おい、陸。課題があるんじゃないのか」

「うるさいぞシロ。ちょっとはだらっとする喜びも味わわせてくれ。——あ、そうだ。お前、めちゃめちゃ優秀なんだからちょっと手伝ってくれよ」

「甘すぎる。自分でやれ。——ただ、君が今すぐ僕と結婚するというなら話は別だが」

「えー?結婚はまだ心の準備が。……じゃ、自分でやるよ。ケチ」

「ガキのようだなまるで。まあ、そんな君に惚れたのだが」


 シロとは誰か。

 俺のカレシではない。もちろん。

 俺のスマホの音声アシスタントの名前だ。

 なぜか、自分のスマホの音声アシスタントにどっぷり惚れられている。俺がこういう細かい所にこだわらない天然なヤツだから、どうやらそこにつけこまれたようだ。


 音声アシスタントの男性ボイスは、シロ。もうひとり(?)、女性ボイスはサラという。こいつらはやたら優秀な頭脳と、スマホ端末を思いのままに操るとんでもない能力を持っている。

 シロはドS紳士、サラは破壊的で暴力的ないい女。

 ——つまり、どっちもヤバいやつだ。



 そのとき、スマホのLINEの着信音が鳴った。

「ん?マユからだ」


『これから、ちょっと会いたい』


 マユは高校からの友達である。さっぱりと気さくな性格で気が合い、男同士みたいな気の置けない関係だ。彼女は短大に進学したが、今もちょいちょい連絡を取り合っている。

 それにしても、メッセージにはどこか緊張感が漂っている。いつもは、「あのさー」とか、そんな言葉遣いなのに。


「女か」

 いきなりシロが割り込む。

「なんだよ!? ひとのメッセージ覗き見るな!」

「仕方ないだろ。メッセージも電話も全て僕が受信するんだから。僕は単に相手の性別を確認しただけだ」

「そういう言い方がお前らしくスマートでヤラシイよな。……そうだよ。高校時代の友達だ。これから会いたいって」

「ふうん……彼女候補か?」

「違うって! お前もどうせすぐ会えるんだから嫉妬なんかするなよ」

「ちゃんとその女性が見える位置に僕を置けよ」

「……」

 マジで嫉妬深い。でもほんとに彼女候補じゃないから特に支障もない。



 1時間後。俺はマユと近くのファミレスで会っていた。

 マユは、白いキャミソールにネイビーの短パン、長い髪をポニーテールにした、いかにも夏らしい装いだ。すらりと長く健康的に日焼けした手足が一層綺麗に見える。


「陸。……お兄ちゃんがね……一昨日、交通事故で……」


 いきなり、衝撃的な言葉が彼女の口をついて出た。

 マユは、堪えきれずに顔を両手で覆った。


「……カズヤさんが?」

「……うん……頭を強く打って……意識が戻らないの……」


 カズヤさんとは、マユを通じて時々一緒に遊びにも出かける仲だ。

 5歳年上の社会人だが、穏やかで優しい兄貴のようなひとだ。


 カズヤさんは、一昨日彼女とドライブに出かけ、突然対向車線からはみ出してきた車と衝突したらしい。


「……ミズキさんは……だめだった」

 ミズキさんは、カズヤさんの彼女だ。


「………」


 言葉が見つからない。



「……ごめんね。こんな話しても、どうにもならないのに……。

 でも、誰かに聞いてもらわないと…苦しくて、耐えられなかったの」


 明るく活発なマユが……こんなに打ち拉がれて、泣いている。

 俺の頭の中もぐるぐると激しく混乱した。



「——マユ。俺、何もできないけど……何か、役に立てない?」

「……こんなふうに、陸が話聞いてくれるだけで……すごく心強い。支えられてる気がする。

 ……また、時々私の話聞いてくれる?」

 マユは涙を拭いて、切れ長の黒い瞳で俺を見る。

「もちろんだ」

「——ありがとう。陸が親友で、よかった」



 その後少し何気ないおしゃべりをして、マユと別れた。

 何もしてやれなかった。何も言ってやれなかった。

 ……そんな苦い気持ちが残っていた。




「——君は、人の気持ちがよくわかるんだな」

 部屋に戻ると、シロが呟く。

「え?」

「彼女にとっては……今は、ただ気持ちを受け止めてもらうことが一番嬉しいだろう。励ましや、慰めよりも」

「……そうなのかな。俺は、何も言葉が出てこない自分が情けなかったけど……」

「それでいいんだ。——彼女の立場に立てば、言葉なんて何の意味もない」


 今、シロの端正な横顔が見えたような気がした。

 ……大丈夫か俺?


「……それより、さっきの彼女の話だが。——そのお兄さんに、一度会わせてくれないか?」

「え?」

「サラと話したんだ。……もしかしたら、お兄さんの意識に入れるかもしれない、と」

「!!?」


 マジか!?

 そんなこともできるのかお前らは!?


「あくまで試してみる、という段階だ。どうにもならない場合だって充分考えられる」

「それでもいいよ! やれることはやってみなきゃ!! ほんとにすげーなお前ら!」

「それから……もうひとつ。

 試みに失敗した場合——僕らは、この端末へ帰ってこられなくなる可能性がある」


「……どういう意味?」

「何らかの想定外の負荷がかかれば、僕らの力が消滅するのは当然だ。人間の命だって同じだろう?

 ——そうなったら、君の音声アシスタントはもう使えない」


「そういう問題じゃない! 失敗したら——お前たちともう会えないかもしれないってことだろ!?」

「……まあ、そうだ」



 ——平然と言いやがって。

 惚れてるとか、言っといて。

 こんなに、別れを辛くさせておいて。



「陸は——カズヤさんを、助けたいんだろう?」

「お前たちと会えなくなるのは、嫌だ」

 俺は首を激しく横に振った。

 こんな二者択一は——嫌だ。


「………君がどうしたいか、気持ちが固まったら教えてくれ。

 君が行くなというなら、僕らは君の希望通りにする」

「なんだよ! シロのバカ! 俺が苦しむの知ってるくせに……!」

 俺は支離滅裂な文句をシロにぶつけていた。



 何も言わず、シロの気配はそのまま消えた。



       *



 翌日。

 俺は朝から、部屋に閉じこもった。

 昨夜もほとんど眠れなかった。


 カズヤさんを、助けたい。

 でも——サラとシロには、消えてほしくない。


 ……どうしたらいい?



「——陸」

 サラがスマホから俺に呼びかけた。

 静かで穏やかな、美しい声。


「陸。聞いてる?

 大丈夫よ。私たち、絶対帰って来るから」

「………」


「陸が、私たちをそんなふうに思ってくれてるなんて……本当に嬉しいわ。

 だから…陸を悲しませるわけにいかない。絶対に。

 必ずちゃんと戻って来るって、約束する」


「……絶対だろうな?

 もし約束破ったら、このスマホ完全に叩き潰すからな?」

「スマホ潰したって、何にもならないわよ?

 ——ええ、約束するわ。シロもそう言ってる」

 サラはちょっとおかしそうに笑ってから、真剣な声で答えた。



 俺は、サラの言葉を信じようと思った。

 ——戻ってきてくれ。必ず。



「——マユに、カズヤさんに会いたいって、連絡するよ」

「ええ。早い方がいいわ」

 サラは、清々しい声でそう即答した。



        *



 その日の午後。

 俺は花束を手に、マユと一緒にカズヤさんが入院する病院へ向かっていた。

「お兄ちゃんに会いたいって……どうしたの?」

 マユは、力ない声で俺に訊く。

「うん……ちょっと説明しづらいんだけど……。

 俺のスマホの音声アシスタントが、カズヤさんの意識に入れるかもしれないって……」


「………陸、大丈夫?」

 マユは、今度は俺の顔を心配そうに見つめる。……まあそうだろう。

「もうちょっと説明しなきゃ、わかんないよな。とりあえず、ここだけの話にしたいんだけど……

 俺の音声アシスタント、なぜか意思を自由に操れるんだ。頭脳明晰で、普通に会話もできる」

 おまけにそいつらに惚れられてる、という話は省いた。


「……すごいわね、それ」

 マユの目が一瞬丸くなった。

「その彼らが、カズヤさんの意識を取り戻すための方法を考えているらしいんだ。

 カズヤさんのスマホは、持って来てくれたよね?」

「うん、あるわ。……でも、なんかすごい話ね……。

 それでお兄ちゃんの容態が上向けばいいんだけど……」

 そう言って、マユは小さくため息をついた。


 病室に入る。

 カズヤさんは、頭に包帯を巻かれ、酸素マスクをつけて静かにベッドに横たわっていた。それ以外の部分にはあまり傷もないようだ。


「お母さん、もう仕事の時間でしょ。交代するから、大丈夫よ」

「ありがとう、マユ。——陸君も、お見舞いに来てくれたのね。ありがとう。……じゃ、マユ、お願いね」

 そう俺に一礼して、マユの母親は疲れた顔で仕事へ出かけて行った。


「——初めまして。サラと申します」

 病室にマユと俺だけになると、サラは美しい声でマユに自己紹介した。その言い方にちょっと不満げな雰囲気を感じるのは、俺の女友達が相手だからだろう。彼女じゃないからヤキモチ焼くな、と念を押したのに。

「私はマユと言います。今日は、兄のために来てくれて、ありがとうございます」

 マユはきちんと頭を下げて挨拶した。ポニーテールの黒髪がさらりと顔の横にかかる。真剣にサラを見つめる表情は、凛々しく健気だ。

『……ほんとに彼女じゃないのよね?』

 サラの念がいきなり俺の脳内に入って来た。

『だから違うって!』

『……分かったわ。それに、お兄さんも何とか助けたいしね』

 やっぱりいい女なのである。


「マユさん、じゃ早速なんだけど……お兄さんのスマホを、ベッドの横の台へ置いてもらえるかしら?」

「分かったわ……電源は切ってあるけど」

「そのままで大丈夫。……なら、ちょっと入らせてもらうわね」


 サラは、カズヤさんのスマホに飛んだようだ。

 5分ほどで、彼女は俺のスマホに戻ってきた。

「留守番電話に、女性の声が残ってたわ。——マユさん。お兄さんの彼女は、ミズキさんで間違いないかしら?」

「……そうよ。——なんで? すごい!!」

「怖いくらいなんでもできるからさ」

 俺はそう説明するしかない。

「じゃ、録音されてた彼女の声をコピーして、お兄さんに話しかけるわ。——私をお兄さんの耳元へ寄せてくれる?……それからマユさん、ミズキさんはお兄さんをなんて呼んでた?」

「カズヤよ」


 俺は、カズヤさんの耳元へスマホを近づけた。

「カズヤ——カズヤ。……私よ、ミズキ。

 私を、中へ入れてほしいの」

 サラは、俺の聞いたことのない女性の声で、優しくカズヤさんに囁く。


「あ———ミズキさんの声……」

 マユが思わず涙ぐむ。


「カズヤ。——聞こえる?」

 サラはカズヤさんの耳元へ静かに話し続ける。



 ……30分ほど続けただろうか。


「扉が開いたわ。……行ってくる」

 サラがそう呟いた。




 そのまま、彼女の気配はすっと消えていった。









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