◎慟哭に死せる屍の魂。(三)

 外は夕暮れに染まっていた。レイは、人の流れから自然に離れて路地裏に入り込んで行く。

 ホテルを出て数分。人の気配のない誰もいない廃墟になったマンションの立ち入り禁止テープを潜って侵入する。外にあまり被害が出そうにない一番真ん中の部屋を選んで中に入っていた。

 ギイィィ。音を立てて扉を開く。部屋の真ん中まで来ると、レイは「よっこらっせ」とわざとらしく声を上げて座り込んだ。

 口元を三日月に歪める。


「呪いの本、か……。僕を殺せるものなら、殺してみるがいいさ」


 本を開く。


『あああああああああッ。私は、一体どうすればいいのだッ』


 夜、彼はがむしゃらに恨みの文を書き綴った。想いを気持ちを叫びを、彼は文章にならない言葉で書きなぐっていく。

 そして次の日の朝、覚醒したかのように冷静になった彼は、思いついたのだ。


『ああ、そうか。そうだったのだ。私はなんて馬鹿だったのだろう。私は殺していない。それは私が一番よく知っているのだ。彼女を殺したのはあの男。あの憎き男なのだ』

『だったら、やることは決まっているではないか』

『人を殺したならば、それは自分の死でしか償えない。彼女を殺したのであれば、それは彼女を殺したあの男が死なねば彼女は報われない』


 なんて傲慢な考えであったのだろうか。そんなことをしても、男と同じことをしても、死んだ彼女は悲しむだけだというのに。

 あくる日。夜。彼は決行した。男の家に侵入し、寝ている男に向かって彼は持っていたナイフを構える。だけどそのとき、彼はふっと悟った。


『この男を殺して、彼女は救われるのか? 私がこの男と同じ人殺しになっていいのか? こんなことをしたら彼女がもっと苦しむのではないか?』

『だが、この男は許せない。彼女を殺したこの男はッ』


 彼はナイフを男の首元まで近づけた。唇を噛み締め、彼はナイフを懐にしまう。そして、彼は男の家を後にしたのだった。


『あの男を殺そうとしたとき、聴こえたのだ。彼女の声が。空耳かもしれない。けれど、確かに彼女の声だとわかった。』

『彼女はあの男を殺すなといった。殺したら、あなたが終わる。それを見るのが私は一番悲しいのだと。だから、私は男を殺すのをやめた。』

『ああ、でもッ。この思いをどこに爆発させればいいのだ! 私は激しく恨んでいる。あの男をッ。彼女を殺したあの男のことをッ。』

『それから、あの時もっと早く止めに入ることの出来なかった、私のことも……』


 彼は自分をも恨んでいた。彼女を見殺しにしてしまった自分にも。その後の言葉は、ほとんどが自分への憎悪に染められていた。

 そしてついに――。

 彼は、ほんとうにこの世界を恨んだ。


『私は恨むッ。この世界をッ。私と彼女を引き離した、この世界をッ!』

『私は弱い。だから、彼女を見殺しにしてしまった! ああ、こんな弱い自分が嘆かわしい!』 

『ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない。うらんでやるうらんでやるこの世をッ!』

『呪ってやるこの世をこの世のすべての物をうらんでのろってすべて消し炭になってしまえばいい!』


 男を殺そうとしてから三日後、次の書き込みのあと、彼は呪いの言葉を残し、首を吊って自殺をする。


『恨み辛みを書き連ねても、もうなにも変わりはしない。だが最後にこれだけは告げておく。』


 レイは、最後のページを開くと、それを声に出して読んだ


「『――――――――――』」


 この世を呪う〝彼〟の思いが、狭い室内に木霊する。

 レイの持っている本が光を放ち始めた。その光がレイの体を包み込んでいく。


 そして――


 レイは、一度、死んだ。



    ◇◆◇



 部屋の扉を開けると、元気いっぱいの声が出迎えてくれた。


「おかえりなさい、レイ!」

「ん、ただいま」


 レイは適当に返事をすると、自分が使っているベッドに腰を下ろした。


「随分遅かったんですね。寄り道していたんですか……って、なんだか服がところどころ汚れているけど、どうしたんですか?」

「ああ、そうだね、転んだんだよ?」

「そうなんですか? 怪我はしていませんか?」

「大丈夫。僕は丈夫だからね、転んだぐらいじゃあ怪我はしないよ」

「そういうものなんですか?」

「そういうものだよ」


 レイは適当に答えると自分の着ている服を見る。服は、ところどころほつれたり汚れたりしている。

 ――あのあと、レイは体の内側から炎に包まれて一度死んだ。

 それでも彼の体は徐々に再生をし、服以外はすべて元通りになった。近くに捨てられていた服を着ているためいまのレイは少し異臭を放っているかもしれないが、レイ自身はあまり気にしてなかった。


 本は、帰りに古本屋に返却をした。本当は誰も寄り付かないような場所に捨てようかと考えたけれど、めんどうだったのだ。それに自分が返却をした本を購入した誰かが死んだところで、レイには無関係。自分が死ななかったのだから、それ以降のことはどうでもよかった。


 レイは長い旅路の中、いろいろなものを目にしてきた。いろいろなこともしてきた。ラナには絶対に話せない罪に問われるようなことを、平気でしていた時期もある。

 ラナを助けたのは、ただのついでだった。いや、彼女を助けたなにかが変わるかもと思ったこともあるけれど、レイは親切心から彼女を助けたわけではない。そしてついでに、自分を殺してくれるものも探している。それはぜんぜん見つからないけれど。


 嘆息。

 ――やはりあの程度では無理だったのだろう。いままでいろいろと試してきたのだ。だがいくら試してみても、死ぬことはなかった。全身が燃え尽きてすらこうしてピンピンしている。いったい、自分はいつになったら死ねるのだろうか?


(まあ、でもいいか)


 いったんレイは気にするのをやめる。死ねるものなら死んでみたいけれど、別に死なないのならそれでもいい。ただ、暇つぶし程度に、あのときに優しくされたぶんだけ、人を助ければいい。

 レイは目の前にいる少女に目を向ける。

 ラナとは半年ほど一緒に旅をしていた。出会った頃に比べると、身長が伸びて、ガリガリだった腕には程よい肉付きが戻り、いまではすっかり健康的に過ごしている。

 だというのに、それに比べてレイは少しも成長していなかった。あの頃のままだ。


(もうすぐ、ラナともお別れかな)


 長く見積もっても、あと半年が限度だろう。成長期に成長しないレイを、彼女が訝しむ日も近い。

 あと半年。まだ情は湧いていないはずだ。情が湧く前にその前に別れる。彼女が安心して暮らせる場所を見つけて。

 目星はつけてある。今年のクリスマスには、そこに行くことができるだろう。


「ラナ」


 レイは気を取り直すと、ラナに声をかける。彼女は不思議そうに首をかしげていたけれど、レイの笑みを見て安心した顔になった。


「晩御飯たべようか」

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