29:クリスマスプレゼント

 待ち合せ場所の公園に辿りついたとき、忍は水を噴き終えた噴水のわきに腰掛けて花乃を待っていた。晴天が幸いしてかいつもより寒さは和らぎ、午後となった今は、コートのまま駆け足でやってきた花乃の額が汗ばむほどの陽気になっていた。

「ごめえん、福原くん。遅くなっちゃったね」

「あ、ううんいいよ。俺も今来たところだから。呼び出して大丈夫だった?」

 花乃は急く息を整えて忍の横に座り込んだ。「うん、平気だよ。はなしってなあに?」

 忍はどこか照れたような、はにかんだ笑みで花乃を見返した。

「いや……返事のお礼を言おうと思って。OKをくれてありがとな、嬉しかった」

 その笑顔を見て、花乃は胸が細い糸で締め付けられるような痛みを覚えた。なぜだろう――なにか、とてもひどいことをしているような気になって、忍の顔からさりげなく目を逸らした。

「福原くん、あの、わたし」

「大丈夫、解ってる。自惚れないようにしようと思ってるんだ、でも、どうしても嬉しくて。恋をしてみようって思ってくれたことと、その相手にとりあえずオレを選んでくれたことが、ホントに嬉しかったんだ。しまりのない顔してたらごめん……」

 そこまで言われては、花乃に口を挟む余地はなかった。そこまで強い忍の気持ちに驚くと同時に、確かな喜びも花乃の胸を満たした。忍が喜んでくれるなら、いつもよりももっとやさしい気持ちでいられる気がする。けれど、それをまっすぐに受けとめることの出来ない、かたちのないもやもやしたものが底の方に漂っているのもまた敏感に感じ取ってしまう。

(なんだろう、これ……)

 後ろめたさとか罪悪感とかそういうものとはかけ離れた生活をしてきた花乃にとって、それは初めてぶつかった謎の感情だった。

「ところでさ、花乃ちゃん明日空いてる? クリスマスイブ、なんだけど」

「え? うん、補習も今日で終わったし、予定ないよ?」

 その答えを待ってましたと言わんばかりに、忍はポケットから勢いよく2枚の紙切れを取り出した。花乃の手に渡された1枚の切れ端は、どうやら映画のチケットだった。それも、この間の電話で誘導も巧みに聞き出された、花乃が一番観たかったファンタジー映画のものだ。

「わあ! えっ、まさか買いに行ってくれたの?」

「出かけるついでがあったからね。明日10時に、ここで待ち合わせでいい、かな」

 断る理由など微塵もなく、花乃はにっこりと笑って頷いた。

 18回目のクリスマスは、花乃の記念すべき初デートの日になりそうだった。


 忍と約束をかわして家に帰ると、玄関先に大きなダンボールが放置してあった。

「ただいまぁ……これ、なあに?」

 宛名のラベルは佳乃宛、しかもどうやら海外からの荷物らしい。花乃が首をかしげてそれを見つめていると、リビングからばたばたと佳乃が駆け出してきた。

「まったくとんでもない大荷物を――あっ、お帰り花乃!早かったのね」

「佳乃ちゃん、これ」

「ああ、なんかアイツ……神崎からの荷物みたい。中身は解ってるけど」

 腕まくりをし、佳乃は手にした大きなカッターを駆使してガムテープを切り裂いた。花乃も何だか中身が気になり、その場に座り込んでわくわくしながら開封されるのを待った。この時期に贈られてくるのはきっとクリスマスプレゼントに違いない。あの拓也が佳乃に何を贈るのか、さすがの花乃にもなかなか予想し難いことだった。

 ぱかりと上部の蓋を開けた佳乃は、いきなり無造作にその箱をひっくり返した。驚く花乃の目の前にばさばさと音をたてて雪崩を起こす中身――それはどうみても雑誌だった。

「んも、誰がこんな大量に送ってこいって言ったのよ!」

「よ、佳乃ちゃん……これ」

 眼鏡をかけた外人のおじさんや、昆虫や宇宙の写真がほとんどの表紙を飾るような、かわいげのかけらもない雑誌の山。図書館の洋書コーナーで見覚えのある本も混じっている。

「クリスマスには向こうの学術雑誌送れって前から言っておいたのよね。数冊でいいっつーのに、どうせ自分が読んだ古本だからって、根こそぎ処分するつもりだったんだなアイツ~」

 花乃は目を丸くしたまま絶句した。花乃にはタイトルすら判読できないような雑誌の山をいとも簡単に読みこなせてしまうらしいこの二人じゃ、やはり全てのレベルが自分とは異なるのかもしれない……そう思って渋々雪崩を起こした本の山を整理し始めたとき、その中に埋まっていた小さな箱を発見した。

 赤いリボンのついた、てのひらサイズの紙の小箱。

「佳乃ちゃん、何かあるよ。これ、一緒に入ってたのかな」

 手渡された佳乃も怪訝な顔で首をかしげ、くるくると巻かれたリボンをほどいて箱を開けた。中身を覗いた佳乃は一瞬眉をひそめ、それからおそるおそる中身に手を伸ばし――もう一度、何かをあける音。


(あ)


「……っ!」

 息を吸いこむと、佳乃はそれを大慌てで背中に押しこんだ。ぱくぱくと何度も口を開閉する間に、頬はすっかりと上気し、耳まで真っ赤になった佳乃はようやく押し殺した声を絞り出した。

「なっ、なあ、何考えてんのアイツ……っ! こ、抗議してくる――」

 小箱を手にしたまま佳乃はものすごい勢いで2階に駆け上がっていってしまい、玄関にはからっぽのダンボールと雑誌の山と、座り込んだ花乃だけが残された。

 思わず花乃の口から小さな笑いがもれる。佳乃に聞こえないように口もとを手で覆っても、小さく小さくこぼれつづける。たまらないほどに愛しかった。

(違うはずなんてないよね、みんな一緒なんだね)

 人を好きだと思う気持ち、それを伝えたいと思う気持ち。拓也はそれを忘れなかった。

 きっとそれは、いまごろ部屋で佳乃の指におさまっているはずだから。


(いいなあ、よかったね、佳乃ちゃん)

 花乃は目を閉じて思い出していた――キラキラ、こぼれた銀色の光を。

 小さな箱の中には、ちっぽけで、とてもとても眩しい光の環があったのを。

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