77:女の子の聖戦・1

 この魔法は解かなくてもかまわない

 春になればきっと、氷と一緒に恋もとけてしまうから



「あなた、磐城先生となにかあったんじゃなくって?」

 そう切り出してきたのは、花乃が少しだけ警戒している同級生だった。嫌いなわけではないけれど、いささか会話が成り立ちにくい傾向にある相手。自ら進んで話をしたいとは思えない相手だが、週に三度の英語の授業のあとにだけは、その相手をしなくてはいけなかった。

「湯浅さん、いきなりなあに」

 花乃は視線と一緒にあさっての方向にさまよい出しかけた声を慌てて連れ戻し、喉もとで低く押し殺した。栞の観察眼は常人レベルではなかったのだという事をあらためて思い知らされて、心臓がバクバク早鐘を打つ。取調官宜しく、栞はまだ疑わしげに花乃の顔を間近で覗き込んでいる。

「そんなことあるはずないよ~」

 笑いながら、花乃は両手をひらひらと栞の目前で振ってみせた。


 きっぱりと別れを告げた翌日、花乃と忍はよりにもよって朝一番に昇降口でばったりと顔を合わせる羽目になった。一瞬言葉を失った二人は互いに腫れぼったい瞼をこじ開けて何度かまばたきを繰り返したあと、おはようと挨拶を交わした。

 忍は優しかった。距離は取ったけれど、拒否はしなかった。それが彼の精一杯の強がりだった。

 花乃という歯車を回す、忍や佳乃や千歌や英秋――そういった周囲の歯車が少しだけぎこちなくなっていたけれど、それはすべて自分の歯車から波及したものだと解っている。今は触れ合うと軋む関係でも、時が解決してくれることもある……そう思った。それと同時に、自分で解決しなければいけないこともあると。

 次の週に入って、英語の授業は3回終えた。その3度目の授業の放課が今だった。

「私もね、そんなことがあるはずないと信じたいわっていうかむしろアナタと先生がどうにかなんて死んでも考えたくなくてよ。でもわかるのよイヤなんだけどなんかわかるのよ!」

「考え過ぎだよ……湯浅さん落ちついてえ」

 髪を振り乱してわめく栞をなだめながら、花乃はおそるおそるまとめた荷物に手を伸ばした。この猟犬もびっくりの嗅覚を持つ栞にこれ以上アラを見出されるわけにはいかない。隙あらば走って逃げ出そうと、鈍い花乃には珍しくそんなことを考えた。

 だが栞は突如先手を切った。ひそかに鞄の取手をとらえた所で力一杯手首を掴まれた花乃は飛びあがり、わけも解らずごめんなさいと繰り返した。すっかり気圧されて尻ごみする花乃の手を掴んだまま栞は凄んだ。「まだまだ話したいことがあるんだけれど、私は忙しいのよ。時間がもったいないから、あなたには私の用事につきあってもらうわ、さあいらっしゃい!」

「えっ、えっ、用事ってドコに……湯浅さ」

 傍目にはそれはそれは仲睦まじく手をつなぎ、栞と花乃は連れ立って校門を出て街中に向かった。

 道すがら栞の追求は強烈だった。花乃はことあるごとに全身を使って「違う」と繰り返さなければならず、彼を守るためとは言え嘘をつく際の自責の念は花乃の神経を余計にすり減らした。

「先週からあなた先生に全く当てられなくなったでしょう」

「よ、よく覚えてるね。だから……それはきっと先生の気まぐれだよ」

「そうよその次の日に拓也様の相手がよりにもよってあーたのあの物騒な片割れだってことが噂になったんじゃないの! ちくしょう許せませんことよ見てらっしゃい関口佳乃! いやそれはどうでもいいのよよくないけど、ともかく、あなたも先生も、少しも目を合わせようとしないでしょう」

「う、うん、前からそうだったよ」

「嘘おっしゃい! 不自然なのよっ! 明らかに意識してるじゃないの」

「してないもん」

「じゃあ前の追いかけっこはなんだったのよ。HRほっぽって先生は」

「あれは関係ないの、サボろうとして怒られただけだもん!」

 いくら弁解しても頭から信じようとしない相手にほとほと疲れ果てたとき、その不毛な応酬に終止符を打つように栞の足が止まった。目的の場所についたらしい。

 真新しい看板がぶら下がった、アンティークな洋菓子店だった。ここよ、と言ってずかずかと中に入っていく栞を追いかけて店内を覗きこんだ花乃は、その意外な繁盛振りに驚いた。

「おんなのひとばっかり、いっぱい」

「当然でしょ、時期が時期なんだから。それに有名な店だもの。一度来てみたかったのよ」

 ふんと鼻で笑う。そんな栞の言動の意味が解らず、花乃はその甘い香りにつられてカウンターへふらふらと近づいて行った。ガラスの中に並ぶ、限りなく黒に近いセピアの固体とそれが放つ芸術的な光。

「おいしそうなチョコレートがいっぱいある……わあ~みんな食べたいなあ、どれにしよう」

「あなたが食べてどうするのよ。あなたやっぱりバカ?」

 きょとんと振り返った視界の端に、カウンターでそれを受け取る人のすがたが映る。綺麗にかわいらしくラッピングされたチョコレートを大事そうに受けとって、微笑む綺麗な女の人。

「――あ、そか」

 バレンタイン・デイ。女の子の聖戦まであと少し。

「やっぱり本命にはここのチョコレートで勝負を仕掛けるに限りますわね。今日はとりあえず味見用にいくつか買っていくことにするわ。……関口さんは何か買うおつもり?」

 あからさまに詮索するような視線だった。花乃は苦笑して、ゆるゆると首を振る。

「ううん、買わない。わたしには関係ないもの」

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