41:BIRTH・1

 何だかとても久しぶりに感じる家族団欒。ごちそうを食べて、明日のパーティーの話をして、合格祝いの話をして、本当に楽しいことばかりで。きらきらしてて。

 だから眠れないんだ。楽しすぎて、どきどきして、こわいくらい――


(パーティ……)

 ベッドからはい出して、花乃はクローゼットに丁寧にしまわれている柔らかいワンピースを引き出した。優しい桜の色をしたシンプルなドレス。誕生日、童話のお姫様のように着飾って家族や友達に祝ってもらえるなんて、それこそ花乃が小さな頃から抱いていた夢だった。

 嬉しくて嬉しくて。仕方がないはずなのに。

 抱きしめると、それはさらさらして、少し冷たくて、とても気持ち良かった。顔をうずめるようにしたまま立ち竦む。少しだけ甘い、新品の服の匂いがした。

 一生に1度だけの、18歳のバースデイ。

 思い出したのは、年明けに届いた一通のメールだった。不器用で回りくどくて、それでもちゃんと、一緒に新しい年を祝ってくれた、あの人の。


「……聞きたい」

 言葉で聞きたい。英語でもなんでもいい。わからなくてもいい。

 ただ、わたしが生まれた日を知ってほしい。

 ひとことだけでいい。ひとめだけでいい。

 明日、センセイに、会いたい。

 明日、その声が聞きたい。


 スマホの電話帳を開いて、花乃はじっとアドレス帳の番号を見つめた。「先生」のたった二文字が、今はとても胸に痛かった。彼は先生、わたしは生徒。最初からその関係に変わりはなかったはずなのに、突然それが恨めしいくらい遠い関係に見えてきてしまう。

 先生と生徒であるということの、なにがこんなにイヤなのだろう。

(はっきり迷惑だって言われた……だから、もうメールなんかしちゃいけないんだ)

 こんな子供のわがままのような、出所の判らない衝動的な感情で、彼を困らせたくないと思う。自分でもわけがわからなくてひどく戸惑っているのに、それにつきあわされる彼はそれ以上に困惑するはずだった。

(わたし、なんだかこどもみたい)

 思っていた以上に依存してしまっていたのかもしれない。ほんの数ヶ月前に会ったばかりの人なのに、嫌われたと思うだけで眠れなくなってしまう。はっきりと迷惑だと言われたのに、まだ。

 まだ会いたいと思ってしまう。

 花乃はスマホを枕の下にうずめた。気を抜くと無意識にメッセージ画面を開いて、その履歴を見るとすぐに「返信」ボタンを押しそうになってしまうからだった。

 暴れ出している感情が何なのか解らない、自分のことなのにそれが無性に怖い。

「迷惑かけないって決めたもの。だいたい、センセイをパーティーに誘えるはずない……」


 けれどもし、ひとめでも会えるなら。

 これほど、こわいくらいに楽しくて素敵なことはないんじゃないかと――

(わたし、おかしい。自分のことばかり考えてる……)

 頭を強く振って、ベッドにもぐりこむ。明日は朝から準備があるから早く寝ようと思っていたのに、どうにも目が冴えておとなしく眠れそうになかった。

 この日――大波乱となる18歳のバースデイは、初めて知る感情の混沌とともに、ベッドの中の花乃のもとへ訪れたのだった。



 わたしが生まれた日

 わたしから生まれる日

 ――――Birth.



 朝から霜が降りていた。カーテンを開いた窓は結露し、流れ落ちた水滴の軌跡から、ぼんやりと明るい外の景色が見える。さすがに窓を開ける気にはなれず、てのひらで濡れた窓をなぞる。

 ひとつ年を重ねて初めて見るのは、少しだけ白く霞んだ空。

(18歳……に、なるんだよね、わたし……)

 この日を境に、社会的な規則と不規則のバランスが大きく変わる。責任は重く圧し掛かるかわりに、今日からは保護者の傘の外にも出られる。取ろうと思えば免許だってとれるし結婚だってできる。ひとくくりにされた「子供」からの脱皮、「大人」へのプロモート。

(わたしも、おとなになれる? もうおとなっていえる? ……こどもを越えられる?)


「うーっ、寒い! 花乃、準備できた?」

 勢いよくドアを開けて入りこんできた佳乃は、窓際で佇む花乃の姿を見てわっと声を上げた。寝坊した佳乃がてんてこまいで準備に追われたせいで、約束の時間を間近にしたこのときに初めて二人はお互いの晴れ姿を目にすることになった。

 佳乃が二の句を継ぐよりも早く、振り返った花乃は両手を叩いて歓声を上げた。

「わあ、佳乃ちゃんカワイイ! すっごい似合ってる!」

「えっ、そ、そう? ありがとう……」

 肩までの髪にふんわりと波を作って、ドレスと同じ色のリボンを結んだ佳乃は、花乃ですら初めて目にする見違えるような姿だった。この姿で街角にちょこんと立っていれば、恐らく誰一人として彼女が勉強に命すらかけられるほどのがり勉だということや、その小さな唇から人を再起不能にするような暴言が飛び出すこと、ましてやリーサルウエポンの鉄拳のことなど想像もできないだろう。

「神崎くんがいれば良かったのにね~、もう絶対メロメロだよ」

「こ、こんな姿アイツにだけは見せられるもんですか! 何言われるかわかったもんじゃない……いや絶対アイツなら『馬子にも衣装を体現してますね』とか言って笑うに決まってるー!」

 本気で嫌がっているのかぶるぶると激しく頭を振り乱したあと、佳乃はようやく思い出したように花乃を指差した。「あ、あたしより花乃よ! 予想はしてたけど似合いすぎ!」

 花乃はきょとんとして佳乃を見返し、曖昧に微笑んだ。

「そうかなあ? でも佳乃ちゃんが似合ってるんだから、わたしも似合ってるといいな」

 紫乃に楽しそうに髪や顔をいじくられていた覚えはあるのだけれど、如何せん寝起きだったので何をされていたのかあまり覚えていない。気づいたときには髪がふわふわになっていて、十人並の顔が九人並くらいには整えられていたようだ。ちらりと鏡で見たときには衣装との違和感をさほど感じなかったから、見苦しいわけではないと思いたい。

「いや、うーん……忍くんの反応が目に見えるようで……楽しみ……」

 佳乃は笑いを堪えきれないのか、口に手を当ててぶくくと吹き出した。そして時計を見てあっと声を上げる。「いけない、もうすぐ時間だ準備準備! 12時出発だよ、花乃もいそげー!」

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