3-1. そして再び動き出す(3)

          *

 山間やまあい街道に入ったユウキたちは、谷間を南下するルートをひたすら歩いていた。

 馬車も定期便が週に一度くらいの割り合いで走っているはずだが、他人と顔を合わせないためにあえてけている。

 それはショウが、ユウキなら人並み以上に歩けると知っているからこそでもある。ショウは一般的な成人男性よりやや早いくらいのペースで足を進め、ユウキもまたそれにしっかりとついていった。

 いつの間にか山は色づき、秋の深まりを告げている。ひらりひらりと舞い落ちる葉の向こうに、空を縦横無尽じゅうおうむじんに駆け回る鳥の群れが見えた。

 ――渡り鳥かな?

 鳥たちは遠く、ユウキの目では確信を持つには至らない。ただ、食べたことのない鳥のような気がする、とそんなことを考えていると、ふと辺りがかげった。ユウキは視線を近場に戻し、影を作り出した頭上の木々を見上げる。

 こちらもきれいに紅葉しているようだ。とユウキが口元を緩めたそのとき、すぐ横から大きなくしゃみが聞こえた。

 季節は晩秋。昼間、日差しの下にいる分には暖かいが、木陰に入ると途端に肌寒くなる。シュセンはもともと夏の短い国であるから、寒さには強い人が多いのだが――ショウの体は寒さに正直だった。

 ユウキはくすりと笑った。

「笑うなよ」

 ショウが不本意そうにうったえる。だが、その少し子どもっぽくも見える態度がまた笑いを誘い、ユウキは声を立てて笑った。

 正直、肌が寒さに慣れていない今の時期は、け込んだ真冬よりよほど寒く感じる。

 それはユウキもわかっていた。わかっていたが笑ってしまった。こうしてショウと旅する時間が、最近は少し楽しいと感じるようになっていたから。

「ったく。でもそっか、ユウキの住んでたとこはもっと寒かったんだよな」

「そうだね。チハルより北だから」

 実はこんなおしゃべりも久しぶりのことだった。

 最初の数日はユウキが、ここ数日はショウが、じっと黙り込んでいたために会話らしい会話がなかった。だが、それはユウキたちにしては異常な状態だった。

 もともとショウは話している時間の方が長い。一緒にチハルから逃げ出したときも、混乱しきりのユウキを相手に、ショウはずっとしゃべり続けていた。一時、頭がおかしいのかと疑ったのはユウキだけの秘密だ。だが、ほぼ初対面の人相手でもそう思わせるくらいショウはよくしゃべる。それがショウの通常の状態だった。

 一方で、ショウが黙っているのは考え込んでいるときだ。そういうときはユウキもおとなしく口を閉じていた。どうせ半日も黙っていられないと知ってのことではあったが。

 だが、それが半日で済まなかったのがこの数日間だった。ただ考え込んでいるだけでないことは一目瞭然で、ユウキは声をかけるべきか否か、ずっと迷っていた。

 とはいえ、ようやくショウの口も復活したようだ。これであればもう心配する必要もないだろう。

「なぁ、ユウキ」

「ん?」

「前に親友がいるって言ってたけど、その子、どんな子?」

「セリナのこと? あれ? 前に話したことあった?」

 ユウキはそのときのことを覚えていない。だが、ショウは聞き上手だ。うまく乗せられて話したのだと思えば不思議でも何でもない。

「うーん、一言で表すなら姉御あねご! って感じかな。セリナの村はセーウ山脈のちょっと西寄りの谷間にあったんだけど、ほら、セーウ山脈って切り立った山でしょ? 結構けわしい場所でね。だからかな、村人もそうだけど、セリナはホントにうらやましいくらいたくましかったの」

 その村、ナナシ村には革小物を卸すため、ユウキたちはしばしば訪れていた。それだけではなく、ジャンは、ユウキをそのまま村に預けて置いていってしまうこともあった。

 どうやらそれは、ユウキに同年代の友達がいないのは可哀想だと、ジャンが考えたからだったようだ。

 もともとジャンは、一人の頃には二か月に一度程度しか村を訪問していなかったらしい。ジャンは、本当はナナシ村の人たちと最低限しか関わらないつもりだったのかもしれない。それはわざわざ村から離れた場所にぽつりと立てられた小屋からも想像できる。

 だが、実際には、ジャンはナナシ村の人たちとの交流を深めていった。それはまぎれもなくユウキのためだった。ユウキのためにジャンは自分の生活まで変えてくれていた。

「セリナかぁ。懐かしいな。一番の思い出は成人の儀かな。ナナシ村だと女の子は十二歳で成人するんだけど、そのお祝いというかお祭りというか儀式があってね。本当は村人しか駄目なんだけど、私も特別に参加させてもらったんだ」

 村では五歳で生誕神せいたんしんの加護を離れ、十二歳で土地神とちがみの庇護下から土地神に仕える者に変わるとされている。

 これまで与えられていた守りに感謝し、今後、土地神へ奉仕していく意思を表明するための儀式だった。

 土地神――ユウキは極北の地を離れてしまった。だからこんなことになってしまったのだろうか。誰よりも救いたかったジャンは救えず、チハルにもいられなくなってしまった。

 ――なんてね。

 過ぎたことを悔やんでも仕方ない。今は前を向くべきだった。

 ユウキは沈みかけた気持ちを、首を振ることで振り払った。儀式の思い出は温かいもの。沈んだ気持ちで話すようなことではない。

「その成人の儀でね、親から贈り物をもらう決まりがあるの。その時にもらったのがこれ。この真珠のピアス。おじいちゃんがセリナと私にって、おそろいでくれたの」

 耳にかかる短いくせっけを掻き上げて、ショウにピアスを見せる。ユウキのは淡い紫がかった水色の真珠で、セリナのはクリーム色の真珠だった。

 ――そういえばつけっぱなしだった。

 旅の間は少年にふんしているため、ヤエに着くまでは外していた。髪に隠れはするが、念のため、また外しておいたほうがいいだろう。

「よかったな」

「うん」

 自然と笑みがこぼれた。「お前も女の子だし」と言って渡してくれたジャンはひどく照れていて、その珍しい表情に、ユウキは贈り物以上に驚いたことを覚えている。

「真珠か……。っていうと海から近かったのか?」

 ショウの顔からすっと笑みが引いた。代わりに浮かんだのは思案気な色。だが、懐かしい思い出に気をとられていたユウキは、ショウの変化に気づかなかった。

「海? ううん、遠かったと思う。行ったことないし。住んでた小屋の近くだと、すぐそばに岩山があって、その周りに荒野、その向こうに森が広がってるって感じだったかな」

 ふっと、チハルで耳にしたセーウ山脈にまつわる一般常識を思い出す。

 チハルでは、おそらくシュセン全体で見てもそうだろうが、セーウ山脈のいただきこそが世界の果てだと信じられていた。チハルに出てきたばかりの頃こそ意味がわからなかったが、今ならそういう人々のことも理解できる。

 セーウ山脈を越えられたかどうか以上に、その山々の見た目の険しさが壁となり、さらには、たとえ越えられたとしても、極北の地があまりにも別世界過ぎるために、おそらく他人に話しても信じてもらえなかったのだろう。

 極北の地では、夏を除き、生き物たちは凍えた大地で息をひそめて暮らす。そして夏になると、これまで耐えてきた反動であるかのように、美しい生の輝きを見せた。

 乾いた大地は苔むし、花は一斉に咲き乱れて甘い香りを放つ。森では動物たちの追いかけっこが見られたかと思えば、瞬く間に子育てが始まる。

 生き物たちは本能で知っていた。今、この瞬間を逃してはならないのだと。

 夏の一瞬の輝き。そこは、そのためだけにすべてが存在している世界だった。セーウ山脈以南とは、全く異なったことわりで動く、別世界だった。

「へぇ? じゃあ、じいさん、真珠なんかどこで手に入れたんだろうな」

「ん? おじいちゃんが自分で採って来――あ、そっか。真珠って海で採ってるんだっけ。違う違う。これ、湖の真珠だから」

「――湖、ね」

 つぶやくショウをユウキは首を傾げつつ眺める。そしてユウキは、ショウの邪魔をしないよう、そっと口をつぐんだ。

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