第30話 ディールの皇帝

「こっ……皇帝⁉」


 アイラは心底驚いた様子でその女の子――――アンを見る。


 アンはラビの方を見てぼそりと言う。

「ラビ。人紹介するなら本名、言うのでないか?」

「そうだった、ゴメン。アンの名前、長いから忘れるんだよな……えーと、アン……何だっけ?」

 ラビが自分のひたいに手のひらを当てて言うと、アンは今度はアイラの方を見て言う。

「本名、アンディルラシア=ドリーだが……長いからアンと呼んでくれてよいぞ」

「え、そんな気軽に……。皇帝なんでしょ? わたし王族でもなんでもないのに、いいの? あ、えーと……いいんですか?」

「敬語、必要ない。たぶん、おまえの方が年上だ」

 アンが無表情のままそう言ってのけるのを見て、アイラは首をひねる。

(おかしいなぁ。サルマさんの話だと、身分が上の人とは気軽に話したりできないはずなのに。なんだか思ってたのと違うんだけど……)


「ところでラビ、こやつ、誰だ」

 アンがラビに尋ねると、ラビは頷いてそれに答える。

「アイラって子。さっき知り合った、絨毯乗りに来たお客さんで、旅人……なのかな。あ、そうそう。もう一人男の人も一緒にいたんだけど、その人とはこの宮殿の敷地の中ではぐれたちゃったんだ。だからもしその人が捕まってたら、アンの力で解放してあげてくれないかな。緑っぽい色の布を頭に巻いて、黒い髪を後ろで束ねてる男の人だったんだけど」

「そ、そうなの。お願い! 一緒にここに来たかったんだけど……サルマさんっていう人なの!」

 アイラが必死な様子で言うと、アンは頷く。

「わかった。そのサルマとやらが捕まってたら、解放してやる」


 その後、アンはアイラの方に向き直る。

「で、アイラ。何しにここ来た?」

「あ、あのね。わたし、持ち主の行き先を示すコンパスを持ってて……この針の示す方に進んでたんだけど、針がこの宮殿を指してたから、行ける場所まで行こうと思って……」

 アイラはそう言って背中にしょっている袋からコンパスを探し出し、手の上に乗せ、思わず大声をあげる。

「あれっ⁉ なんで? くるくる回ってる‼」

「行き先を……示すだって? それに、針が回るって……それってどういうこと?」

 ラビがそう言ってコンパスをのぞき込み、くるくる回っている針を見て目を丸くする。

「目的地に着くと針が回るの。だからここが目的地のはずなんだけど……。でも、どういうことなんだろう。確かにアンとは会えたけど、ここで何をすればいいのかわかんないよ……」

 そう言ってアイラはきょろきょろと辺りを見渡す。ラビが不思議そうにコンパスを見て言う。

「確かにここには何もないよね。でもアンがいたから……アンにしかできないことをしてもらう、とかじゃないかな?」

「うーん、そうなのかな」


 アイラはコンパスを眺めていたが、ふと視線を感じてそちらに目をやると、アンがじっとこちらを……コンパスではなく、アイラの顔を見つめていることに気がつく。

「ど、どうしたの?」

 アンは、表情を一切変えないまま口を開く。

「アイラ……私の友達になってくれぬか」

「とっ……友達⁉」

 アイラは驚いて目を丸くする。

「……駄目か?」

 今まで無表情だったアンは、それを聞いて少し悲しげな目をする。

「だ、駄目ってわけじゃないよ! でも、アンって……皇帝なんでしょ? 王族の中でも一番偉い……。わたしはただの旅人だし……一般人だし……」

「大丈夫だよ、アイラ。僕もアンの友達なんだ。アンの奴隷だけどね」

 ラビが笑ってそう言うので、アイラはさらに驚いてしまう。

「そうだ。ラビは、私のたった一人の友達だ。皆は皇帝だからと言って、私を特別扱いし、遠ざける。唯一、父上がラビを、私の遊び相手として残してくれたのだ。アイラも、仲良くしてくれると嬉しい」

「え、残してくれた……って?」

 アイラがラビを見る。ラビは頷き、口を開く。

「僕が皇帝の奴隷だって話はしたよね。僕、今の仕事をする前はアンのお父さん……前の皇帝専属の絨毯乗りだったんだ。あのディールの王族に代々伝わる、大絨毯に乗ってたんだよ。でも前皇帝が亡くなって、自分で絨毯に乗れる子どものアンが皇帝になったから、今では街で普通の絨毯乗りとして働いてるけどね。でも、前皇帝にアンの遊び相手になってくれって頼まれてたから、今でもこっそり抜け道からここに通ってるんだ」

「こっそりって……どうして? 前の皇帝に頼まれてるなら、こっそり会いに来なくてもいいんじゃ……」

 アイラが不思議に思って尋ねると、ラビが笑ってそれに答える。

「それはやっぱり、僕が奴隷だから……かな。誰かに見つかって奴隷が皇帝の友達ってことが知られると、アンの権威が落ちるかもしれないし。前皇帝にも、こっそり遊ぶようにって言われてるんだ。そのためにこの、秘密の中庭を作ってもらったんだ。だからこの場所は、今では僕とアン、それに君しか知らないはずだよ」

「私は……別に、知られても良いと思うが」

 アンがぼそりと呟くと、ラビはアンの方を振り返ってきっぱりと言う。

「駄目だよ! 絶対ややこしいことになるから。僕のせいでアンに対する不満とか出てくるのは嫌だし。ここに忍び込むのも慣れたし、大丈夫。見つかったら見つかったで、皇帝の奴隷だから仕事の用があるってことで色々言い訳できなくもないし」

「ラビが良いなら……私は構わないが」

 アンは小声でそう呟いた後、アイラの方を再び見る。

「で、アイラ。どうだ? 私の友達になってくれるか?」

「うん、いいよ」

 アイラは快く頷くが、ハッとして声をあげる。

「あっでも……わたしは旅してるから、ずっとこの島にいるわけじゃないし、一緒に遊べるかどうかわからないけど。それでもいいの?」

「ああ。いいぞ。では……アイラも私の友達だ」

 アンは頬を紅潮させ嬉しそうな顔をする。そして壁の隅に丸めて置いてある大きな絨毯のところまでちょこちょこと駆けて行き、絨毯を素早く広げてその上に乗る。

「ちょっと待っとけ。アイラに渡したいもの、ある。ついでに、さっき言ってたサルマとやらの様子も見てくるが……どうする? そいつここに連れてくるか?」

「うん、お願い!」

 アイラが答えると、アンは頷いて、大絨毯をあやつってまっすぐ上昇してゆき、宮殿内から出ていく。


 それを見届けた後、ラビはアイラを見てにっこりと笑って言う。

「アイラ、もし良かったら僕とも友達になってくれない?」

 アイラはそれを聞いてパッと顔を輝かせ、大きく頷く。

「うん、もちろんいいよ! 今日で友達二人も増えるなんて、わたしも嬉しい。同じくらいの年の子に会ったのもずいぶん久しぶりだし……」

 その言葉を聞いて、ラビはアイラに尋ねる。

「アイラは……ずっとあのおじさんと旅してたの?」

「うん。ここしばらくはそうだよ。私の故郷はメリスとうってとこなんだけど、そこから旅に出る前は普通に島で暮らしてて、友達も……同じくらいの年の子がいたんだけど」

「……いた? その子、今は?」

「……わからない。死んじゃった……かもしれない。わたしの故郷のメリスとう、闇の賊に襲われて……壊滅したって聞いたから」

「‼ 闇の賊…………。君は、大丈夫だったの?」

「うん。もう旅に出てて島にはいなかったから……」

「……そっか…………。じゃあ、君の家族も……?」

「……うん」

「……そっか。一緒だね。僕もアンも今は家族がいないし……」

 ラビはそう言って、その続きにもう少し何か言おうと口を開いたままにしていたが――何も言わず、やがてアイラから目をそらして口を閉じた。



 会話が途切れたところで、二人の上に大きな影ができて中庭がふっと暗くなる。二人が上を見ると、大絨毯に乗ったアンが、サルマを乗せて帰ってくるのが見える。


 アンの大絨毯は次第にこちらに近づいてきて、ふわりと中庭に着地したところで、サルマがアンに食ってかかる。

「オマエ、一体なんなんだよ! ガキのくせに俺をさらいやがって! もしかして……近衛このえ兵の味方で、俺様を捕える気だな⁉」

 アンは何も聞こえなかったかのように、サルマを無視してアイラに言う。

「連れてきたぞ、アイラ。こいつでいいな?」

「うん。ありがとう、アン!」

 アイラがアンとサルマの方に駆け寄る。サルマはアイラに気がついて目を丸くする。

「アイラ! こんなところにいやがったのか。てか、コイツのこと知ってんのか? それならコイツが何者なのか教えてくれよ!」

「うん、この子はアン。わたしとラビの友達で……ディール帝国の皇帝だよ」

 アイラが笑ってそう言うと、サルマはアンを見下ろし、呆気にとられた様子で言う。

「こっ……皇帝、だぁ⁉ このオマエよりもちっぽけな女のガキが⁉ 冗談だろ‼ オマエ、このガキの皇帝ごっこか何かをに受けてるだけじゃねぇのか?」

「違うよ、本当にアンは皇帝だよ。それに僕らが友達ってのも本当。アンとアイラはさっき、この庭で友達になったんだ」

 ラビのその言葉を聞いて、サルマは開いた口が塞がらない様子でアンを見下ろす。


 アンは眉間にしわを寄せ、不機嫌そうな様子でサルマを見る。

「無礼なヤツだ、おまえ。アイラの連れでなければ、今頃牢にぶち込んでいるぞ。せっかく助けてやったというに」

 それを聞いて、サルマはぎょっとした様子で慌てて謝る。

「わわ、わ、悪かったよ。そっか、俺のことを助けてくれたのか。近衛このえ兵から逃げてるところを、急に絨毯に乗せられて連れてこられたもんだから……何が起こったのか理解できなくてな」

「わかれば、よい。おまえの逃げっぷり、なかなかだったぞ。私の兵たちが見事に翻弄ほんろうされていた」

 アンがサルマの言葉に満足した様子で頷く。


「ところで、これからどうするの? 針はここで回ってるんだけど……ここで僕の仕事はおしまい?」

 ラビがサルマに言うと、サルマは目を見開いてアイラの持っているコンパスをのぞき込む。

「ついに回りやがったか! 上出来だ、ぼうず! 運賃払ってやるよ!」

 サルマは銅貨、合計六枚をラビに支払う。ラビはにこにこしてそれを受け取る。

「まいど! しばらくここで用が済むまで待っててあげるから、帰るときは言ってよ。また目的地まで送り届けてあげるからさ。もちろん、またお金はもらうけどね」

「ちっ、商売上手なガキだ」

 サルマはそう言ってラビを苦々しげな顔で見る。


「でも、サルマさん。ここで何をしたらいいのかわからなくて……アンには会えたんだけど」

 困った顔でアイラがサルマに言うと、サルマは得意げな様子を見せる。

「なんだ、そんなことかよ。それなら俺様のに任せな。実を言うと、さっき絨毯で連れてこられた時……かすかにお宝のニオイがしたんだ」

「お宝の……匂い?」

 怪訝な顔で言うラビに、アイラは笑って言う。

「サルマさん、匂いでお宝のある場所がわかるって言うの。本当かどうかはわかんないけど」

「あっオマエ、まだ信じてねーな。そんなこと言ってられるのも今のうちだぜ? オマエのコンパスの行き先には、ぜってぇ凄いお宝があるんだからな。じきにそいつを見つけ出して、俺様を信じざるを得ないようにしてやるよ」

 まだ半信半疑の様子のアイラに対して、サルマはそう言ってのける。

「ふうん……。お宝なら、ここの大宮殿にはいっぱいあると思うけど。アンの持ってる大絨毯もそうだし」

 ラビがそう言うと、サルマは呆れた様子で首を振る。

「ちげーよ。絨毯に反応するんなら、乗った時点で気がつくはずだろ。それに俺様の鼻が反応するのは、そんな誰もがお宝だってわかるような代物しろものじゃねぇ。存在も知られてないような秘宝のニオイ……それだけに反応するんだよ」

「……犬みたいだな、おまえ」

 アンがぼそりと呟くと、サルマがそれを聞き逃さず反応する。

「うるせぇ! 誰が犬だよ……あ」

 サルマは皇帝相手にまた暴言を吐いてしまったことに気がついて、冷や汗をかく。アンがそれを見てにやりと笑い、サルマに問う。

「で、サルマ。その匂いとやらはどこからしたんだ?」

「お、おう。ちょっと待ってろ。…………ん? おかしいな。この庭からはニオイがしねーぞ。さっきは確かにニオイがしたんだが」

 サルマは辺りをキョロキョロと見渡しながら言う。

「さっきって……さっきはどこで匂いがしたの?」

 アイラがそう尋ねると、サルマは少し考える素振りを見せた後、ふと空を見上げる。

「確か、絨毯で空を飛んでる時だ。そうだな、ちょうどこの上……宮殿の外からこの庭のある建物の中に入る直前あたりだ」


 それを聞いて皆が上を――空を見上げる。アイラとラビはそれを聞いてもよくわからない様子で、首をかしげて空を見ていたが、アンはそれを聞いて――――ハッとした様子で大きな目を見開き、興奮した様子で噴水に目をやる。

「そういうことか……」

「何? どういうこと⁉」

 アイラは勢いよく振り返ってアンを見る。


 アンは噴水の方にちょこちょこと歩いてゆき、そのふちに座って空を見上げる。

「ここで毎日、噴水のふちに座って空を眺めていて……不思議に思っていたのだ。ここからちょうど上に見える雲……毎日形も変えず、ずっと同じ場所にたたずんでいる。噴水の水溜めにも、毎日同じように雲が映っている。それは一体何故なのか……」


 アンは、アイラを見る。


「……天界だ。神のおられる天上の世界……天界は本当にあったのだ! そしてそのコンパスの針は、この庭ではなく、もしかしたら……ここからちょうど上にある、天界を示しているのではないか?」


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