第3話 幼馴染み♂を売る その8
この夜が明けないうちに、タラカーンは【緑林亭】グループチャットに書き込みをした。
『リアル都合のため今後、満足なプレイ時間がなくなってしまいそうです。このまま名前だけ残していくのも申し訳ないので、勝手ながら脱退いたしました。改まってお別れを言うのも恥ずかしいので、この書き込みを挨拶に代えさせてください。いままでありがとうございました』
朝になると、メンバーから『残念だよ』『急でびっくり!』『べつに脱退しなくても……』『お疲れさま』等々の返信が書き込まれ始めた。
皆一様に、仲間の急な脱退に驚いたり、控えめに引き留めるといった反応をしていたけれど、タラカーンの脱退した理由を疑う者はいなかった。
事態は収束したのだった。元ストーカー君の幻影はしばらくメンバー全員にまとわりつくだろうけれど、それも何週間かすれば消え失せることだろう。マスターさんとルミナが望んだ結末には少しだけ至らなかったけれど、必要以上に波風を立てることのない、ほぼ最善の結末だったと俺は思う。
マスターさんが胸の内でどう思っているのかは窺い知れないけれど、表面上はいつも通りに振る舞っていた。
ルミナは違った。明るく振る舞おうとしているのは分かるけれど、話を聞いていなかったり、つまらない操作ミスをしたりと、心ここに在らずということが多くなっていた。
『最近、リアルが少し忙しくて』
ルミナはそう言って誤魔化していたけれど、俺には通用しない。その上、【ルインズ】にログインしないで、携帯チャットのほうで話しかけてくる頻度が上がっていた。ルミナが――光が何を悩み、苦しんでいるのかは、察するまでもないことだった。
俺は決意した。
「ルミナを助けたい。いいか、これはあくまでも夫としてクラッシュとして、妻のルミナを手助けしてやりという親心のようなものだ!」
携帯を弄くって、メール作成画面を呼び出す。本文を打ち込んで、宛先には一番最近に登録したアドレスを設定する。少しの躊躇いを挟んでから、送信ボタンを押した。
「ああ、送ってしまった……」
液晶に映った、メール送信が完了しました、の文字を見ながら、俺は震える溜め息を零す。決意したとはいえ、やってしまったという後悔もあった。
メールの送信先は、【緑林亭】グループチャットの登録情報で確認していたタラカーンの携帯だった。タラカーンはすでにグループチャットからも抜けていたけれど、彼がゲームを最後にログアウトした直後、念のためにと思って彼がグループチャットから抜ける前に控えておいたのだ。
でも、まさか本当にメールを出すことになるとは思っていなかった。しかも、こんな用件のメールを。
メールの返信はその日の深夜、日付が変わって少しした頃にきた。ちょうど、布団に入って目を閉じたところだった。
――いまからチャットで話しましょう。
メールにはその一言と、チャットアプリのIDが書かれていた。
俺は寝ていた身体を起こして布団に胡座を掻きながら、携帯のチャットアプリを起動させた。
『こんばんは』
最初の一言は、迷ったけれど、そうなった。
『前置きはいいです』
タラカーンの返事は素っ気ない。
『僕に話したいことって何ですか? 眠いので、手早くお願いします』
『じゃあ単刀直入に……戻ってきてほしい』
『どこに?』
『ファミリーにだよ』
『ああ、ゲームの話ですか』
チャットからでも、タラカーンの呆れ顔が透けて見えた。
『ゲーム以外に、俺がきみに話したいことがあるわけないだろ!』
『それもそうですね』
『で、戻ってくれるのか?』
『はい、嫌です』
『どっちだよ!?』
『というか、説得くらいしてから言ったらどうですか』
『いまからするよ』
『じゃあ早くしてください』
その返事に舌打ちしながら、俺は文章を打ち込んだ。
『ルミナは、きみが脱退したことに責任を感じている。このままだと、きみの後を追ってファミリー脱退してしまいかねない。そうならないように戻ってきてくれ』
『……それ、説得とは言いませんよね』
『説得というか要求だな』
『そんな要求、どうして受け入れなくちゃいけないんですか』
『俺たちは、きみがやったことを暴露しないでやった。きみには恩を返す義務があると思わないか?』
『恩の押し売りですか。こっちはべつに、ばらされたって構わないんですけど』
素気ない返事だったけれど、そのくらいは想定の内だ。説得の弾はまだ、とっておきのが用意してある。
『随分と軽く考えているんだな。晒し板に、今度はきみの情報が晒されることになるんだぞ』
『ああ、なんだ。要求じゃなくて脅迫だったんですね』
『晒された経験者として言わせてもらうが、あれは何の実害がなくても、ストレスで食欲がなくなるくらい堪えるものだぞ』
『それはちょうど良かったです。ダイエットしようかと思っていたところなので』
タラカーンの返事はかなり素早かった。顔の見えない会話では分かりづらいけれど、俺の脅しに動揺したとは思えない。逆に、俺のほうが動揺してしまった。
こいつ、晒されることが怖くないのか? 俺たちがちょっと晒されたくらいで大騒ぎしていたのを目の当たりにしておきながら、少しも怖いと思わないのか!?
俺の動揺を駄目押しするように、タラカーンがぽんっと発言した。
『といいますか、もうルインズを引退しようかとも思ってますし』
『え』
『だから、晒し返すなり好きにしてくれていいですよ』
『待て、駄目だ。止めるな!』
俺は両手の親指を必死に踊らせて、本当のとっておきを打ち込んだ。
『ルミナをこれ以上、悲しませてもいいのか?』
タラカーンの返事が止まった。手応えありだと思った。
【緑林亭】の男性キャラは基本的に全員、ルミナの信奉者だ。タラカーンも、いきなり出てきてルミナを掻っ攫った俺への敵愾心から晒し行為に走ったのであって、ルミナを苦しめるつもりはなかったと思う。ちょっと困らせてやろう、くらいは思ったかもしれないけれど。
ともかく、ルミナの名前が出てきたことで、タラカーンは態度を軟化させた。
『ざまあみろですね』
……え?
わずかな間を置いてから発された返事に、俺は液晶を見つめたまま口をぽかんと開けてしまった。
『なに? どういうこと?』
俺のチャットに、タラカーンは即答する。
『ざまあみろ、ですよ』
『なんで? 俺が憎いのは分かるけれど、ルミナが嫌いなわけじゃないんだろ?』
また少しの間があってから、
『どうも、認識にずれがあるようですね』
『え、ずれ?』
『僕が憎んでいるのはルミナさんで、あなたじゃないですが』
タラカーンの返事を、俺は二度も三度も読み返した。
ルミナのことを憎んでいる? 俺じゃなくて、ルミナを? どうして? なんで?
俺のチャットは止まってしまう。タラカーンのチャットだけが増えていく。読み返すたびに少しずつ増えていく文章は、こう言っていた。
――僕が好きなのは、ルミナさんとイケメン騎士の二人組なんです。二人は理想のカップルなんです。ルミナさんはイケメン騎士と結ばれるべきなんです。僕たちはみんな、それを望んでいたんです。イケメン騎士さんと結婚するなら、僕たちもルミナさんのことを諦められたんです。
なのにルミナさんは、どこの馬の骨とも知れない野郎と結婚しやがった。それは絶対にやっちゃいけないことだった。僕たちに対する背信行為だった。だから、偶然に撮れてしまったきみのトレイン画像を使って、一門から追い出してやることにした。でも、上手くいかなかった。だったらもう、どうでもいい。僕の理想のカップルが見られないなら、こんなところに居残ったって仕方ない。むしろ、ゲーム
長々と語られたチャットの内容を、概ねそんな感じだった。まったくもって想像もしていなかった犯行動機に、本当にこの読解で間違っていないのかと、さらにもう一度読み返してしまったけれど、他に解釈のしようがなかった。
『そういうわけなので、僕は戻りません。そのほうがルミナさんを苦しめられるのなら、なおさらです』
タラカーンはつらつら綴ったチャットを、その文章で締めくくっていた。俺は返事をするべきなのだろう。でも、返事が思いつかない。
これが最後の機会だ。
タラカーンは本気でゲームを止めようとしている。そんなの知ったこっちゃないけれど、ルミナはきっと気に病む。
タラ君が【ルインズ】を止めたのはわたしのせいだから、わたしも責任を取ってゲームを止めます――なんてことを、ルミナだったら言い出しかねない。あ、ルミナがというか、光が、か。……まあ、そこはこの際どっちでもいい。いま考えるべきは、説得の言葉だ。
考えろ、考えるんだ。
タラカーンをどうしたら引き留められる? ルミナを苦しめられるのならゲームを止めても構わないという彼に、ゲームを続けさせ、さらには一門にも再加入させるために、どんな条件を提示したらいい?
……ゲームを止めないこと、一門を抜けないことが、ルミナを苦しめることにつながればいい?
葛藤しているうちにも、タラカーンの新規発言が表示される。
『話はこれで終わりです?』
あっ、まずい。相手はもう話を終わらせるつもりだ。
『まだある』
とにかく速攻で四文字を打ち込んだ。
『なんですか? そろそろ眠いので早めにお願いします』
……ええいっ、言ってやる!
『きみはルミナを苦しめたいんだな? だったら、ゲームを止めるのは逆効果だぞ』
『へえ?』
『今回のことなんて、きみがいなくなれば、それっきりだ。どうせ一週間で風化して、べつに気にすることもなくなる。でも、きみが一門に居残り続ければ、記憶は風化しない』
『なるほど』
タラカーンの返事は早かった。けれど、
『って、そんな口車に乗るとでも?』
と続いた。
『乗ってくれたら、毎月リアルマネーを払ってもいい』
リアルマネー、つまりゲーム内通貨ではなく現金を払おうと言ったのだ。勢いに任せて発言した直後、正直すごく後悔した。でも、返ってきた答えは、
『そんなの要らないですよ。なんか犯罪になりそうですし』
だった。
正直すごく、ホッとした。が――ホッとしてばかりもいられない。お金の支払いが駄目だとしたら、あとはもう、これしかない。ええいっ、言ってやる……本当に言ってやるぞ!
『だったら――』
俺は思いついてしまったことを本当にチャット送信した。
その結果は……。
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