五話

「典晶君達! 早く! 置いていくよ!」

 気が付くと、ヘスティアは果樹園の入り口に差し掛かっていた。典晶達は駆け足でヘスティアの後を追った。

 典晶達は、赤くみずみずしいリンゴの木の間を歩く。

 オレンジとリンゴが同じ季節になっている。少し離れた山には雪が積もっているため、四季の概念も地球とは全く別物のようだ。

「デヴァナガライ、あなた、またつまらない事に巻き込まれているの?」

 オレンジの籠を背負い直したヘスティアは、振り返って那由多を見る。那由多は小さく肩をすくめた。

「ま、仕方ないよ」

 那由多は典晶を見て笑みを浮かべた。

「那由多さんは、手伝ってくれているんです」

「あらあら、デヴァナガライにしては珍しいこと」

「相手が人間だからね」

「あらあら、相変わらずね」

 クスクスとヘスティアが笑う。と、彼女が前方を指さした。

「皆さん、到着しましたよ。あそこが、私の家です」

 それは、あまりにも見窄らしい小さな小屋だった。果樹園を抜け、何もない平坦な野原に建つその家は、よく中世以前の西洋の映画で目にするような小屋だった。風雨に晒され、ささくれだった古びた木の屋根に、凹凸のある石を組み合わせた外壁。何枚もの木を貼り合わせた立て付けの悪いドアを開け、ヘスティアはニコニコと典晶達を招き入れた。

「どうぞ」

 朗らかに笑うヘスティアに頭を下げ、那由多が入り、素戔嗚が続いて入ろうとする。

「素戔嗚!」

 典晶が素戔嗚を呼び止めた。

「ん? なんだ?」

「お前が入って、大丈夫なのか?」

 典晶は小屋を見る。素戔嗚の身長と同じくらいの屋根の高さしかない。ドアも素戔嗚が体をすぼめて通れるかどうかだ。ヘタをすると、小屋を壊してしまうのではないか、そんな心配をしていた。

「ん……。大丈夫だ。俺がなにかしようとしたら、止めてくれよな」

 典晶の心配とは全く違うことを考えている素戔嗚は、素晴らしい笑顔をこちらとヘスティアに向けると、「邪魔するぜ」と、入っていってしまった。

「あらあら、心配は無用ですよ。こう見えて、中は結構広いですから」

 典晶の心配を察したのだろう、ヘスティアが「どうぞ」と進めてくる。

「じゃあ、失礼して。お邪魔します」

 ヘスティアに促されるまま典晶は小屋に足を踏み入れた。

「ッッッンガ!」

 典晶はおかしな声を発した。すっかり失念していた。そうだ、ヘスティアはただの少女ではなく、神様なのだ。それも、あのゼウスの姉に当たる人物だ。そのヘスティアが普通の訳はない。

「ひろっっっっ!」

 全く同じ反応を文也が示した。流石、親友。文也だけでもこうした反応をしてくれると、なんだか救われる。

「ひろっっ!デカッ!」

 興奮したように文也が同じ言葉を何度もくり返す。

 ヘスティアの小屋は、外見とは裏腹に、内部は驚くほど広かった。いや、広かったなどという言葉では言い表せない。ヘスティアの小屋の内部は、宮殿のよう広がっていた。

 野球ができそうな程の広いホール。遙か正面に見える螺旋階段は天を抜くように伸びており、余りの高さに天井を見ることができない。左右を見ても、その広さは桁違いで、遙か彼方に見える通路の先は見通せない。

 ヘスティアの牧歌的な服装ととは裏腹に、宮殿は赤と橙、金色で装飾されハレーションを起こしそうだった。

「ここ、一人で住んでるんですか?」

 典晶はヘスティアに尋ねる。

「ええ。私は処女の神様ですから。常に一人です。ただ、人間界には私を想ってくれる方が沢山いるので、寂しくはありません」

「クゥッ……」

 素戔嗚は目頭を押さえて天を仰いだ。

「ヘスティア、ゲートは何処だ?」

 素戔嗚に溜息をつきつつも、那由多はヘスティアにゲートの位置を尋ねる。

 見回して見るが、ゲートのような物は見当たらない。

「えっと……この中の何処かにあると思うんですが……。探すの、めんどくさいですよね?」

「一生掛かっても無理だよ! アンタ等と違って、俺達の時間は有限なんだよ!」

「あらあら……。ちょっと待ってて下さいね」

 ニコニコと笑うヘスティアは、ポケットからスマホを取り出す。

「此処にも携帯が浸透してるか」

「だな」

 違和感のある絵だと思いながらも、典晶は周囲を見渡した。やはり、凄い屋敷、いや、典晶の感じられる感覚では、この場所は家の中と言うよりも、世界。一つの世界に入り込んだような感覚だ。

「あらあら? ゼウスちゃん? お姉ちゃんだけど……。うんうん、こっちは大丈夫。そっちは? え? またハーデスちゃんとケンカ? もう、兄弟喧嘩はあれほど止めなさいって、お姉ちゃん何度も言ってるでしょう?」

 ヘスティアの言葉に、典晶と文也は再び顔を見合わせた。

「ゼウスとハーデスって、やっぱり仲悪いんだな」

「うん。その辺りは、神話を踏襲してるみたいだな。そうしてくれると、俺達も助かるわ、色々な意味で」

「二人とも、期待しいない方が良いぞ」

 毛足の長い絨毯の上に座り込んだ那由多は、ニンマリと笑みを浮かべる。そして、その笑顔の意味が数秒後、明らかになった。

「あらあら、またカードゲームでハーデスが狡をした? 嵌めワザを使った? ゴメン、お姉ちゃん、何の話だが意味が分からないわ。え? 日本のカードゲーム? 崇徳に教えて貰った? もう、崇徳さんのせいにするの止めなさい。それに、お金を使いすぎちゃだめよ! 分かった? あっ、そうそう。この間、畑から動かしたゲート、お姉ちゃんの家に置いたでしょう? あれ、何処だったか憶えている?」

「………典晶、崇徳って、崇徳上皇? あの、大怨霊の?」

「………俺の聞き間違いじゃなければ、多分そうだな」

「ほらな」

 那由多は笑った。

 また頭痛がした。典晶が思っているような神様は、この世にも、あの世にも存在していないのかも知れない。

「みなさん、分かりましたよ。エデンへ通じるゲートは、八六五階の、八六五〇〇一号の部屋に置いてあるそうです!」

「はっ、八十……!」

「万……?」

 ついに文也はリュックに押し潰された。

「ああ……」

 典晶は上を見上げるが、遙か彼方はやはり霞んで見えない。一体、ここは何階まであるというのだ。

「カリンの塔かよ、全く……!」

「エレベーターとか、瞬間移動的な装備がもちろんあるんですよね?」

 典晶が尋ねると、ヘスティアは「あらあら」と、朗らかな笑みを浮かべる。

「いいえ、そんなものありません。歩いて行くしかないかもですね」

「そんな……! あっ、もしかすると、イナリは?」

 典晶は文也を見る。文也も同じ事を思ったのだろう。ポンッと手を打つ。

「もしかして、イナリちゃんはまだこの屋敷に……」

「いねーだろうな。裏口を使っただろうな、イナリちゃんは」

 素戔嗚が真っ先に否定した。

「え?」

「たぶん、彼女は裏道を使ったはずだ。正式な出入り口ではない、抜け道だな。俺達は分からないけど、彼女たちだけの近道があるはずだ」

「あらあら、そうですね~……。私達は、自分達の場所に帰る抜け道は、様々なところにありますから。ただ、それは私達、そこに住む神様専用の通路になってますから」

「だから、俺と典晶君達は、こうして遠回りをしても正式な道から行くしかない。それに、人の家に訪れるのに、裏口からいくのは、礼儀良くないだろう?」

 那由多は立ち上がると、右手を無造作に天に向かって突きだした。

「かといって、この階段を上っていたら、日が暮れちまう。大鵬」

 先日と同じように、手の先に青い魔方陣が生まれ、白い固まりが勢いよく吐き出された。その巨大な固まりは、空中で凄まじい勢いで回転すると、音も無く典晶と那由多の間に降り立った。

「お呼びですかぁ? マスター」

 白い貫頭衣にくるまった、眠そうに目を擦る青年、大鵬。外見は典晶達とさほど年齢も変わらない。鼻眼鏡の奥にある双眸は灰色で、同色の髪の毛は綿毛のように柔らかそうだ。

「大鵬、頼みがあるんだけどさ」

「まぁたぁ、アッシーですか? 今度は何処ですぅ? 学校ですかぁ? 地球の裏側ですかぁ?」

「………えっと、八六五階の八六五〇〇一号室」

 アクビを噛み殺した大鵬は、上を見た。

「うぇ~。広い家だなぁ~」

「あらあら、おはよう御座います、大鵬さん。私の家なんです」

「ああ、ヘスティアさんの家でしたかぁ、それならば納得」

 大鵬の体が一瞬光に包まれたかと思うと、次の瞬間、巨大な鳥が現れた。身の丈は優に十メートルを超える。翼を広げると、三十メートルは行くだろうか。あり得ない程巨大な鳥だったが、それ以上に、ヘスティアの家のスケールが桁外れなため、それほど大きく見えない。灰色の体毛に、巨大な四枚の翼。鞭のように長く伸びた無数の尻尾は、虹色に輝いていた。

「じゃあ、マスターとご友人。背中に乗って下さい。指定の場所まで運びますからぁ」

「頼むよ、大鵬」

 那由多は頭を下げた大鵬の嘴から、頭、首を通って体の上に移動した。

「ヘスティアさん、ありがとう御座いました」

 典晶はヘスティアに頭を下げた。ヘスティアはニコニコしながら、手を差し伸べた。

「貴方の前途が幸運に包まれますように」

 ヘスティアは両手で典晶の手を包み込んでくれた。暖かい、ヘスティアの温もりは、心の中まで温めてくれるようだった。文也にも同じ事をしたヘスティアは、素戔嗚の手を取ろうとするが、素戔嗚は大きく後ろに飛び退いてヘスティアの手を逃れた。

「ダメだぜ、ヘスティア! 俺は、おめーには触れられねー! 触れたらアウト! それは、ロリコンとして超えちゃいけねー一線を越えることになる!」

「ろ、ロリ……?」

「ヘスティアさん、気にしないで!」

「そうそう! 気にしないで! 素戔嗚は、少しこじらせているだけだから!」

 不思議そうに首を傾げるヘスティアにもう一度礼を言った典晶と文也は、那由多に倣い大鵬の嘴から体に上った。素戔嗚は嘴から上ろうとはせず、持ち前の身体能力で一足飛びで体の上に乗った。

「あらあら、お茶用意もできなくて、すみませんね。また帰りに来たら、お茶を飲んでいって下さいな」

「迷惑掛けたな、ヘスティア! ゼウス達にゲートは変えるなって言っといてくれ!」

「ありがとう、ヘスティアさん!」

「また来ます!」

「あばよ、ヘスティア!」

 那由多が大鵬の背中をポンッと叩くと、大鵬は四枚の翼を大きく広げた。ゆっくりと、大鵬が翼を下げる。すると、見えない線で引っぱられるかのように、大鵬の体は急上昇した。

 世界が動く。一瞬にして、ヘスティアの姿は見えなくなり、地面は遙か眼下にあった。

「もう一羽ばたきって所かな」

 那由多の言う通り、大鵬がもう一度羽ばたくと、更に加速して世界が急上昇していく。そして、ピタリと大鵬が止まった。不思議な力に守られているのだろうか、典晶は風も重力の影響も受けず、まるで3Dアトラクションの中にいるかのようだった。

「八六五〇〇一号室まで頼む」

「かしこまりぃ~」

 眠そうに呟いた大鵬は、今度は平行移動を始める。広大なロビーから廊下に入る瞬間、巨大な体を避けるように壁が左右に広がった。

 大鵬はゆっくりと翼をはためかせる。移動スピードが余りにも速すぎるため、無数のドアが一つに繋がったように目に映った。赤、橙、金色の装飾が一本の線のように繋がる。

「到着です」

 再び、何の反動もなく大鵬は制止した。大鵬の前に、目的地である八六五〇〇一号室の扉があった。ただ、その扉の番号の横には、女性用のトイレを示す看板が取り付けられていた。

「………」

「………」

「………」

「クゥ~~~! 全能神ゼウス、やってくれるぜ!」

 何故か、素戔嗚が嬉しそうな声を出した。

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