いばらみたいな恋・3

 中庭までやって来た二人は、花壇わきのベンチに腰掛けた。座ってから気がついたのだが、この場所は4月に女生徒二人が男を巡って派手なキャットファイトを繰り広げていた場所だった。

 佳乃はなんとなくこの呪わしい席に気が引けて、忍に気づかれないようにベンチの端のほうに移動した。

「あれから全然話してないね。……ごめんな、何か俺自分が嫌になっちゃってさ……正直合わせる顔がないと思ってた。本当に無神経で、ごめん。最低だよな」

 忍の口調は以前と少しも変わっていなかった。拓也とは似ても似つかない、気遣いの溢れる優しげな一字一句が、佳乃の胸に染みる。

 佳乃はその気持ちのまま微笑んだ。

「いいんだよ。もう分かったんでしょう? 自分の気持ち」

「うん」

 忍は素直に頷き、ひとつため息を付いた。「前途多難っぽいけどね」

 佳乃は笑って忍の肩を叩いた。触れても、もう前のように高鳴る鼓動は聞こえない。

「そんなことないって。あの子は福原君次第だよ。頑張って」

「そういう佳乃ちゃんはどうなんだよ?」

 忍は急にいたずらをする前の子供のような表情になって、佳乃をせっついた。

「どうって」

「俺が言える立場じゃないけど、佳乃ちゃんももう気付いてるんだろ? あいつの気持ち」

 佳乃は驚いて声も出せないまま赤面した。俯く顔が熱い。

 どうして、忍にまで知られるようなことになったのだろう。疑問に思ったが、表情ですべてを語ってしまった以上、ごまかすことはできなかった。

「気付いたっていうか、気付かされたっていうか……。でも、もう違うみたい」


 ひとのこころはうごくもの。


「違うって?」

 無邪気に尋ねられて、佳乃は言いよどんだ。口に出すのがこんなに辛いとは思わなかった。

「……会いたくないって。もう顔見たくないって、なんか、そんなこと言われた。そりゃあたしエマさんみたいに綺麗じゃないし、憎まれ口ばかり叩いてるし、嫌になるのも分かるけどさ」

 今までの気迫はどこへやら。ついに弱音を口にした佳乃を忍はびっくりしたように見つめ、そして唐突に笑いだした。「た、拓也が佳乃ちゃんに会いたくないって? あの拓也が?」

 佳乃は腹を抱える忍を呆然と見返した。「何がおかしいの」

「あのさ、佳乃ちゃん。あいつ、いまだにオレと口聞いてくれないんだよ」

「……ん? そうなの?」

 忍の意図がわからず、佳乃は気の抜けた返事をした。忍はやっと笑いを収め、佳乃の頭を軽く叩く。「あいつがこんなに怒るの初めてなんだけど。その理由、解ってやってくれよな」

 佳乃は絶句して忍を見上げた。言葉の意味がわからないわけではなかったけれど、それはますます混乱の材料になるだけだった。

「だって、じゃあ、なんでなの。なんであんなひどいことを言うの」

 佳乃の口から思わずこぼれた本音を拾った忍は、ふいに目を見開き、心底嬉しそうな笑顔で佳乃の頭をかき回した。

「ああなんだ、そうか。それはそれは! 佳乃ちゃん、恋知ってるじゃん。要するにもうなんの障害もないってわけだ」

「ど、どうしてそうなるの!? だから、あたしは今すごく傷付いて――え?」

 自分の台詞と忍の台詞に二倍驚いて、佳乃は拳を握りしめたまま凍りついた。

(あたしが、恋? 神崎に? ……いやまさか、そんなはずない。でも、じゃあだって、なんで、あいつの言葉でこんなに傷付くの?)

 衝撃に固まったままの佳乃の頭をポンと叩いて、忍は立ち上がった。

「一人でよく考えてみなよ。でも、拓也はそう簡単に自分の心を変えるやつじゃないと思うよ。ただ、佳乃ちゃんを待たせるのが嫌だったんじゃないかな。じゃあな」

 忍は軽快に鼻唄を歌いながら校舎のほうへ戻っていった。

(待たせるってなにを? 答えを待つのが嫌だった、の間違いじゃないの?)

 追う気力も失せて、佳乃は広くなったベンチに寝そべった。

「恋、なーんて……」

 風に揺れる木の葉が、ざわざわと心地のいい音をたてる。なんだか無性に切ない。こんな日には、秋晴れの空にも無類の哀愁を感じる。

「そんなの、知りたくなかったよー……だ」

 眩しさから目を庇うように、佳乃は腕を顔に押し当てた。



 風が哭く。

 それは嵐のまえぶれ。



『中型で強い勢力を持った台風20号は、今夜九州に上陸、東北東に進路を……』

 結局拓也を待つことを諦めて家路についた佳乃を、聞きなれたアナウンサーの声が出迎えた。

 そういえば、やけに中庭の葉擦れの音が騒がしかったが、台風の前触れだったのか――それにしても随分と時期を外して目覚めた台風もあったものだ。そう思いながらリビングに入ると、母親がきぬさやの筋を取りながらテレビを見つめていた。

「ただいま」

「あら、お帰り佳乃。もうすぐ台風がくるんだってよ。風吹いてた?」

「うん。なんかざわざわしてたけど、まだそれほどじゃないみたい」

 答えながら、キッチンと階段の向こうに視線を走らせる。毎日リビングから漂う花に似た甘い香りが今日はしない。いつも出迎えてくれるそれの代わりが台風のニュースとは、何だか自分の心の混乱を反映しているような気さえしてくる。

「……ねえ、花乃は?」

「一緒じゃなかったの? まだ帰ってないみたいよ」

 偶然出会って一緒に帰るとき以外は、花乃は大概佳乃よりも早く家に帰って、佳乃が帰って来た時にすぐに飲めるようお茶の用意を整えている。佳乃は本屋や図書館に寄ってから帰宅することが多いので、そのタイムラグがいい具合にお茶の葉を蒸らしてくれるのよ、と花乃が言っていたことを思い出す。

(文化祭の打ち合わせかなにかかな?)

 佳乃は2階の自分の部屋へ上がり、カーテンを開けた。風に巻き上げられた葉が、やけに大きな雲の見える大空に向かって一斉に舞いあがっていくのが見えた。

(――恋、……?)

 実感が湧かなかった。言われても『ああそうだったんだ! これが恋なんだ!』などと簡単に納得できるような気持ちではない。

 今でも拓也に対する悔しさや腹立たしさや、そんなものは有り余るほどに心の中にあって――どちらかといえばそのインパクトの方が強すぎて、その微かな存在を意識するのも難しい。

 けれど、もしかするとそれは。

 酷い言葉に傷つけられる、プライドではなくて、もっと敏感な、やわらかく深い場所。

 彼の面影を思うだけで、いくら抗おうとしても条件反射のように少し大き目の鼓動を刻む胸。

 そんなところに、咲いたのかもしれないと思った。

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