修学旅行・3日目<神戸2>

「関口さん、今の聞き捨てならないわ。拓也さまのご自宅に行ったですって?」

 佳乃も夕子も、がっくりと肩を落として力いっぱいため息をついた。これで見学時間が大いにロスされることは確実だった。

「あー……まあ、ね、あの、ね、湯浅さん」

「私はごまかされなくてよ。あなたさては、嫌がる拓也さまのお宅にむりやり押しかけたんでしょう、そうでしょう! 同じ純泉堂の生徒として許せないわ、迷惑千万な人ね!」

「まあ、なんて恥知らず!」「ゆるせないわー!」

 とりまきが同調してバックコーラスに入る。何とも耳障りな大合唱を聞きながら、佳乃はほとんど這々の体で答えた。

「いや、だから誤解ですって。人の話を聞い……」

「下手な言い訳で逃れようとしても無駄よ! 今日という今日ははっきりさせましょう!」

「――ふっ」

 佳乃はついに切れた。清水で絶叫した恋の告白も、どうやらコイツには所詮空耳にしかなっていないらしい。だったらこの際相手が3人だろうが10人だろうが、一度まとめてぎゃふんと言わせてやらなければ気が済まない。

 佳乃は息を吸った。連日神崎と闘ってレベルアップした毒舌を舐めたらいかんぜよ。

「何をはっきりさせるって言うのよ! 大体、束になって一人を追いかけ回して、誰かが近寄ったら追い払って、それでどうなるっての? 卒業したら全部終わりじゃないの。自分が彼女になる勇気もないくせに、人に偉そうな命令するなんて、あんたの方がどうかしてるのよ!」

「な、なんですってー!」

 栞は顔色を変えて、佳乃に掴みかかってくる。取り巻き二人が加勢し、それを見た夕子があわてて止めに入り、細い階段で女子高生たちはもみくちゃになった。栞の髪の毛を引っ張りながら、佳乃は思う存分言い返してすっとした、と思った。けれど。

(卒業したら終わり――彼女になる勇気もないくせに?)

 自分がありったけの攻撃性を込めて言い放った言葉は、ブーメランのように戻ってきて、佳乃の胸に突き刺さった。

 それは今まで考えたくないと思っていたこと。

 こころを、言葉にして伝えるその行為。

(あたしだって、一緒だ。福原くんのことが好き。だけど、言うのが怖い……)


 考え事をしていたのがまずかった。どん、と肩を押されたのがわかった。

 おもしろいほどあっさりと佳乃はバランスを崩し、身体がふわりと軽くなった。

 ああ、落ちる―――


 ばっさ、と背中から飛び込んだそこは温かかった。

「間一髪……! あっぶね……」

 数段下で、両手を広げて佳乃を抱き留めたのは忍だった。

「随分と派手に喧嘩をなさっていたようですが」

 そしてその後ろから姿を現したのは、喧嘩の原因張本人だった。彼がその場に現れただけで、栞達は急速に言葉を失って蒼い顔で黙り込んだ。

「何か僕に言いたいことがあるなら、言ってください」

 拓也は栞達に向かって、どこか固く張り付いたような微笑みを向けた。

「関口さんに言っても、何もわかるはずがないんですよ。僕とは何の関係もないんですから、第一むやみに責められては彼女が可哀想でしょう」

 ごとん。

 こころが変な音を立てたことに、佳乃は気付かない振りをした。

「い、いやですわ拓也さま! 私たち別に関口さんを苛めてたわけじゃありませんから。そうですわよねー、何の関係もないんですものね、お、おほほ」

 栞達は猫かぶりも甚だしい声で笑いながら、逃げるようにして走り去っていった。


「あー……やっと行った。助かったわ、神崎くん」

 夕子がぐしゃぐしゃになった髪を掻き上げて、ため息を落とす。

「佳乃ちゃん、大丈夫か? 立てる?」

 佳乃は未だに忍に抱き留められた格好のままぼうっと空を見上げていたが、忍の声に我に返ってあわてて飛び退った。まず最初にお礼を、とは思ったが、彼の顔を正面から見ることができず夕子の背中に隠れるようにして引っ込む。

 昨日のことで、間違いなく嫌われたという確信があったからだった。

(ニセ舞妓のこと、絶対何か言われる。なんで騙したんだって怒ってるはずだよ、どうしよう)

 忍はおびえる佳乃を怪訝な顔で見て、微笑んだ。

「昨日は一回も会わなかったよな。オレたちすごい可愛い舞妓さんにあったんだ。佳乃ちゃんと松井さんも一緒に写真撮れたら良かったんだけど」

 心の武装準備を万端に、今か今かと罵倒を待っていた佳乃は、忍の何一つ変わらない笑顔に面食らって彼を見返した。

(え? もしかしてあたしたちがその舞妓だったこと、まだホントに知らない?)

 そして問い質すように拓也を振り返ると、彼は何食わぬ顔でラインの館を見上げていた。

(アイツ……誰にも言わなかったの?)


「なあところで二人はこれからどこ回るの? オレたちも一緒に行っていいかな」

「忍!」

 突然忍がそんなことを言い出して、夕子と佳乃は目を丸くした。後ろで拓也が止めるのも気にとめず、嬉しそうな顔で捲し立てる。「だってさっきみたいなことがまたあったら困るだろ? ボディーガードと思ってくれればいいよ、昨日撮れなかった分の写真も一緒に撮りたいし」

 佳乃はあまりにも意外な、そしてラッキーな申し出に舞い上がって即答することができなかった。そこで夕子が、今までのツケを払うようにしゃしゃり出てきた。

「いいの? じゃあそうしてもらおうよ、ねっ、佳乃!」

 もちろん佳乃にとって断るべき用件であるはずがない。拓也一人が憮然としたまま、彼らは威勢良くおしゃれな町並みの中を闊歩した。

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