七話



 明るい世界から一転、常世の森はその名の通り、闇が支配する森だった。空気は粘着力があるかのように重く、体にまとわりつく。一呼吸するだけで、水を吸い込むように息苦しくなる。

「妖気か……。ここは、神よりも妖怪の類の力が強いようだな」

 典晶と文也の背中を那由多がポンポンと叩いた。たったそれだけの行為で、重りが取れたようにスッと軽くなった。

「今、気を入れて邪気を払ったけど……。余り長くは持たないかも知れない。二人とも、素戔嗚の側から離れないで。素戔嗚、もしもの時は二人を頼むよ」

「おう、任せておきな!」

 腕を組んだ素戔嗚は、那由多の言葉に素直に頷く。

「危険な場所なんですか?」

「俺も初めて来たけど、剣呑な気配が溢れている。妖怪の中には、人間に近いものもいれば、動物に近いものもいる。天狗の様に人に近い存在ならば、友好的に話を進められるけど、獣に近い奴等は、話が通じない。サバンナで腹を空かせたライオン以上に凶暴凶悪、そう思ってくれれば良い」

「そんな……!」

「よ、よし! 今こそこの装備だ!」

 文也は腰に差したナイフと、鞭を手に取った。

「………文也君、間違ってもそれで攻撃しちゃダメだよ。相手は妖怪。人間の武器で与えられるダメージはたかが知れてる」

「もしかして、逆効果だったりします?」

「相手を刺激するだけだ。止めときな」

 頭上から伸びてきた手が、文也の手にするナイフと鞭を取り上げた。素戔嗚は肩に掛けたリュックに、それらを無造作に押し込む。

「まずは、情報収集だけど……。素戔嗚、ここに知り合いはいないか?」

「鬼一法眼は飲み仲間だが……」

 素戔嗚はスマホを取り出す。

「圏外だな……。此処は、常世の森の外れの方かも知れないぜ? どうする、那由多?」

「………」

 那由多は顎に手を当て考え込む。

「物知りな知人に聞いてみるか」

「おっ! ラジ公か!」

 那由多は頷き、再び契約している神を呼び出した。

 常世の森を包み込む闇を押し退け、白く輝く光の魔方陣から出現したのは、巨大な本を持つ、白く輝くローブを身につけたニヒルな老人だった。老人は胸元まで伸びる白い髭をもち、オールバックにした長い髪の毛を首の後ろで一つに結んでいた。深く彫り込まれた眼窩には、ナイフのように鋭い輝きを秘めた青い双眸がある。

「なんじゃ、那由多。テスト期間でもないのに、儂を呼ぶとは珍しいのぅ。また、ゲームの攻略でも知りたいのか?」

「………テスト?」

「ゲームの攻略?」

 典晶と文也の呟きを聞き、那由多は盛大に顔を引きつらせて「違う違う!」と叫んだ。

「大天使を呼び出して置いて、テストの解答とか、ゲームの攻略だなんて……! 罰が当たっちゃうよ! アハハハハ!」

 きっと、那由多は度々個人的な理由でラジエルを呼び出し、その知識で様々な難題をクリアしてきたのだろう。これが、典晶と違う、持ってるヤツなのだろう。ズルイ。

「久しぶりだな、ラジ公」

「おお、素戔! 久しいな。元気にしているか? ……うん、大変元気そうだな」

 素戔嗚の形を見たラジエルは、素戔嗚を見て朗らかに笑う。

「実は、知りたいことがあってな。常世の森で、宇迦之御魂神達の住む場所が知りたいんだ」

 ラジエルは周囲を見渡し、「はは~、此処は常世の森か」と呟く。

「待っておれ」

 ラジエルは手にした本を掲げる。独りでに本がパラパラと捲られる。

「ラジエルの書だ。あの本には、この世界のあらゆる事が記されている。過去も、未来のことも全てな」

 素戔嗚が説明する。

 ラジエルの書の厚さは三十センチほど、高さは一メートルほど、幅は七〇センチと言ったところか。破格の大きさの本だったが、驚くべきはそこではなかった。自動的に捲れるラジエルの書は、その厚み以上のページがあるようだった。バラバラと大きな音を立てて高速で捲られるページは、ある場所に来るとピタリと止まった。

「あったぞ……。此処だ」

 厳かに告げたラジエルは、こちらに書を差し出す。

「これは……!」

「マジかよ……!」

 ラジエルの書を覗き込んだ典晶と文也は、驚きの声を上げた。考えもつかない事が、ラジエルの書には記されていた。

「これって……、地図、だよね……?」

「マップルと呼ばれるヤツだ。今年の最新版だ」

「………」

「………」

「悪いな……なんか、普通の出しちゃったみたいで」

 那由多は申し訳なさそうに言って、地図を覗き込む。

 分かっていた。そう、分かっていたが、やはり色々と期待してしまう、現在過去未来、宇宙の秘密を知るというラジエルが記した本だけに、どんな事が書いてあるのだろうと、勝手にハードルを上げていたのだ。

 現実的に考えれば、場所を知るのに適したものは地図以外にないのだから、仕方が無いと言えば仕方が無い。

「えっと……、今が此処だから……少し南西か……」

「直線距離で三キロと言ったところだな」

 那由多が頷くと、ラジエルの書は自動的に閉じられた。任務を終えたラジエルは、満足そうに頷くとこちらを見た。

「ほぅ、そなた……」

 ラジエルは指先を宙に滑らせる。再び、ラジエルの書が捲れた。

「土御門典晶か……。そなた、ここに来るのは初めてではないな?」

 探るようにラジエルに言われ、典晶は「え?」と、素っ頓狂な声を上げた。

「いや……今日が初めてだけど」

 典晶は文也を見るが、文也は肩を竦める。

「そうか? そなたが忘れているだけだろう。この書には、来た事があると書かれている。そなたは以前に一度だけ、幼いときに来たことがある」

「………」

 ズキリと、頭が痛んだ。典晶は頭を巡らし、薄暗い森を見る。

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