十六話

「分かってると思うけど、手加減はいらないわよ、イナリちゃん」

 ハロの背中が輝き、一対の羽が現れた。ハロは何度か羽を動かすと、剣の感覚を確かめるように手の中で回した。

「承知している。手加減は母様から教えられていない」

 肩を回しながら、イナリは廊下の中央でハロと並んだ。

 立ち止まった二人を気にすることなく、グールは走り寄ってくる。イナリ達は微動だにせず、グールを待っていた。

「イナリ!」

 典晶はイナリの背中に呼びかけた。自分は男だというのに、何もできない事が悔しかった。物語の主人公なら、こういうとき特殊能力が目覚めるだの、持ち前の潜在能力の高さで何とか切り抜けるのだろうが、典晶は何もできない。こうして、後ろからイナリを応援することしかできない。

「頑張れ……!」

 言いながらも、典晶と文也はズリズリと這うようにして後退していた。情けないと分かっているが、応援しなければいけないと分かっているが、怖いのだ。目の前に迫る恐怖に、立ち向かう術を持たないのだ。

「まだ前座だ。本番はこの後だ。この世界には里奈も美穂子もいる。体力を蓄えておけ」

 イナリは肩越しに振り返ると、優しく目を細めた。典晶は、イナリの言葉に頷くことしかできなかった。

「来るわよ!」

 ハロが叫ぶのと、グールが奇声を上げて飛びかかるのがほぼ同時だった。

 イナリは一歩踏み込むと、細い腕をグールの腹部にめり込ませた。華奢な体からは想像できない膂力を持つイナリの一撃は、先頭のグールを吹き飛ばし、後方から迫るグールの足を止めた。

 隣のハロは、舞うように体を回転させると、グールの体を豆腐を切るかのように容易く両断していった。ハロによって体を上下に切り分けられたグールが、飛びかかった勢いのままに典晶達の足下まで滑ってきて、どす黒い血を両断された腹部から出していた。

「ううう……~~!」

 刻まれて、山になっていくグールの死体を見て、文也は今にも気絶しそうだった。

「文也、しっかりしろよ! 気絶だけはするなよ!」

「分かってる! 分かってるけど……」

 口を押さえた文也は、横にある教室のドア開け、逃げるようにして飛び込んだ。ドアの向こうは暗闇が広がっている。ちょうど、アマノイワドで八意が住むプライベート空間へ行くときのようだ。この先がどうなっているか、廊下からでは伺い知れない。

「馬鹿!」

 典晶は文也を追おうとしたが、思いとどまり、イナリとハロの背中を見た。文也は心配だが、このまま典晶が此処を離れて、大丈夫なのだろうか。もし、この扉の先にもグールがいたとしたら。それどころか、全く別の世界に繋がっているとしたら。

「行って! この部屋の中で隠れていて!」

 ハロに言われ、典晶は這うようにしてドアに近づいた。教室に入る前に、典晶はもう一度振り返った。イナリは迫り来るグールに臆することなく、殴り、蹴り、飛び、次々と素手で屠っていく。

「イナリ! 無理はするなよ!」

 イナリの背中に叫んだ典晶は、文也を追って教室の中に入った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る