三話

「わぁお! やるじゃない! 典晶君!」

「すげーな、ポケコンやるじゃねーか!」

 ハロと文也が歓声を上げるが、イナリの顔は険しく、その目は殺気に満ちている。

「典晶、そのまま美穂子を固定していろ! この隙に、私がケリを付ける!」

「待て! こうしていれば、時間は稼げる!」

「無理だ! 奴が近くにいる!」

 イナリが飛び出した。無防備な美穂子の首めがけて、イナリは振り上げた右手を振り下ろした。


 キェェェェェェー!


 その時、別空間であるはずの廊下から、凄まじい悲鳴が聞こえた。瞬間、美穂子の体が見えない糸に引っ張られるように、もの凄い早さで廊下に吸い込まれた。典晶の指は再び画面の外に弾き飛ばされた。

「なんだ?」

 典晶は美穂子が吸い込まれた廊下を見た。

 これまでとは違う、闇が迫ってくる。それは、比喩ではなく、ドアから闇が生き物のように這い出してきた。

「ゲゲッ! ヤバイ!」

 首を摩りながら、ハロが下がってくる。空振りしたイナリも、闇から逃れるように、後退してくる。

「私は、典晶すら守れないのか……!」

 横に来たイナリが、悔しそうに唇を噛む。

 それは、異様な姿だった。黒い闇を纏った理亜。その顔は、数刻前の面影は微塵もなかった。

 赤く輝く瞳。土色の顔には無数の傷が走り、血が止めどなく流れ出ている。顔だけではない。全裸の理亜は、体中から血を流していた。その血の色は赤ではなく、黒。黒に近い赤だった。コキコキと首、肩、手の関節を鳴らした理亜は、口を大きく開け、緑色の胃液を吐きだした。

 理亜の右手には、首を捕まれた美穂子がぐったりとした様子で引き摺られていた。

「殺す……殺す……コロス……コロス!」

 闇が刃のように渦を巻き、机や椅子を粉々に破壊した。

「典晶君! ポケコンで!」

 ハロに言われるまでもない。典晶はポケコンを理亜に向ける。だが、理亜の力は強かった。彼女はポケコンの制御は受けるが、美穂子のように完全に動きを止めることはできなかった。ゆっくりと動き、こちらに近づいてくる。

「どうする?」

 イナリがハロに尋ねる。ハロは盛大に頬を引きつらせる。

「ん~……最悪、この空間を解くしかないかも。現実世界にグールが溢れて、美穂子ちゃんと理亜ちゃんが死んじゃうかもだけど。私たちまで死ぬよりマシよね」

「そんな……!」

 典晶は次の言葉が継げなかった。彼女の言葉を否定できなかったからだ。文也も一度大きく息を吐いただけで、心配そうな眼差しを美穂子に向けた。

 ゆっくりと、だが確実に理亜は近づいてくる。

「コロス……コォロォスゥゥゥゥー!」

 激しい怨嗟の声を絞り出しながら、理亜の前進は止まらない。その時、理亜の右手が美穂子の首から離れた。美穂子は力なく床に崩れ落ちた。そして、理亜は空いた手を振る。すると、廊下からグールが吠えながら教室に流れ込んできた。ゾンビ映画で見るような、絶望的な絵だった。

「典晶!」

 文也が典晶の肩を握る。典晶はスマホを横にすると、画面の半分を隠すように迫り来るグール全てをタッチし、ロックした。グール達は、見えない壁に阻まれたように動きを止めた。見えない鎖に縛られた彼らは、唾液をまき散らし、こちらを威嚇している。

 ハロは空間を解除しようとしていたのだろう。胸の前で合わせようとした手を止め、ホッと息をついた。

「だけど、どうするんだ? 美穂子、もう助けられないのか? なあ、典晶!」

「………」

 文也の問いに、典晶は何も答えられない。

 とりあえず、ポケコンで凶霊とグールの動きは封じたが、それも一時のことだ。このまま、ずっと押さえ続けることなどできない。事実、グールは兎も角、凶霊はジリジリとポケコンの拘束を受けながらも動いてくる。

「一応、気配はまだあるけど、この状況じゃ……」

 助けることは無理。そうハロの表情は物語っていた。典晶は自分の不甲斐なさに歯を食いしばることしかできなかった。

 その時、画面の端で何かが動いた。黒い筋が画面を横切ると、獣の咆吼が響き渡った。それは、獲物を前にした威嚇や威圧の叫びではなく、恐怖に戦く断末魔の悲鳴だった。

「嘘でしょう……?」

 目の前で起こっている事象を目の当たりにし、呆然とハロが呟く。

 凶霊は、自分の周囲にいるグールに闇の触手を伸ばすと、スッポリと覆い尽くし、自らの体に吸収した。グールは必死に触手から逃げようとするが、ポケコンにより動きを抑制され、為す術もなく、凶霊に吸収されていく。


 ピピッ ピピッ ピピッ……


 手元から電子音が聞こえた。典晶には、その音の意味する所がすぐに分かった。文也もイナリも、ハロも目の前で繰り広げられる凶霊の晩餐に夢中になっているが、典晶は違った。もっと切羽詰まった、現実的な問題が起きようとしていた。

「ヤバイ! バッテリーが……!」

 その一言で、文也とハロは何が起きようとしているのか理解できたようだ。ただ、イナリは惚けた表情でこちらとグールを見比べている。

「嘘でしょう! 信じられない!」

「マジか! お前! 充電してこいよ!」

「してきたよ! でも、このアプリは凄くバッテリー使うんだよ!」

 典晶は叫ぶ。

 こうして居る間にも、スマホのバッテリーはどんどん消費されていく。

「美穂子ちゃん! 理亜ちゃん! ごめんね!」

「ハロさん!」

 典晶はハロを見る。しかし、ハロは典晶の言葉を待たず、胸の前で手を合わせた。

「この世界を! 破壊する!」

 ハロは力強く叫んだ。

「………」

 胸の前で手を合わせたまま、ハロはキョロキョロと瞳だけを動かす。

「…………あれ?」

 口元を引きつらせたハロは、もう一度胸の前で手を合わせるが、世界は何一つ変化しない。

「どうした? 早くこの空間を破壊しろ! そうじゃないと、典晶達が!」

「分かってるわよ! でも、できないのよ! 言うこと聞かないの! この空間、誰かに乗っ取られたの!」

 ハロは正面を見据える。グールを吸収し、どんどん強力になる凶霊が目の前にいた。闇は無制限に広がり、どんどん教室に闇の触手を広げていく。

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