まわりからのイメージ

 家が無くなって、絶望感に浸っている僕をよそに、まわりの人間はいつもどおりの生活をしている。ふらふらと町をさまよっていると、町を歩いているどの人間も幸せそうに見えた。僕もついこの間は、あっち側の人間だったはずだ。それが、何者かに引っ張られるかのごとく、一気に失意のどん底へと連れてこられた。どこかで、喜与味に笑われているような気がした。

 僕の祖父母は、僕が幼い頃にみんな亡くなっていた。父親と母親はもともと、どちらも兄弟がいない一人っ子だった。そして父親を失ったいま、僕に残された唯一の血縁者は、出て行った母親ひとりだけだった。

 母親の会社を訪ねたが、母親はすでに会社を辞めていて、社員の誰もがその後の消息を知らないという。僕は母親に捨てられたのだろう。

「アンタが何を考えているのか、わたしには全然わからない」

 それが、僕に対する母親の口癖だった。いや、それは母親に限った話ではない。学校のクラスの人間の中にも、僕の方をそういう風に喋っていた者はいた。

 僕はいままでずっと、優等生を演じてきた。母親にとって自慢の息子。可愛い息子。怒られるようなことはしない。好き嫌いをしないで、出された料理はひとつ残らず食べる。真面目人間。完璧主義。言われたことはきちんとやる。成績こそ特別良くは無かったものの、悪くも無かった。人と話すときは常に敬語だった。いい子で、浮いた話が見当たらない。悪く言えばつまらない。それが僕だった。

 しかしそれはあくまで、まわりの人間が勝手に作り出したイメージにすぎない。まわりの人間が僕の本心をよそに作り上げた、偽りの僕。僕は母親に怒られることへの恐怖のあまり、そのイメージに甘じんできた。真面目を演じるあまり、人の悪口を言ったり、愚痴をこぼしたりすることはできなかった。僕がそんなことをするはずないと、まわりが勝手に信じている。みんなに失望されるのが怖かった。僕は自分の心のうちを誰かに打ち明けたことはない。打ち明けるほど、心を許した人間はいない。自分の両親でさえも、他人と同じように接してきた。弱音を吐くことも無かった。

 喜与味が僕に残していった<壊の書>。公園のベンチに座り、僕はその本を読んだ。その本には、今の僕にそっくりな主人公が、自分のまわりにある何もかもを壊して、本当の自分と向き合い、前へと進む様が書き綴られていた。喜与味もこれを読んで、自らの手で自分の部屋にあるものを破壊したのだ。いままでつけていた、偽りの仮面を破壊するように。

 僕もいままで、偽りの仮面をつけていた。偽りの優等生を演じて生きてきたのだ。母親や先生をはじめとする、まわりの人間の期待に応えようと、仮面をかぶって生きてきたのだ。

 母親がいなくなって僕は、自分がいままで無理をしていたことに気付いた。無理をして優等生を演じていたことに気付いたのだ。自分の意見を言わず、ただまわりに流されて。僕はいままで、耐え続けてきたのだ。いままで僕に優しくしてきた人間に、失望され嫌われるのが恐かった。自分の心の中にある黒い部分をさらけだすのが恐かった。

 僕は母親に捨てられた。そして喜与味にも、アカネにも嫌われた。家が燃えて、父親も他界して、もう僕は高校を中退して働くしかないだろう。もう、まわりに遠慮している場合ではないだろう。そう。もう、まわりを気にして遠慮する必要はなくなったのだ。

 そう思った瞬間、僕の心の中で何かが破れたような、そんな感覚を味わった。僕の心の内側から、殻を破って外へ出ようとする何かがいる。何もかも失って、公園のベンチに座り込んでいた僕の体は、無意識のうちに立ち上がっていた。そして右手には、いつのまにか<キヅキの木槌>が握られていた。

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