第3話 旗幟鮮明(きしせんめい)

私、坂井 舞香は今年で26歳、社会人3年目でそれなりの大きさの企業で事務職をしている。


今日は私の母の話をしようと思う。

私の母の名は瑞樹みずきと言い、若いころに私を身ごもったので、まだ齢50に届かない若い母親である。具体的な年齢を書くと母にチョップを食らうので、26歳の子供を持つわりには「若い」ということを主張したい。


その母曰く、母の家系の女性は霊感がある人が多いという。自分に近しい人が亡くなる前夜にその人を夢に見たり、昔流行った沖縄を舞台にした連続テレビドラマに出てくるおばあさんように、電話が鳴る前に電話が鳴ることがわかったりするらしい。

そう言われてみれば、私も固定電話が鳴る前に電話が鳴ることが分かる。でもそれは、電話の鳴る前にかすかな音、電気が通る音なのか、何かが接触したような音がするからわかるのだ、要するに普通より耳が良いのだと思っている。


話を元に戻そう。

私の母もそういうちょっと便利な虫の知らせ的な能力を持っていた。

私が学校で骨折や縫うほどの切り傷を負ったときも、茶碗が割れたり、なんとなくふと嫌な感じがして外出する予定をキャンセルしたりしたそうだ。おかげで怪我をしてもすぐ母に連絡がつながり病院へ直行することができた。

私のおじさん、母の義理の兄が亡くなった時も、前夜その人の夢を見て、翌日に気になって連絡をしようと電話の子機を持ち上げたとたん、おじさんの訃報の電話が入った。


その能力の中で一番笑ってしまうのは、虫と話ができる、ということだった。

正確に言えば、虫の話し声が聞こえるらしい。例えば、子供や旦那の帰りを待ちながら、家に一人で台所で料理をしているときに、おいしそうだな、という声が聞こえた。なんだろう、と振り返ると、みんなが嫌いなあの黒い生物がいたりだとか。

夜中、お手洗いの電気をつけたとき、なんだ?この時間は寝てるんじゃないのか、と声が聞こえたので足元を見ると、例の黒いヤツがシャカシャカ動いていたりしたらしい。


「お母さん、それって虫と話せるんじゃなくて、黒いヤツと話せるだけなんじゃないの?」

黒いヤツの話しかしないので、私はよくそうからかって笑っていたけれど、ある日見てしまったのだ。


その日、私は実家で車庫の掃除をしていた。大学生のときだったはずである。

車庫は細かい砂が溜まりやすく、掃いても掃いてもきれいにならなかった。砂と悪戦苦闘しているときに母が車庫に降りてきた。


「舞香、どう?進んでる?」

「全然だめ、砂が細かすぎて箒で掃いてもきれいにならない。」

「たしかに、水をいたほうが早いかもね。」


そこで私は、母がカバンを持っていることに気が付いた。車庫に置いてある自転車でどこかへ行くのかもしれない。


「あれ?お母さん出かけるの?」

「そう、ちょっと買い出しに。舞香も来てよ、荷物持ちに。」

「アイス食べたい。」

「いいよ、日曜日は安売りだし。好きなの買ってあげる。」

「分かった、ちょっと待ってて。自転車のカギを取ってくるね。」


私は手を洗い、2階の自室で鍵を探すと、慌ただしく階段を駆け下り車庫に戻った。

すると、母は自転車を手で支えながら、車庫の天井の隅をじっと見ていたので、何を見ているのか不思議に思い、私も母に倣って後ろから同じ場所に視線をやった。そこには大きい蜘蛛の巣と、1円玉くらいの黒い体に長い手足の蜘蛛がいた。今、調べてみたらイエオニグモに近いかもしれない。私は車庫の掃除していたはずなのに、こんなに大きな蜘蛛の巣を見落としていたようだ。


「あー、蜘蛛の巣が張ってるね。ごめん、ごめん、全然気が付かなかった。すぐ箒持ってくる。ぱぱっと取っちゃうよ。」

「いいよ、取らなくて。」

「え?なんで?別に蜘蛛を殺すわけじゃないよ。」


うちは、「家蜘蛛は殺すべからず」主義だったので、基本的に蜘蛛は殺さない。カンダタの蜘蛛の糸の話が由来なのか、蜘蛛はダニなどの害虫を食べてくれるので実利的な意味合いなのかは知らないが、家蜘蛛を殺すのは良くないこととして育ってきた。


「ううん、そういうのじゃないの。

今、蜘蛛と話していたんだけど、もう死んでしまうからそっとしておいてって言われたから、このままにしておいてあげよう。」

「まっさかー」


私はケラケラと笑った。


「あ!嘘だと思っているでしょ!?」


私は笑いながら、思ってないと言ったが、そんな馬鹿なことあるわけないと思っていた。


そのあとの展開は皆も読めるかもしれない。


買い出しから帰って来て車庫に自転車をしまいに行くとき、ふと蜘蛛の話を思い出し、先ほどの蜘蛛の巣を見た。

蜘蛛はいなかった。

どこかに逃げたのかな、と何の気なしに視線を下げると、蜘蛛がひっくり返って足を中途半端に閉じて死んでいた。


「お母さん!!!蜘蛛が!死んでる!さっきの蜘蛛!!」

「だからそう言ったじゃない。」


母は驚かずに淡々と言った。

ぞわっと鳥肌が立った。「もう死ぬからそっとしておいて」と言った蜘蛛が本当に死んでしまった。


もうすぐ蝉の季節だから、大変ね、と暢気にいう母を見る目が変わった、と同時に私には虫の話し声が聞こえなくてよかったと安堵した。



どうして、この話をしたかって?


私もとうとう聞こえるようになってしまったからだ。


今住んでいるワンルームの玄関口のところにスズメバチが1匹巣を作り始めていた。1匹だから嬢王蜂だろう。風邪をひいて寝込んでしまって3日ぶりに玄関を開けたら、「なんだ、人がいるのか!」という声がしたので気が付いたのだ。もちろんスズメバチがいることを管理人にすぐ伝えた。管理人は箒でわけもなく蜂の巣を壊して、開閉型の塵取りにハチを放り込んで去っていった。

でも管理人はしっかりとハチを殺してくれなかったようだ。マンションの階段を下りていたら、「お前は絶対に許さない」という声が聞こえ、見ると足元にそのスズメバチがいたのだから。

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