カノジョと買い物(3)
僕はショッピングモールの男子トイレの個室に入った。そしてバッグのポケットからスマホを取り出して、胸のランニングバッグのファスナーを開けた。
みゅうがバッグから手首を出して、2、3回手で握りこぶしを作ったり開いたりするしぐさをした。狭いところから出たときに、身体を伸ばすストレッチらしい。
「残念。ソーセージはないんだってさ」と僕は言った。
みゅうはスマホのソフトウェアキーボードで文字を書く。
「ソーセージじゃないけど。まあ、料理じゃなくてアロマで使う人が多くなってるみたいで、品薄なのよ。まあ、絶対になけりゃいけないってものでもないし、またの機会にしましょ」
「バッグの中、暑くなかった?」
「だいじょうぶ。けっこうね、居心地いいのよ。あなたの心臓の音がすぐ近くで聞こえるし」
「へえ」
「さっきのハーブ屋さんで、緊張してたでしょ? ちょっと心拍数早くなってたわよ」
「いやあ、バレましたか。なんか、おしゃれなお店で女の人ばかりだと、恥ずかしいよ。アクセサリー屋は、プレゼントって一発でわかってもらえるから、けっこう平気なんだけど」
トイレの天井の光が、みゅうのG-SHOCKに反射している。お昼の12時20分。けっこういい時間だ。
「お昼ごはん、どうする?」
「隠れてこそこそするのもイヤだし、家帰ってからにしましょ」
「それじゃ、帰りにマクドナルドでも寄って帰ろうか」
「うん」
「僕のほうの買い物は決まった。2枚で980円のTシャツ、今日はそれだけでいいや」
「シューズは? 見ていたの買わないの?」
「うーん……。安くて、履き心地はよかったけど、テニスシューズって普段使いしても問題ないのかな」
「問題ないでしょ。私も昔は、けっこう履いてたわよ」
「そうだったっけ? でもなんで、テニスシューズって白いのばっかりなの?」
「イギリスでウインブルドンっていう大会があって、そこは白い靴しか履いちゃダメってルールがあるのよ」
ウインブルドンというのは聞いたことがある。それにしても靴の色を指定されるなんて、変なルールだ。
「ウインブルドンは、靴だけじゃなくてシャツやパンツや靴下も白じゃないといけないのよ。つまり、ラケット以外は全部白じゃないといけない。だからテニス用品は白いものが多いの」
「それじゃ、靴も買ってみようかな。ほかに嵩張る買い物もないし。みゅうは?」
「最初に見た、青い石のリングが欲しい。お皿は、さすがに持って帰れないから、通販で買いましょ」
「オッケー。それじゃ、服と靴買って、アクセサリー屋にもう一度行って、化粧品売り場に行ってマニキュア買って、帰りますか」
「うん」
みゅうはバッグの中にもぐりこんだ。
トイレを出ると僕はもう一度、スポーツ用品店に行ってTシャツを2枚と靴を買った。僕たちの買い物は、こうして同じ場所を二度回ることが多い。
そして、アクセサリーショップへ。さっき対応してくれた店員さんがいたので、僕はその人のところに行って、
「すみません。さっきの、青い石のリングください」と言った。
「あ、はい。かしこまりました」
僕はもう一度、それを見た。みゅうに似合いそうな気がするが、ごつい腕時計とはきっとあわないだろう。
「サイズはおいくつですか?」
店員さんにそう聞かれて、僕は少しまごついた。そう言えば、サイズいくつだったか。そんなに大きな数字ではなかった記憶はあるのだが。
「3から5くらいが平均的なサイズですね」店員さんが気を利かせるように言ってくれた。
さて、もう一度トイレに行ってみゅうに聞こうかと思っていたら、みゅうがバッグの中から僕の胸を軽く突いた。
トン、トン、トン、トン。
「4号です」と僕は言った。
「はい。それでは、プレゼント包装しますので、少々お待ちください」
まもなく、ピンク色の紙に赤いリボンの付いた小さな包みを僕は店員さんから受け取った。店員さんは僕にそれを手渡しながら、
「いきなりのプレゼントなんて、彼女さん驚くでしょうね」と笑顔で言った。
いや、たぶん喜びはしても驚きはしないと思う。
このショッピングモールのいちばん端っこに、モールの運営会社の系列のドラッグストアがある。そこならきっと化粧品も売ってるだろうと思って、僕はそこに行った。
化粧品売り場は、いろんなメーカーのものがあって、ごちゃごちゃしててわかりにくい。正直言って、全部同じに見える。
目的のものを探していると、いきなり背後から声を掛けられた。
「いらっしゃいませ。プレゼントですか?」
振り向くと、白衣を着た女の人が笑顔でこっちを見ていた。みゅうと同い年くらいの女の人で、黒い髪をぴっちりとしたポニーテールにまとめている。身長は僕と同じくらいでヒールは履いていないから、きっと166くらいだろう。
めちゃくちゃ美人だ。白衣の胸の部分には、「美容アドバイザー 田中」という名札を付けてある。
「ええ。資生堂マキアージュのグロッシーネールカラーWT931を探しているんですが……」と僕は言った。
「あ、こちらですね」
すぐに見つけてくれた。
「恋人の化粧品の種類まで覚えてるなんて、すごいですね」と田中さん。
「いえいえ、そんなことないですよ。まあ、僕たちの場合はちょっと特別なんで」
「男性用の化粧品も扱ってますが、いかがですか? ご興味あれば、今当店でお試しメイクを実施してます。お客様はとても目鼻立ちがくっきりなさってますし、きっと見違えるようなハンサムになられますよ」
お世辞だと言われても、美人にそう言われてうれしくないわけがない。
「それじゃ、ちょっとだけ……」
僕がそう言ったところで、胸に激痛が走った。
「あいたたたた! 何するんだよ、みゅう」
「はい?」と田中さんはきょとんとしている。
「あ、……いえ。何でもないんです。すみません。ちょっといきなりお腹が痛くなって。お試しメイクはまた今度ってことで……ありがとうございました。」
僕はマニキュアを持ってレジに走った。
レジで支払いをすませたあと、ドラッグストアから出て、すぐ横がゲームセンターになっていたので僕はそこにあるプリクラを撮影するところに入って、バッグを開けた。
「なにすんだ。いきなりツネらないでよ。本気で痛かった」
みゅうは手の平を真っ赤にして、何かを言いたそうにしている。僕はスマホを取り出すと、すぐに文字を打ち始めた。
「なによ。美人に声掛けられたからって鼻の下伸ばして!!!」
「何も、ビックリマーク3つも付けて怒らなくてもいいじゃん。社交辞令みたいなもんだよ」
「何が社交辞令よ。さっさと買って帰ればいいでしょ。男性用メイクって何なの。あの女、腹立つ!」
「何もそこまで怒らなくても……。ごめんごめん、僕が悪かった」
「許してあげる。これからは化粧品は通販で買わなきゃね」
「はい」
みゅうは僕の頭を軽く撫でた。まるで子供のように扱いだが、僕は悪い気はしない。
「ついでだから、ここでプリクラ撮っていこうか」
「うん」
僕は財布から100円玉を3枚取り出して、コインを入れた。真っ白い蛍光灯がいきなり光ってまぶしい。
3、2、1、パシャ。
僕は腕を組むようにしてみゅうのヒジの部分を抱えて、みゅうがピースサインをしているプリクラが出来上がった。
ショッピングモールを出ると、少しだけ雨が降っていた。自転車置き場の前のアスファルトは、まだ濡れてない部分が多いので、きっと降り始めたばかりなのだろう。
来るときはあんなに晴れていたのに、信じられない。降水確率50%だから降ってもおかしくはないのだが、ここまで急に天気が変わるとは僕は予想していなかった。
買ったものをナップサックに入れて、背中に背負った。そして、少し空の様子を眺めていたが、雨は強くなるわけでもなく、弱くなるわけでもなかった。
「待ってても仕方ないし、帰ろう」と僕はみゅうに言った。
雨に濡れるのはそれほど問題じゃない。濡れたアスファルトは、ロードバイクの細いタイヤだと驚くほど滑りやすい。転ばないよう気を付けて走ると、時速15キロほどが限界だ。それなのに、体力はひどく奪われる。
30分ほど走ったところで雨はほとんど止んだが、僕は息が上がってしまった。田んぼが広がるだだっ広い国道の途中に、なぜか自動販売機だけがぽつんと設置してある。
僕は自転車を降りて一休みすることにした。
道路には車通りはぜんぜんない。僕はまわりを見回してから、
「みゅう、ここなら誰もいないから出ておいで」とバッグのファスナーを開けた。
自動販売機に100円玉を2枚入れた。
「何飲む?」
みゅうは手を伸ばして、ペットボトルのポカリスウェットのボタンを押した。
キャップを開けると、みゅうはキャップの内側を小指でなぞった。僕も一口飲むと、甘さが口の中に広がって身体の疲れが少し癒える。
僕はみゅうの手を軽く握った。
「きれいな雨だな」
目には見えないくらいの、細い雨がまだ幽かに降っている。空を見ると、その雨が一粒だけ僕の眼に落ちてきた。まったく痛くなくて、むしろ心地いい。
僕の恋人の名前は美しい雨と書いて、「みう」という。見た目はけっこう、個性的。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます