八話

 月曜日。


 学生の大半が憂鬱になるであろう、月曜日の早朝。


 典晶は、イナリと文也と共に通学路を歩いていた。


 一晩寝て、すっかり神通力の戻ったイナリは、完全な人の姿に変化しており、道行く人の熱い視線を一身に受けている。


「美穂子と理亜、………大丈夫だと思うか?」


 珍しく神妙な面持ちで、文也が呟くように言った。


「たぶん。俺たちは、八意の所で薬湯を飲んだから、問題ないと思う。父さんと母さんも、問題ないって言ってた。昨日一日あったし、回復してるんじゃないかな」


 典成も歌蝶も心配ないと言っていたが、彼らの言うことはイマイチ信用できない。昨日は、彼らの言葉を信用して、酷い目に遭った。やはり、美穂子と理亜の事が心配だった。彼女たちは、典晶よりも凶霊の近くにいて、瘴気を浴びていたのだ。


「そういえば、病院の方は平気だったかな? 昨日、家に帰って新聞を見たけど、病室が破壊されたニュースは載ってなかった」


「あっ……」


 そうだ。凶霊に取り憑かれた理亜は、病院を破壊し、飛び降りて逃げ出したのだ。あの時は、ハロが魔法を使って元に戻してくれたが、果たして、本当にそれで済んだのだろうか。あの両親以上に、ハロの言動は信用できない。


「問題はないだろう。母様から聞いた所、ハロが病院に送り届けた際、病院は平常運転だったそうだ。もしかすると、那由多の命を受けたヴァレフォールが何かをしたのかもしれないがな」


「……そうか」


 那由多と、その従者ならあり得る話だ。彼ならば、病院関係者の記憶を改竄することも造作ないだろう。


「典晶」


 隣を歩く文也が息を飲んだ。見ると、美穂子が通学路で立ち止まっていた。


「………美穂子」


 声を掛けようとした那由多を、イナリが止めた。彼女が顎で示す先には、理亜が立ち止まって学校を見上げていた。


 美穂子は理亜に声を掛けようか、迷っている様子だった。


 理亜は大丈夫だろうか。そして、理亜に操られ、殺されそうになった美穂子は、理亜に対してどんな感情を抱いているのだろう。


 色々考えたが、それは典晶が考えても仕方のない事だった。これは、美穂子が自分の中で消化して、先に進むしかない。


「美穂子」


 那由多が声を掛けると、美穂子はハッとした表情で振り返った。


「典晶、みんなも……」


 美穂子は思い詰めた表情を浮かべていたが、典晶達の顔を見ると、ホッと笑みを浮かべた。


「イナリちゃん、ありがとう、色々迷惑掛けたみたいで」


「私は何もしていないさ。典晶と那由多が頑張ってくれたおかげだ」


「噂の那由多君ね……。会ったときにお礼をしなきゃ」


「すぐに会えるよ。すっっっごいイケメン。マジでお前の好みかもな」


「マジで? わぁ! 凄く楽しみ!」


 文也の言葉に、美穂子は手を叩いて喜ぶ。その声を聞きつけたのか、理亜が振り返った。


「美穂子ちゃん?」


 名を呼ばれ、美穂子の表情が凍り付いた。


「おはよう……」


 元気がないのか、理亜は暗い表情で学校を見上げていた。


 理亜は自殺未遂をした。その事を、彼女は覚えているのだろうか。


「私、大変な事をしちゃった……」


 唇を噛んだ理亜は、踵を返した。


「やっぱり、私帰るね」


「待って!」


 すれ違う寸前、美穂子は理亜の手を取った。


「そ、そんな事ないよ! 大変な事なんてない! 悪い事なんて、何もしていない! 理亜は何も悪くないよ」


「美穂子ちゃん……」


「だから、いこ、学校。ね、私もついているから、絶対に大丈夫だから!」


「でも……」


 辛そうに顔を伏せる理亜に、スッとイナリが歩み寄る。


 イナリは理亜の頭を掴む。


 状況を掴めない理亜が、キョトンとした顔を浮かべた。


「ん。体のどこにも異常はない。心も元気なはずだ。学校に行こう。私はまだ通い始めて数日しか経っていないが、面白いところだな、学校というのは」


「あなたは……?」


 イナリを見て、典晶、文也を見る。理亜は頭を押さえて表情を歪めた。


「私、あなたたちに酷いことを……? 土御門君は、私を助けようとして……」


 座り込もうとする理亜を、イナリは支えた。


「そうだ。お前は、私と典晶、文也、そして、美穂子を殺そうとした」


「ちょっと、イナリちゃん!」


 美穂子がイナリを止めようと、イナリの腕を取った。だが、イナリは平然な顔をして続ける。


「だけど、それはお前の本心じゃない。信じられないかも知れないが、お前は黒井真琴の幽霊に乗り移られていた。だから、あんなことをした」


「幽霊……?」


「信じるか信じないかは、理亜、お前本人に任せる。だが、私は本当のことしか言わない。黒井真琴の幽霊は、消えた。だから、何も心配しなくて良い」


「信じられないかも知れないけど、本当の事だから」


「そうそう。マジで、それ、本当の事だから」


 典晶と文也もイナリの言葉に賛同する。


「そうなの、美穂子ちゃん……?」


「うん。本当の事だよ。私、少し理亜に会うのが怖かったけど、私よりも理亜の方が怖がっているんだもんね。大丈夫。私が付いているから。違う」


 美穂子はこちらを振り返った。


「私達、みんなが付いてるから、大丈夫だよ!」


「うん……うん……ありがとう、美穂子ちゃん。みんなも、ありがとう……」


 泣き出した理亜の手を、イナリは離すとそれを美穂子に渡す。美穂子は理亜の手を取ると、ゆっくりと学校へ向かって歩き出した。


「これで本当に、一件落着だな」


 歩を進める美穂子と理亜の背中を見て、典晶は呟いた。


「この件(・・・)、はな。まだまだ、宝魂石集めは始まったばかりだろう」


「文也の言うとおりだ。宝魂石集めは、これからが本場だ。忙しくなるぞ」


「……そうだね」


 溜息をつきながらも、典晶の顔には笑みが浮かんでいた。


 屹(きつ)度(と)、こうやって友達と絆を深めていくのだろう。そして、イナリとの絆も、深まっていくのだろう。


 いつの日か、宝魂石を集め終わり、イナリがずっと人の形を取るようになったとき、自分はどんな答えを出すのだろうか。


 周囲に流されるまま、結婚をするのだろうか。それとも、お互いに愛し合い、結果的に結婚をするのだろうか。若しくは、イナリと別れ、別々の道を歩むのだろうか。


 分からない。どれが正解で正しいのか。答えなんて、ないのかも知れない。考えるだけ無駄なのかも知れない。


 典晶が考え、決めた事。どんな結末であっても、それが最善で最高の答えなのだろう。


 難しい問いの答えを考えながら、典晶は青空を見上げた。夏の青空は、高く、典晶の小さな悩みを全て吸い込んでしまいそうだった。

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