◎慟哭に死せる屍の魂。(一)
『恨みを書き連ねても、なにも変わりはしない。だが最後にこれだけは告げておく。』
◇◆◇
レイは古本屋を訪れていた。自分は本を読まないけれど、少し前から旅を共にしている少女が勉強がてら大量に本を読むのだ。
主に読んでいるのは童話だけど、レイが選んだものであればなんでも読んでくれる。前に細かい文字で内容も複雑なものを冗談半分で買って渡してみたら、うんうん唸りながらも何日も何日も書けて読んでくれた。感想を聞くと、「よくわからなかったです」というものだったけれど、彼女は達成感からか、満足そうな表情をしていた。そのあと、数日間目が疲れたからと本を読んでなかったけれど。
レイの訪れた古本屋は、商店街の奥まったところにある誰も寄り付きそうにないぐらい暗く狭い店だった。気まぐれでその古本屋に入ってみると、客どころか店主らしき人もいない。どうぞ盗んで行ってくださいとでも言っているような店だった。カウンターらしい所には、「用があったらこのボタンを押してください」と達筆な字で書かれた紙が張られている。その紙が指す所にあるのは赤色のボタンだった。
レイはゆっくりと店内を見渡す。狭い店内には、天井付近まで延びる高い本棚が所狭しに並んでいて、薄い本から分厚い本まで大きさも様々な本が詰め込まれていた。一目見て年季が入っていると思われる本が多く見られる。
「すごいな……」
思わず感嘆してしまう。レイはゆっくりと歩き出した。
ほとんどが見たことのない本だ。もしかしたら、何百年前の本とかも眠っているかもしれない。
へぇー、ほぉー、とレイはゆっくりと本の背表紙や表紙を眺めて行く。
一つ目の本棚が終わったら、次の本棚へ――。
ふと、ある本の前で目が止まった。レイは足も止め、その本の表紙を眺める。十冊ぐらいつまれた本塚の上にあるその本は、茶色い生地に白に近い銀色で『慟哭に死せる屍の魂』という題名がつけられていた。筆者名はなく、題名が真ん中に堂々と書かれているのみ。
一見、それはどこにでもあるような古い本に見え、おかしいところは伺えない。だけど、どこかまがまがしいような雰囲気を醸し出しているようにレイは感じた。
「慟哭に死せる屍の魂……か。なんだろうね、これは」
中を確認しようと、指を伸ばす。
「それに触らない方がいい」
不意に聞こえてきた初老の男性の声にレイは手を止めた。
声がしたところを見ると、髪も伸ばしている髭も白い老人がいた。眼鏡の奥に見える目は細く、怒っているようにも笑っているようにも見える。口は髭に隠れているため窺うことができない。
老人と向き合い、レイは笑みを浮かべながら訊く。
「どうしてですか?」
「その本には、作者の呪いがかけられておるのだ」
「呪い、ですか……?」
思っても見なかった言葉にレイは軽く目を見開く。
カウンターの近くに立っていた老人が、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。
レイの近くで足を止め、老人は茶色い表紙の本に目を落とした。
「……これは百年も前の本になる。当時、有名な作家だった男の日記を集めたものだ。日常に思い感じたことを生き生きと書かれており、読んだものはその物語といえない話に引き込まれ、魅せられる。まあ、それが本の性分と言ってもいい。だがこれは違う。これは、作者の呪いの言葉が書かれたものだ。最後に書かれた、作者である彼が死ぬ間際にこの世を呪って書いた言葉を読んだものは、必ず呪われる」
「……へぇ。呪われたら、どうなるのですか?」
「死ぬ」
その言葉を聞いて、レイは笑みを消した。もう一度、「へぇ」と呟く。
「だが、この本を書いたのは著名な作家だ。呪いがあると知ってもなお、読むものは後を絶たなかった」
本を読んだものはそのすぐあとにことごとく不自然な死を迎えたという。
ある者は、この世の物とは思えない生き物に全身を引掻かれていたり、ある者は、お腹は開かれていないのに内臓や胃が辺りに散りばめられていたり――。
まるで、この世の物じゃない〝何モノ〟かによって、殺されていたらしい。
例外はなく、読んだものはみんな死んでしまった。
「だが、最後の呪いの言葉を読まない限り、呪いは発生しない。それを知って、途中まででいいから読みたいという輩もいた。だが……」
魂のある話は人を魅せる。魅せられたものは、最後まで読まなければならない症状が現れる。故に、誰もがこの本を最後まで読み、そして呪われたという。
「この作者の本はこの一冊しかない。王政国家だった当時の王が、この本の呪いを恐れ、他の作品にも呪いがあるかもしれないという理由ですべてを燃やし尽くした。だがこれは燃やされなかった。……いや、燃やそうとしたが、燃えなかったというほうが正しいかな。だからこの本だけは、いまもなお在し続けている。それを私は父から聞いた」
「あなたは、読んだことはないのですか?」
「もちろんだ。読んでみたいと思ったことはあるが、死にたくないのでな。読んではおらん。人間らしい死に方をしたいからな」
「そうですね。それが懸命だと思います」
レイの言葉に、店主である老人は不思議そうな顔をする。「ははっ」と、取り繕うようにレイは笑い声を上げると、再び本に手を伸ばした。
「自殺するきか?」
今度は止めようとはせず、どこか呆れたような老人の声音。
レイはわざとらしく肩をすくめた。
「いえ、別に」
本の表紙を指先で撫で、レイはゆっくりと本を持ち上げた。ふわっと埃が舞い上がる。
じっと本の表紙を眺めると、レイは徐に老人に本を差し出した。
「この本、いくらですか?」
細い老人の目が見開かれる。ありえないというように振るえている。だけどすぐに怒っているような笑っているような感情のつかめない表情に戻ると、低い声で囁いた。
「お代は結構だ。必要ない。……その代わり、いつでも返却しにくるがいい」
「ははっ。ありがとうございます」
いい買い物したなーっと、レイは呟くとその本を抱えた。
それから店内を見渡し、一緒に旅をしている少女が好みそうな本を数冊探し、お代を支払うと、古本屋を出た。
◇◆◇
「おかえりなさい、レイッ!」
泊まっている安いホテルの一室を開けると、元気いっぱいの声に迎えられた。両耳の下で結ばれた栗色の髪がぴょんっと跳ねる。赤色眼鏡の奥の瞳を輝かせた少女は、まるでいまくるのを予想していたかのように、レイにダイブしてきた。それを予想していたレイはさっと避ける。
ベシッと音を立てて、受け止めてもらえなかった少女は地面に顔面をぶつけた。数秒固まった末、少女は「いたた」と言って立ち上がると、赤くなった鼻を押さえて非難するような目で睨んできた。
「なんで避けるんですかぁ~。せっかく、扉の前で待ち構えていたのに」
「ん、なんとなくだけど」
最初の頃に比べ、無邪気な性格になった少女に、レイはにこやかな笑みを浮かべる。
少女はぶすっとした顔でそっぽを向いた。
「なんとなくでそんなひどいことしないでください。わたしはとても傷つきました。この傷は一生モンです」
「……なんで、抱きついてこようとしたのかな?」
「なんとなくです」
「…………」
レイは無言で部屋の中に入ると、二つあるのうちの左側のベッドに腰を下ろした。持っていた紙袋を横に置く。
その様子を見た少女が興味深そうに紙袋を見つめながら、向かいのベッドに腰を下ろした。
「なんですか、それ?」
「本だよ。ラナのために買ってきたんだ。欲しい?」
「いります! 欲しいです! レイの買ったものだったらなんでも!」
満面の笑みを浮かべたラナは、レイの差し出した紙袋を奪うように取ると、上に掲げた。その目はキラキラとしている。いそいそと紙袋の中を覗き込むと、中から数冊の本を取り出した。
そんな彼女の笑顔を見て、レイも笑顔を浮かべる。やはり彼女の笑みはいい。生き生きとして、見ていて心が癒されるからだ。
レイはもうひとつ持っていた紙袋の中から本を取り出すと、茶色い表紙を眺めた。
「それはなんですか?」
ラナがそれを目ざとく見つけ訊ねてくる。
レイはなんでもないことのように答えた。
「ん、本だよ」
「本、ですか?」
「そう、本だよ」
「わたしへのプレゼントですか?」
「いや、違うよ。これは僕のなんだ。この国の言葉じゃないから、きみには難しいと思うよ」
レイは笑顔で嘘を吐く。だが、少女は得に気にした様子もなく、「そうですか」と言うと、先ほどレイが買ってきたばかりの本のの中から赤い表紙の本を選び読み始めた。
それを見てレイは手もとの本に目を落とす。数秒眺めたあと、ゆっくりと表紙を開いた。
一行目から、レイは文章に引き込まれていった。
◇◆◇
『私の人生は、なんの変哲もなく平凡であった。』
『平凡すぎてつまらず、私は日々文を書いている。』
その言葉で、彼の日記は始まっていた。
平凡でつまらない。だから、文――小説を書き始めたと。そして、なにを思ったのかたまたま応募した作品が、それなりにいい賞を受賞して、それなりの注目を集めたらしい。
だが彼の書く話は彼の人生同様平凡で、当たり障りない日常を書き連ねた物語ばかりだったこともあり、次回作からはあまり売れなかった。
それでも、彼はとくに嘆いたり悲しんだりすることはなく、やはり日々つまらない平凡な人生を送っていた。
彼はあまり世間の物事に興味がなかったらしく、自分の世界に篭りっぱなしだった。父の集めていた本を適当に選んで読み、気が向いた時に気が向いたお話で文を綴る。
だが、そんな彼の日常に侵入してくる人物がいた。この人物について、彼は最初にこう記している。
『何者かが私の世界に侵入してきた。』
『平凡とかけ離れた生活をしている彼女は美しいが、それ以外に私はなにも思わない。ただ、邪魔としか思えない。』
彼の平凡な日々を邪魔して来たのはひとりの女性だった。町の領主の弟の娘という地位にいる彼女は、彼の書いた本に感銘を受けて会いにきたのだという。
女性は言った。あなたの話は平凡で素晴らしいと。私は、あなたの物語に惹かれたのだと。
だが、彼はそれをこういった文で否定していた。
『なんて嫌味な女だ。あの女は、私のことを侮辱している。』
彼は激しく憤った。珍しく、それからの彼の日記には、怒りが込められてばかりだった。
『怒り。これが怒りなのだ。私は彼女に憤っている。こんな感情は初めてだ。どうしていいのかわからず、私は頭を抱えて座り込むことしかできない。』
『侮辱するな、私はまた会いに来た彼女にそう言った。』
彼女はその言葉を聞いて、とても悲しそうな顔をしたという。目を伏せ、視線を逸らしたという。
それを見て、彼は不思議そうに聞いた。どうしてそんな顔をすると。
彼女は答えた。
私はあなたを馬鹿になどしておりません。本心からそう思ったのです。
そして、彼女は誰をも魅了する笑顔で微笑んだ。
彼はその笑みを見て、怒りがすべて吹き飛んだらしい。そして――。
『彼女は素晴らしい。とても素晴らしい人だ。』
『私には彼女が必要だ。彼女がいれば、私は他のなにもいりはしない。』
『愛している。私は彼女を愛している。その想いが、私の心を満たしている』
相当流されやすい性格らしく、彼の日記はいきなり彼女への愛の言葉で埋め尽くされはじめた。怒りから愛へ――。
それは読んでいて、急展開過ぎて思わず笑ってしまう。
「ははっ」
レイは、小さく笑い声を上げた。ハッと、本を閉じる。
思ったよりも読みふけっていたらしい。外はいつの間にか暗闇になっていた。向かいにあるベッドに目を向けると、本を抱えてすやすやと健やかに眠っている少女がいた。
ラナの寝顔を眺めて、レイは微笑む。
「よく、眠っているね」
本の続きを読もうか迷ったけれど、時計を見るととうに零時を超えていたので、レイは読むのをやめた。
枕元に本を置き、掛け布団を手繰り寄せ眠りにつく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。