31:その二組の邂逅
幸せをかみしめながら花乃の声を聞いているうちに、いつの間にか学生には縁遠い一画に来てしまっていた。ハイブランドのショップや宝飾店が立ち並ぶエリアだ。そして気付けば花乃はある店先のショーウインドウの前で釘付けになっている。
「どうしたの、何かあった?」
忍が後ろから覗き込むと、見るからに頑丈そうなケースの中に、色とりどりの宝石をちりばめたアクセサリーが並んでいた。サイネージにはロマンチックな夜景や教会の映像が流れ、明らかにこの時期のカップルの需要を見込んでいるのがうかがえた。実際に店内は着飾った恋人たちでいっぱいのようだ。
高校生に宝石は無理だと内心で嘆く忍に、花乃はため息混じりの呟きを漏らした。
「きれいだね、指輪、素敵だなあ……いいなあ、佳乃ちゃん」
「え?」
花乃の常識を無視したおねだりをどうかわそうかと必死に考えはじめた忍だったが、最後にくっついた名前にふと我に返る。「佳乃ちゃんと指輪がどうかした?」
「ふふ、昨日ね、神崎くんからプレゼントが届いたの。難しそうな雑誌の中からころんと出て来たのが指輪だったんだよ~、もう佳乃ちゃん1日中はしゃいじゃって」
天邪鬼を極めた妹は内心の動揺を怒りのオブラートで包むクセがある。したがって、佳乃は昨日丸一日『神崎のヤツー!』と怒鳴り散らしていたが、それは相当な効果の顕れだった。分身である花乃が、本当に佳乃の扱いをこころえているなあと感心してしまうほどだ。
「拓也が指輪……! うっわ、やりそう……! 金持ちかアイツは」
「こんな派手なのじゃなくて、小さな石がちょこんとついてた細いリングだったよ。そんなに高くないんじゃないかなあ。水色の綺麗な箱に入ってて、なんとかアンドなんとかっていうロゴが」
(――ティファニーじゃないのかそれ……)
口にする勇気はなく、忍は額をおさえてうなだれた。たかが高校生が、雑誌に押しつぶされるのも構わずダンボールに突っ込んで送ってこれるようなシロモノではないのは確かだ。
「……あー、そろそろお昼だね、ごはん食べに行こうか花乃ちゃん」
半ば強引だがこの際立ち去るしかない。忍の呼びかけに花乃も案外素直に頷き、ケースから身を離して歩き出した。「うん、お腹すいちゃったね。あ、あそこにあるのってカフェかなあ」
店の入り口前を横切ろうとした瞬間、自動ドアが開いた。
「――っわ……!」
そしてそこから出て来た人影とぶつかり、まるで弾きあった磁石のように勢いよく、花乃と相手はぱたんと地面に倒れこんだ。あまりにもあっけなくて、忍は暫く状況を把握するのに戸惑った。
「あい、たた、た……」
「いった……」
花乃が身を起こしかけてようやく、忍は倒れた花乃に駆け寄った。「大丈夫か、花乃ちゃん」
「うん、わたしは平気。ごめんなさい、大丈夫でしたか?」
花乃は同じように地面に倒れこんだ相手を振り返った。
まだ腰を落としたまま顔を上げたのは、花乃も思わずまばたきを忘れるほど華やかな女性だった。肩で緩く編んだ黒髪から覗く肌は真っ白で、しなやかなワンピースをまとった体は驚くほど細い。これじゃあ花乃とぶつかっても抵抗なく倒れるはずだ、と忍も息を呑んで相手を見た。
女性は明らかに険のある眼差しを向けてきたが、その目に花乃と忍の姿を捉えるや、気が抜けたような表情になった。溜め込んだ息を大きく吐くと腰を上げ、気だるそうにドレスの裾をはたく。そのたびに、あわいムスクが香った。
「痛かったけど、平気。どうってことないわ」
「そうですか、よかった……」
ほっと息をついた花乃が忍の手を借りて立ちあがろうとしたとき、女性の背後の自動ドアがまたも開いた。靴のかかとを鳴らして女性の傍らで立ち止まると、花乃たちの前まで影が伸びる。背の高い人なんだと解った。
だが次の瞬間、その人が発した声に、花乃は耳を疑った。
「どうかしたのか、ほのか」
瞬間的に忍を掴んだ手に力がこもった。そのまま、ゆっくりと顔を上げる。
黒いスーツの上にロングコートをはおった、細長いシルエットの男性――いつまでたっても見上げなれないほどの角度を必要とするその背の高さも、全体的に堅い印象のモノトーンの中で映える明るい色の髪も、いつものどこか冷めたような表情も、すべて間違えようもない印象のものばかりなのに、そのすべてがそろっている。
「セ」
本人だ、と確信した時、花乃は叫びそうになる口を本能的にあわててふさいだ。何故だか判らないけれど、今口にしてはいけないような気がした。このまま逃げ出したい衝動すら起こる。
けれど、押し殺された花乃の叫びを代弁するかのごとく、傍らの忍が大量の驚きのこもった上擦る声をあげた。
「うわ、磐城先生じゃないですか!」
英秋は驚きのこもった目で振り返った。そして忍と、その横で固まっている花乃を見て、切れ長の目を瞠いた。花乃ですら初めて見る、信じられないものでも見るような顔だった。
彼の傍らで立ち竦んでいた女性もまた、驚嘆を含んだ大きな黒い目で英秋と花乃たちを見比べていたが、驚きから次の行動へ移るのは彼女が一番早かった。
「もしかして、英秋の生徒さん? かっわいい! クリスマスデート?」
どこか愉快そうな響きの声で女性は笑い、何も言わない英秋の腕にするりと細い指を絡ませると、見惚れるほどに清廉な微笑を浮かべて名乗った。誇らしげでさえあった。
「はじめまして、あなたたちの先生の――婚約者です。上杉ほのかっていうの」
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