夢幻の人 - 8 -

 もやもやした気持ちのまま放課後を迎え、やはり瑞貴のことが気になって仕方がない俊樹は保健室へ向かう。

 いつも一緒に帰っている友也には事情を話して先に帰ってもらった。

 しかしいつもじゃれついてくる水那の姿を放課後になってから見かけていないことを不思議に思いつつ、扉を叩く。


 「どうぞ、お入りください」


 扉越しに、昨日の出来事は熱に浮かされて見た夢ではないと証明する瑞貴の声が返ってきた。

 中に入ると来客者が意外なのか、事務机から顔を上げた瑞貴は、眼を見開いて瞬きを繰り返している。


 「お二人で……どうなさいましたか?」


 不思議そうな瑞貴の言葉に振り返ると、先に帰ったと思っていた水那が後ろに立っていて驚いた。


 「何でここに」


 「それはあたしの云いたいことだよ! 具合悪いならあたしに云ってって云ったじゃん! 聞いてなかったの?」


 校医を前に堂々と云い放った水那に、二人の視線が集中する。


 「センセーの前で云えることじゃないだろ……」


 呆れを隠せない俊樹の言葉とため息に、水那はまったく怯まない。


 「話変えないでよ! だって俊樹元気なんでしょ?」


 水那の珍しくもっともな言葉に俊樹は詰まり、ふうっと息を吐いて視線を迷わせながら言葉を探す。


 「……俺はセンセーに話があって」


 「別にあたしがいたっていいでしょ、何かやましいことでもあるわけ?」


 水那の一言に俊樹は口を閉ざした。この云い合いの始まりから何も語らない瑞貴は、何を考えているのか気取らせない瞳に二人を映している。


 「ねえ、どうしちゃったのよ。何か変だよ俊樹」


 今まで強気に張っていた口調が力を失って頼りなく震えた。静寂を嫌うかのように水那は更に言葉を続ける。


 「……認めない」


 「え……?」


 呟かれた言葉は俊樹に届かなかったが、その暗く、棘を孕んだ声の発生源である水那に、彼は驚愕の視線を向けた。


 「認めない! なによ……ちょっとくらい綺麗だからって、あたしは、認めない!」


 明らかな嫌悪を込めた視線と言葉を打つけられた瑞貴は色を無くした表情から、次第に微笑を作り出す。

 開花の瞬間を思わせるその低速であり鮮やかな変化に、俊樹も、水那さえも何も云えずに立ち尽くした。

 止まった室内の時間が、外部からの接触で動き始める。扉を叩く音の前から、少女たちのさえずりでこの空気が壊れようとしていることがわかった。


 「どうぞ、お入りください」


 ノックの音に瑞貴は入室を認める言葉をかけた。すぐに扉が開いて少女たちが姿を見せると、その視線は水那に集まる。


 「えー、なんで水那がいるのー?」


 「そうだよー、うちらが誘った時行かないって云ったのにー」


 「てか、椎名くんもいるー。具合大丈夫ー?」


 口々に少女たちが思いのまま話し出すと先ほどまでの雰囲気は跡形もなく消えた。

 瑞貴は先ほど浮かべた微笑のまま少女たちを見つめて、「どうしました?」と校医らしい言葉をかける。


 「あのねー、朝香先生とお話ししてみたくて来たの」


 「先生ちょー綺麗だし、どんなお手入れしてるのか知りたい!」


 「てか、今彼氏いるんですかー?」


 興奮して一気に向けられた少女たちの言葉に瑞貴は軽く首を傾けて、困ったように笑った。


 「そうなのですか? 具合の悪い生徒さんがいらっしゃるまででしたら構いませんよ」


 「やったー」


 「水那もおいでよー」


 重い空気を拭えない様子で立ち尽くしていた水那の手を少女が引いたことを契機に、彼女は「あっ」と声を上げる。


 「あたしこれから俊樹とデートなんだーだからもう帰るねー」


 手を掴んだ少女を、と云うよりは明らかにその奥にいる瑞貴を見ながら水那は帰ることを宣言した。

 そして同じように言葉をなくしてなりゆきを見守っていた俊樹の腕に抱きついて、笑顔を浮かべる。


 「そうなんだーじゃあまた明日ねー」


 「うん、ばいばーい」


 少女たちの見送りを受けて、俊樹は水那に引っ張っられながら保健室をあとにした。彼はまだ帰る気はなかったが、彼女に腕を解放してもらえないことと、何よりあの様子では落ち着いて話ができないだろうと諦めるしかなかった。

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