フェスティバル・イブ
いやおうなくやってきた爆発前夜、フェスティバル・イヴ。
授業も全て潰して、日没後までかかって念入りに最後のリハーサルを終えた3年生は、積もりに積もった興奮と高揚感ではちきれそうな胸を抱えて散り散りに家路についた。爆発までのカウントダウンを始めたその胸を抱えて熟睡できる生徒はきっと限られた数しかいないだろう。
現に、プレッシャーには随分と慣れているはずの佳乃さえ、今晩は絶対に眠れないだろうという予感がしていた。
それは、ただの舞台に対する緊張だけではなかったが。
「ああ、ついに明日なんだよねぇ佳乃ちゃん……」
随分と遅くなった夕食を終えたあと、花乃が両手をもみしだきながら、念入りに台本を眺めていた佳乃に擦り寄ってきた。妙にその手が暖かい気がするのは、花乃もやり場のない熱を体の中に閉じ込めているからなのだろうか。
「3日、4日、5日。この三日で全部終わるんだね。これだけ覚えたセリフも、綺麗な道具も舞台セットも、みんなみんな最後のキャンプファイヤーで燃えてなくなっちゃうなんて、信じられないね……」
まだ始まってもいないのに、花乃は寂しげな声でそう言って佳乃の台本を覗きこんだ。肩に乗った花乃の頭に頬を寄せて、佳乃も呟いた。「うん、そうだね……」
文化祭が終われば、佳乃は真っ先に進路指導室へ進路決定の旨を伝えに行くつもりだった。現段階で合格の可能性のある医学部を紹介してもらい、受験まで毎日そこに絞っての対策を始める気構えもできている。生活サイクルも切り替わり、それこそ缶詰の日々になる。
その前の、最後の学生らしいイベントを全力で成功させたいと佳乃は思っていた。行事には目もくれなかった佳乃が、なんの下心もなくそう思えたのはこれが初めてかもしれなかった。
(絶対に成功させたい。だからもう、余計なことは何も考えないでおこう……)
「佳乃ちゃん」
佳乃の心を読み取ったかの如きタイミングで、花乃は突然顔を上げて佳乃を見据えた。やけに紅潮した花乃の頬に気を取られていた佳乃は、すっかりと心の準備を忘れていた。
「明日の17時の便だよ。佳乃ちゃんの出番なら、絶対に間に合う。行って」
出そうとした声が擦れて、言葉にならなかった。
「福原くんに教えてもらったの。佳乃ちゃんは見送りに行くべきだって福原くんも言ってた。ふたりとも変な所で意地っ張りなんだって……見てる方がつらいって。みんな解ってるんだよ。ねえ、逢えなくなってからじゃ後悔したっておそいんだよ、行こうよ佳乃ちゃん!」
「か……花乃?」
顔を真っ赤にした花乃は、佳乃の手を握って必死で諭した。
同じ大きさで小さなときからずっと繋がれていた手。
同じものを見て、同じものを感じてきた、双子のかたわれ。
「わたしたち、ずっと恋を知らなかったよね。だから佳乃ちゃんが恋をしてるって知って、ホントは寂しかった。わたしを置いてひとりで先にいっちゃうみたいで、佳乃ちゃんが離れてっちゃうみたいで、不安だったの」
花乃が初めて暴露した心情に、佳乃は驚いて目を見開いた。
いつだって花乃の一番近くにいると自負していた自分が、まさか花乃から離れて行くと思われていたなんて考えもしなかった。
けれど確かに忍に恋をしていたときの佳乃の目は、大好きな姉という光の陰にもうひとつの花乃を映していた。同性のライバルとして妹にとらえられていたことを、花乃は気付いていたのだろうか――?
佳乃が思いをはせて黙っていると、花乃はますます勢い込んで言い放った。
「でも、わたし佳乃ちゃんが哀しむのはもっといや。最初は神崎君を好きになったら佳乃ちゃんが哀しむからだめなんだと思った。でも、ちがうよね。佳乃ちゃんには神崎君しか、離れるのが哀しくてしかたないくらいまで好きになれる人がいないんだよね」
恋を知らないはずの花乃の言葉は、嵐の日以来閉ざしっぱなしで誰にも触れさせなかった佳乃の心のど真ん中を打ちぬいた。
あいつしか好きになれない――考えちゃいけない、そんなこと
だって、気付いたからって、どうにもならない
思い知るほど、あたしの心がかわいそうでかわいそうで、たまらないのに
「会いたいんだよね、佳乃ちゃん!」
かなわない
わかってるけど
わかってるから
「………会いたい」
口にした瞬間、すべてがほどけていくのがわかった。
扉をきりきりと縛っていた糸も、その奥の箱のかぎも、誰かに対する罪悪も贖罪もなにもかもが無効になってしまう。
ただ素直に思うのは、もう一度あいたいということ。
そして、笑顔で、その時言えることを言いたいということ―――
「……明日、16時までに学校を出ればきっと間に合うよ、間に合わなきゃだめだよ」
「うん……」
素直に頷いた佳乃にもたれかかって、花乃は微笑んだ。「不器用だってみんな言うけど、でもわたし、こんな素敵な恋ってめったにないと思うな……。うらやましいよ、佳乃ちゃん」
「……花乃?」
なぜか心が騒いで、佳乃は花乃を覗きこんだ。
花乃は幸せそうな顔をして目を閉じていた。繋いだ手はまだ熱かった。
「明日……頑張ろうね、佳乃ちゃん」
一生忘れられない思い出を、つくろうね。
そして、ついに「その日」がやってきた。
11月3日、純泉祭開幕。
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