第37話 ランプの精

 アイラは青い顔をして、ロシールが出ていった扉を呆然と眺めている。


「……くっ…………」

 そんなアイラの横で、サルマは何やらもぞもぞと体を動かしている。

「……取れたっ!」

 サルマが突然大声をあげる。アイラはその声を聞いて目を見開き、サルマの方を振り返る。

「あれ、サルマさん……何やってるの?」


 サルマはいつの間にやら左手に小さなナイフを手にしている。それで自分の体の後ろにあるロープの結び目をまさぐり、結び目をぷつりと切る。両手が自由になったところで、次は両足のロープ方に取りかかりながら言う。

「上手くいったぜ。腰布ん中に忍ばせていたナイフに手が届いて良かった。オマエもすぐ自由にしてやるから待ってな」

「う、うん……」

(さっきあんな話を聞いたすぐあとで……よくそんな気が起こるなぁ)

 アイラはそう思いながら、目を丸くしてサルマを見つめる。

「しっかしロシールのヤツ、俺たちの荷物を取り上げなかったとは……案外甘いところがあるな。ま、世界中の海を駆け巡ってる経験豊富な盗賊の俺様とは違って、賢者の島で一日中勉強なんかに明け暮れてる学者には、そのあたりの知恵がなかったりするのかもな。闇の賊だって、力は強いが頭は悪いのかもしれねぇぜ?」

 サルマはそう言って足の結び目も切り、アイラの方にやって来る。それからアイラの背中のあたりにある、アイラの両手を縛っている結び目を切る。

「これはひょっとすると、ヤツから逃げることができるかもしれねぇぜ」

「……うん……!」

(そうだ。さっきはロシールさんに騙されたことですっかり気持ちが落ち込んじゃったけど、今わたしはひとりじゃない……サルマさんもいるんだ。もしかしたら、サルマさんの言う通り、ここから逃げ出すことができるかもしれない……!)

 アイラはそう思って少し気を取り直す。


「とはいえ船の中じゃ、たとえこの部屋やこの船から出られたとしても逃げ場はねぇよな。辺りは一面海……しかも、濃い霧に覆われている海だって話だ、下手したら遭難しかねない。かといってブラック・マウンテンとやらに着いてしまうと闇の賊がいる……さてどうすっかな。とりあえず、手持ちの物で使える物がねぇか見てみるとするか」

 サルマはアイラの両足も自由にすると、自分の荷物を確認する。


 アイラも自分が持っている荷袋の中をのぞき込む。すると、ディールとうでアンから貰った魔法のランプが目に留まる。

「あっ……これは…………!」

「なんだよ、何か使えるモンでもあったか?」

 サルマの問いに、アイラはランプをサルマに見せながら答える。

「これ、アンから渡されたんだ。困った時にこれをこすれって……」

「……こする? これ、見たところただのオイルランプだろ? こすって何になるんだよ」

 サルマはそう言って何気なくランプをこする。

「あっ‼」

 サルマがランプをこするのを見てアイラが声をあげるのと同時に、ボフンと大きな音とともに白い煙がランプから出て、あたり一面にもくもくと広がる。


 そしてその煙が切れると……紫色の、ゆらゆらと実体のあいまいな浮遊物が空中に漂っているのが見えた。その浮遊物には、大きな黄色いつり目と口が……つまり、顔がついていた。


「ぎゃああああああああっ‼」

 サルマは驚きのあまり大声をあげ、後ろに仰け反って尻餅をつく。

「な、な、なんだコイツは! まさか、ゆ、幽霊か⁉」

「ユウレイデハ、ナイ。セイレイダ」

 その浮遊物はそう言って、二人を空中から見下ろしている。

「ワレハ、ランプノセイ。オヌシラ、ナゼワレヲヨビダシタ?」

 ランプの精と名乗る浮遊物は、二人を見定めるようにじっと見つめ、返事を待つ。

「……へ? 呼び出したって……ただ、ランプをこすったら急に煙が出てきて……」

「……リユウハ、ナイノカ?」

 ランプの精はそう言って眉間にしわを寄せる。それを見たアイラは慌てて口を挟む。

「あ、あの。わたしたち、困ってたから……。今わたしたち、ロシールさんって人に騙されて、闇の賊のいるところに……闇の世界まで無理やり連れて行かれそうなの。それで助けが欲しくて……。アンに、困ったらランプをこすれって聞いたから擦ったんだけど……まずかったかな?」

 アイラはそう言って恐る恐るランプの精を見上げる。ランプの精は腕組みをして(足は煙のようにモヤモヤとして実体がないが、小さな手のようなものはついていた)それを聞いていたが、アイラを見て頷く。

「……タスケガ、ホシイノダナ? ワレハ、ランプノモチヌシタスケルヨウ、ゴシュジンサマニメイジラレテイル。ソナタラノネガイ、カナラズヤカナエテミセヨウ」

 ランプの精はそう言って、壁をスーッと突き抜けてその場から消える。


 残された二人はぽかんとした表情のまま、ランプの精が消えた部分を見つめている。

「……一体なんなんだアイツは」

 サルマが目を丸くしたままぽつりと呟く。

「あのランプ、アンがくれたの。困ったときにこすれって言って。魔法のランプ……とか言ってたかな」

「ふうん、魔法のランプ……ねぇ。聞いたことねぇが、お宝の一種かな。しっかしあんな妙ちきりんな浮遊物は初めて見たぜ……。俺たちのこと助けるとか言ってたが、どうにも胡散臭いヤツだ。正直、あんま信じない方がいいと思うぜ」

 サルマは疑わしげにそう言うと、アイラの方にやってくる。

「そうだ、ちょっと腕出せよ。ええと……そうじゃない、両腕を背中側に出すんだ。確かさっき、背中側で縛られてたろ?」

 先ほど切ったロープを手に持ってそう言うサルマを見て、アイラはサルマの言うとおりにしながらも首を傾げる。

「え、何するの?」

「ロープが切られてる状態のままでいちゃあロシールに怪しまれるだろ? なるべくヤツのことは油断させておきてぇからな。ハタから見りゃロープが切られてねぇみてぇに、緩く結んでおくんだよ。いざってときは、思いっきり引っ張りゃロープが取れるようにするから大丈夫だ」

 サルマはそう言ってアイラの手と足にロープを緩く巻きつけると、自分の足にロープをつけ、最後に緩めの輪を作り自分の両手にそれをはめる。

 そして一息つくと、アイラの方を見て言う。


「さて。一応体の自由はきくようにはなったが、ここは無理に脱出せずに機会をうかがおうぜ。その間に……さっきのヤツの助けとやらも待ってみるか。本当に来れば、の話だがな」


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