ぬくもり

 喜与味との恋愛に熱中するあまり、ほかのことがおろそかになっていた。喜与味しか見えていなかった。しかし、喜与味に対する興味が日を増すごとに薄れていき、いままで見えていなかったものが徐々に見えるようになってきた。僕の頭の中を覆っていた喜与味に関する思考の面積が、徐々に縮んでいくように感じた。それに伴って、アカネに対する思考や、ブックカフェにいる志摩冷華に対する思考の面積が広がっていった。アカネともっと話がしたい、志摩冷華とも話がしたいと思うようになっていた。そして自分を変えたい。刺激が欲しい。そう思っていた。自分の正直な気持ちが、喜与味と付き合うことで、膨らんできていた。そう思うと、喜与味と付き合ってきたことは無意味ではないと思う。もっとも、そんなことを喜与味に言ったらショックを受けるだろう。しかし、僕と距離を置き始めている喜与味を見ていると、彼女はそのことを察しているようにも思える。


 僕は、恋愛面において喜与味と決着をつけないまま、アカネと共に、久々に<キヅキの森>を訪れた。そしてブックカフェ<黄泉なさい>に入り、志摩冷華と再会した。

 店の中には、店員の江頭さんを除いて志摩冷華ひとりだけだった。そこに僕とアカネが加わって客が全部で三人。いつも本を読んでいる学ランの少年の姿は無かった。

『久しぶり。元気にしてた?安藤くん』

 志摩冷華の再会の挨拶から始まり、それから日常の些細な雑談を三人で楽しんだ。僕は久々に、アカネの笑顔をみた。楽しそうに志摩冷華と筆談する志摩冷華とアカネを見て、僕の心が温かくなるように感じた。温かい。ふと、四ヶ月前、喜与味が僕の左腕にしがみついてきたときの体温を思い出した。温かかった。喜与味との間にあった、あのぬくもりは何処へいってしまったのだろう。アカネと志摩冷華と筆談を楽しんでいる最中、今度は喜与味のことが気にかかっていた。喜与味に何もいわず、アカネと共にここへ来てしまったことに対する罪悪感のようなものを、僕はひそかに感じていた。そう。チクチクとした罪悪感が、僕の心の奥底に潜んでいる。

 ブックカフェを後にして、アカネと一緒に森の中を歩いている間、僕はずっと喜与味のことを考えていた。彼女を傷つけずに、どうやって別れを告げればいいのか、そればかりを考えていた。

「どうしたの?真剣な顔をして、なにを悩んでるの?」

 アカネが心配そうに僕の顔をのぞいてくる。

「なんでもないよ」と僕は答えた。

 しかし僕が別れを告げる前に喜与味はその夜、自ら別れを告げたのである。

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