ブックカフェ・黄泉なさい

 僕の家を通り過ぎてから三十分は歩いただろうか。いつのまにか人気の無い山奥まで来ていた。途中に車両通行止めの看板があり、そこからは険しい砂利道。川のせせらぎや木々のざわめき、小鳥のさえずりがどこかから聞こえてくる。こんなところに店なんてあるのかと思う。しかし、歩いた先にその店はあった。その外観はまるでペンションだ。木造で二階建て。屋根についている茶色い看板には、白い文字で【黄泉なさい】と書かれていた。

「ここよ。ここが私の兄の経営している店よ。さっき説明したこと、覚えているわよね?」

 ブックカフェ【黄泉なさい】。この店の中に入ってからは一言も喋ってはいけない、店内での会話は筆談で行うというルールを、道中に黒沢アカネから説明された。

 店の入り口の前に、女性がひとり立っていた。身長は百七十センチはあるだろう。腰まで伸びた長い黒髪。黒いハイネックの服に、白いエプロンをまとっている。左胸に『咲谷』と書かれたネームプレートをつけている。彼女の表情はとても堅かった。まるで感情がない人形のようだ。その咲谷という店員に、黒沢アカネは会員カードのようなものを手渡した。

「いらっしゃいませ。黒沢アカネ様とそのお連れ様ですね。失礼ですがお客様、ここでボディチェックをさせていただきます。まずお持ちの携帯電話やその他モバイル機器を、こちらの袋にお入れください」

 彼女に事務的に差し出された袋に、僕と黒沢アカネは自分のスマートフォンを入れた。どうやら店内ではスマートフォンの使用は禁止らしい。まるで試験前に試験管に回収されている気分だ。店内で音を鳴らされては困るからなのだろうが、店内の沈黙を守る為とはいえ、客からスマートフォンを取り上げるほど徹底する必要があるのだろうか。

 それからその咲谷という店員に、僕と黒沢アカネは妙なセンサーのような機械を体にあてがわれて何かをチェックされた。おそらくほかにモバイル機器の類を持っていないかを調べたのだろう。

「確認しました。ではそちらのお客様、書類に記入をお願いします」

 咲谷さんは、バインダーにはさまれた用紙を僕に手渡した。会員登録用紙と書かれたその用紙には、僕の名前や住所、電話番号など、僕の個人情報を書く欄があった。そして僕は記入を終えて、バインダーを咲谷さんに返した。

「以上で手続きは終了です。それでは黒沢アカネ様、安藤快様、大変長らくお待たせしました。入店を許可します。ここから先はけっして一言も話さないようお願いいたします。なお、店内で一言でも喋った場合、あなたがたの身に何があっても私どもは一切責任を取りかねますのでご注意ください。では、中へどうぞ」

 まるで脅しかけるように、咲谷さんは僕らを店内へと案内した。

 

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