第29話 -情報人は何処にいる-

「ヴェネッサ?あぁ、今出払っちまっていないぞ」


「何……?」


 僕達はガゼインから教えてもらった場所に何とか着くことが出来ていた。なのだけれど……探し人である裏の情報人がいなかったのだ。

 地下水路の一部に張り巡らされた貧民街の中でも隅の方に位置しているこの場所。そこには他の住人と似たり寄ったりの男が数人屯していたのだ。

 元々強面な顔だったユーシアが男たちに裏の情報人――ヴェネッサについて聞いてみた。しかし、返ってきた答えはヴェネッサはそこにはいないということだった。

 男が言うには何時戻ってくるかさえ分からないということだった。


「あー…くそ。どうするよ……」


「どうしましょう……」


 ユーシアが頭を掻きながらぼやく。アテが外れたのだ、無理もない事だと思う。けれど実際どうしたものだろうか。僕達のいる地下水路は地図で見るだけでも正直迷路のような複雑さをしていた。

 闇雲に歩いてもヴェネッサも、そして僕達の目的である人身売買を行う奴らの情報も見つけることが出来ない状況だった。


「兄ちゃん達もしかしてヴェネッサを探しているのか?依頼か何かか?」


 その時、僕達の様子を見ていた先ほど会話した男と一緒に屯していた別の男が蒸かしていた煙草を吸いながら問いかけてきたのだ。しかし、僕はその男と話したくなかった。何より瞳が澱んでいたのだ。貧民街にいる人間の特徴でもあった。

 どの人間も地上の人達とは違い、活気に溢れているのではなく怠惰と惰性さしか感じられなかった。

 そんな男がこちらが困っている情報を気軽に与えてくるだろうか。実際その想いは僕以上に場慣れしているユーシアには分かっていたことだったのだ。


「幾らだ?」


「お、兄ちゃん分かってるねぇ。銀貨20枚でどうよ」


 この男は何を言っているんだろうか。銀貨20枚。その価値はこの世界にまだ疎い僕ですら理解できていた。


「アンタそれはいくらなんでも――」


「……セツナ待って」


 高すぎじゃないかと言おうとした時、ぐいっと繋がれた手が引っ張られる。


「リィナ?」


「……その値段で払うから早く教えて。但し嘘だったら承知しないから」


 リィナが僕の言葉を遮ったかと思うと空いている手で身に着けたポーチから銀貨を取り出し、そしてそのまま男が言った良い値で払ったのだった。


「お、ぉぉ。分かってるじゃねぇか」


「……いいから早く教えて」


 まさかすぐ払ってくれると思っていなかったのか男は若干引き気味でリィナを見ていた。しかし、その顔にはどんどん冷や汗が浮かんできていたのだ。

 その理由は明らかである。僕の横からどんどん圧力が高まっていたのだ。幼い少女が出す威圧感じゃなかった。早くしろ――と。何よりもその眼光が鋭かったのだ。


「わ、分かった、分かった。というか、兄ちゃん達は商会長から教えてもらってここに来たんだろ。ほらよ」


 さすがに自分の置かれた状況を理解した男は懐から何やら紙を取り出し、ユーシアへと渡してきた。

 そもそも、この男は僕達がここに来ることを知っていたのだろうか。


「これは……何だ…?紙に丸印が書かれているだけだが……」


「兄さんちょっと見せて。あ、ほんとだ……何でしょうこれ」


 紙を受け取ったユーシアを怪訝な表情をしていた。同じくアリシアもだ。どういうことだろう?

 するとユーシアがこちらにも紙を見せてきたのだ。

 ……なるほど。確かに意味が分からない。もらった紙にはただ1ヵ所左上に赤丸で点が書かれていただけだったのだ。

 これを見てどうしろと言うんだろうか。


「うーん…?なんだろうこれ……」


「おい、この紙がどうしたって……って、いねぇ!?」


「え?」


 ユーシアが額に青筋を浮かべて男の方へと振り向くと、その場所には既に誰もいなかったのだ。

 え、まさか騙された?僕も慌てて周囲を見渡したが、いつの間にか屯っていた男達は全員その場から消え去っていたのだ。


「……ユーシアに紙を渡したと同時に全員早々に逃げて行ったよ」


 慌てる僕達を尻目にリィナが冷静に状況を答えてくれた。って、見逃したってことなの!?


「リィナさん、もしかして気づいててあの人達逃がしちゃったんですか?」


「……ん。もう用済みだったから」


「いや、でもヴェネッサの居場所教えてもらってないよ!?」


 渡された紙には赤い点しか書かれてないのに、これだけでヴェネッサの居場所をどう見つけろと言うんだろうか。正直僕は騙されたと思っていた。

 けれど、リィナだけはこんな状況でも落ち着いており、


「……それわたしにも見せて」


「あ、あぁ」


 ユーシアから紙を受け取ると、ジッと見続け出したのだ。穴が開くほど見ても赤い点しか書かれてないと思うんだけどなぁ……


「……やっぱり。ユーシア、地下水路の地図貸して」


 地下水路の地図?ユーシアから地図も受け取ったリィナは二つの紙を見比べていた。あれ……何か違和感が……。地下水路の地図と男からもらった紙ってよく見ると同じ大きさのような。あ……


「あああああああああ!!!」


「きゃっ!?」


「うぉっ!?ど、どうしたセツナ!?」


 突然叫び声を上げてしまったからかシルフィル兄妹がびっくりしていた。けど、今はそんなことどうでもよかった。わかった。赤い点の意味が分かったのだ。

 その様子を一人落ち着いた表情で見ていたリィナが僕に2枚の紙を手渡してくる。


「……ん」


「ありがとう。んっと……地下水路の地図を上にして重ねて……と」


 2枚の紙を重ねて僕は天井から吊り下げられた明かりへと2枚の紙を持ちあげたのだ。すると、やっぱり。


「セツナ?お前何をして……あ、あああああ!!」


「兄さんまでどうしたの!?」


「ほら、アリシアも見て見なよ。僕とユーシアが叫んだ理由が分かるから」


「この位置からじゃ見にくいのでちょっと下潜らせてもらいますね。よいしょっと……」


 僕が持ち上げた紙がよく見えないのかアリシアが僕の上げた手をくぐって腕の中へと入ってきたのだ。白縹色に染まった髪が鼻の頭を撫でてくる。女の子ってやっぱりいい匂いがするなぁ。


「ここからならよく見えます!あ、あーー!!」


 僕の身体に背中を預けてきたアリシアも同じく叫びだした。っと、匂いに気を取られてる暇じゃなかった。


「リィナは気が付いてたんだねこのことに」


「……ん。たぶんそうじゃないかなと」


 明かりが透けて見える地下水路の地図には左上にはっきりと赤い点が映っていたのだ。それはガゼインからもらった地図だから分かること。事前に連絡がいっていたのだろう。だからこそこんな回りくどい残し方をしたのだ。


「ってことはだ。ヴェネッサは今ここにいるってことなのか?」


「なのかなぁ」


 そこはここからかなり離れた場所だったのだ。教えてもらわないとまず向かいそうにない場所。僕達は顔を見合わせる。今からここに行かなきゃいけないんだろうか……


「……それよりも」


「え?」


「きゃっ」


 リィナが急に僕の服を後ろへとひっぱってきたため、身体を崩してしまった。同じく僕に身体を預けていたアリシアも。

 そんな実行犯であるリィナは身体を崩した拍子に出来た隙に僕からアリシアを引きはがしてしまったのだ。


「……いつまでくっついてるの。早く離れて」


「むー。ちょっとぐらいいいじゃないですか」


「……駄目」


「お、落ち着いて二人とも……ほら、今はヴェネッサを早く探さないと」


 睨みあう二人を制して、ようやく話を戻すことが出来た。


「ユーシアも黙ってないで止めてよ……」


「あ、あぁ、悪い。ちょっと考え事をしててな」


「考え事?」


「いや、な。そもそもこの紙を持っていた野郎なんだが、ヴェネッサから俺達に渡すように持たされてたわけなんだよな……野郎やっぱり俺達を騙してるじゃねぇか」


「あー……なるほど」


 要はヴェネッサから預かっていた紙を男は情報量として金を受け取ったわけだ。手間賃として考えるべきか、どうにも釈然としない状況だなぁ。


「……別にあれぐらい気にしないでいい。情報は手に入ったから問題なし」


「リィナがそういうなら気にしないことにするか。よし!気を取り直して件の場所へと進むとするか」


「そうだね。早くここから離れたいし……」


 連続して僕達が叫び声を上げたからだろう。四方八方から人の視線を先ほどから感じるのだ。

 僕達はヴェネッサのいる場所へと向かうために早々に貧民街を抜けることにしたのだ。


  ◆◆◆◆


 先ほどまで僕達がいた場所は目的の左上である北東とはほぼ真逆の南西だった。

 地図は丁寧に北を上として書かれていたため、僕達は特に迷うことなく進むことが出来ていた。

 だが、貧民街を抜けた辺りで地図のほぼ中央を指していたのだけれど、その辺りから水路の状態が著しく変化していることに気付いたのだった。


「気をつけろよ。この辺りかなり滑るぞ」


「暗いです……。ジメジメして気持ち悪いです……」


 隣でアリシアが泣きそうな声を上げていた。そこは僕達が地上から入ってきた貧民街までの道のりとも、貧民街そのものの場所とも全く違う光景だった。

 ほとんど使われていない場所なのか、あちこちに藻が生えており気を抜くと滑ってこけてそうになるのだ。

 それに明かりがない為、真っ暗ではないものの周囲数メートルしか見えていない状況だった。

 当初はこの状況を見てユーシアがトーチのようなものを取り出し火をつけようとしたのだがリィナが止めたのだ。

 明かりは自分たちの場所を知らせてしまうからダメだと。実際その通りだったため、今僕達は薄暗い水路の中をゆっくりと歩いていたのだ。


「危ないのは分かるんだけど、どっちか手を放してくれないかな……両手が塞がれているとどうしようもないんだけど」


「嫌です」


「……嫌」


 今の現状。貧民街から出るときはアリシアもリィナも牽制し合っていたのだけど、今の状況になってからはまた二人とも僕の両手にそれぞれ手を繋いできて決して離そうとしてこないのだ。

 危ないから繋ぎたくなるのも分かるんだけど、一人が滑ってこけそうになると三人一緒に崩れそうになるんだよ。

 だから僕は今ものすごく気を使っている状況だった。変に身体に力が入っていて横腹がつってしまいそう……


「ユーシア助けて……」


「はは、頑張れ。俺は必死に地図を見ながら進んでるんだから無理だって」


 実際その通りだったけど、ものすごく言い訳臭いその台詞だった。けど、僕達のその状況はそんなに長く続かなかったのだ。


 場の空気が変わった。


 元々澱んでいた空間だったが、明らかにそれまでとは違う気配が先から漂ってきたのだ。

 いち早くその状況に気付いたリィナだけではなく、僕たち全員が立ち止まる。


「………ユーシアもしかしてこの先なの?魔物が徘徊する場所って……」


「すまん。詳しい場所は聞いていなかった。だが、間違いないだろうな」


「……気を付けて。複数の視線を感じる」


 その時だった。


ピチャピチャピチャ―――


 水気を含んだ音が前方より響いてきたのだ。間違いない。相手も僕達に気付いている。

 各々自分の獲物を抜き構える。僕も鞘から抜いた研ぎ直した片手剣を両手で持ち構えると呼吸を整える。

 研ぎ直したマルク鉱石が使われた片手剣が暗闇の中で鈍く光る。この場では宝煌神剣――≪宵闇≫は呼び出さない。

 エルガンドに向かう途中にリィナが言ったのだ。極力神剣は使わないようにしろと。使いすぎると人の枠から外れることになる。その事を聞いた時、僕は自然と納得が出来ていたのだ。

 神剣は神すら滅ぼすことが出来る力。神にすら成ることが出来る奇跡だった。神剣を使いすぎるとどうなるか?そのことをリィナから忠告を受ける前に僕は薄々と気づいていた。ラグザ達から聞かされたわけじゃない。ただ、神に成るということは人ではなくなるということだということなんだ。実際その力が必要なときは僕は躊躇はしない。けれど、不必要な時まで神剣を……ラグザ達の力を借りるわけにはいかなかったのだ。そうしないと僕自身が強くなれない。そう思ったのだから。


「っ……来るぞ!!アリシアは下がって支援を!リィナは背後にも注意してくれ。セツナと俺が切り開く!!」


『了解!!』


 ユーシアが指示を出したのと同時だった。前方から2種類の魔物が姿を現す。

 一つはワニに似ていたが手足に関節がついた爬虫類だった。もう一つはヘドロ状の物体が醜く蠢いていた。何だあれは……

 それらが前から無数に現れ出す。暗さも相成って総数が分からない状況だった。

 けれど、立ち止まるわけにはいかないんだ――!!


「っ、見たことのない魔物か。セツナはスライム型を、俺がワニ型を引き付ける!!」


「はあああぁぁぁぁぁ!!!」


 ユーシアへと合図を送ると、僕は踏み込みそのまま敵の群れへと突っ込む!

 ユーシアの咄嗟の判断は正解だった。ワニ型の魔物が口を大きく開いて威嚇行為を行っていたが、背丈が低いため剣じゃ攻撃がしずらい。

 だからこそ、僕は1メートル程の大きさのスタイム型へと躊躇なく斬りかかった!


「こいつ柔らかい!?」


 横へと薙ぎ払った一閃は先頭にいたスライム型の身体へと何の抵抗もなく入り込んだ。しかし、何の感触もない程に柔らかいのだ。

 肉を切った感触も何もない。例えで言うならば豆腐を包丁で切ったような感覚だろうか。

 ずぶずぶとスライムの身体へと入り込む剣を僕はそのまま横へと薙ぎ払う。感触がなくても斬れているはずだ。しかし、僕の予想は大幅に裏切られることになったのだ。


「え……セツナさん!剣から煙が!!」


「な!?」


 アリシアの叫び声と共に僕は違和感に気付いた。剣の刀身の至る所が溶けていたのだ。溶解されたと言えばいいのだろうか。


「……セツナ離れて!そいつ物理攻撃が効いていない!!」


「――ッ」


 突然の状況に身体が硬直しかけていたが、リィナの忠告を受け僕は背後へと跳躍する。その行動と目の前にいた斬られたはずのスライム型魔物の攻撃はほぼ同時だった。

 僕が斬った部分から身体の内から弾けるようにヘドロ状の物体を水弾のように飛ばしてきたのだ。そして、僕がいた場所に着弾すると同時に地面が音を立てて溶けだしてしまった。

 あれが直撃していたら……


「セ、セツナさん後ろから同じのがいっぱい来ています――!?」


「ぐっ……ワニ型の方もかなりやべぇ。鱗が硬すぎるぞ!!」


 僕は少し前方で戦っていたユーシアへと視線を向ける。そこには大剣を振り下ろし、ワニ側魔物の1体に剣が食い込む形で固定されている状況で無理やり引き抜いているユーシアの姿があったのだ。

 その背後には別のワニ型が長い手足をうまく使い迫り来る姿が見える。


 まずい。唯でさえ狭い空間に押し寄せてくる魔物の軍団に僕達は苦戦を強いることになっていた。

 ヴェネッサは何だってこの先にいるんだ!!僕はここに来ることになった原因となった人物を恨みながら、この状況を脱するべく行動に移すのだった。

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