第百八十八章 ロケハン
ターマインとガルバノの同盟締結協議『恒久平和の円卓』――その一日前の正午。ジョンデの運転する防弾ガラス装備の黒塗りの車で、私と聖哉、セルセウスにコルト兄妹は、ターマインとガルバノの境にあるというスワインの砦に向かっていた。私達の背後には数台の車が続き、その中にはジョンデの部下達が乗っているらしい。
聖哉が後部座席からジョンデに言う。
「おい。あまり飛ばすな。安全運転で行け」
「勝手に付いてきて『煙草は吸うな』『安全運転で行け』だの、うるせえ奴だ!」
舌打ちしながらも、ジョンデは少しスピードを緩めた。ジョンデ達、カーミラ王妃の配下にしてみれば、当日の準備があるので前日入りは普通なのだが、私達が付いてくる意味が全く分からないらしく不機嫌である。
「あと、お前ら! ついたら絶対、着替えろよ!」
ジョンデが私達全員に言う。ドレス姿の私以外、皆、戦闘モード丸出しで、同盟協議に相応しくない格好である。
「それは、そうね。ジョンデ、礼装みたいなのは用意してくれるの?」
「仕方ないから貸してやる。あと、他人事みたいに言ってるけど、お前もだからな!」
「へ? 私、ドレス着てるでしょ?」
するとアイヒがケラケラ笑う。
「リスタのは薄汚れてんだよ! 匂ってきそうなくらいな!」
「なっ!? た、確かによく見れば、あちこち汚れて……うわっ、此処とか破けてる! ……ジョンデ! 私の服もしっかり用意してね! 可愛いやつ!」
「分かった、分かった」
ジョンデが大きな溜め息を吐く。いつしか、車は賑やかな通りを走っていた。どうやら町の中に入ったらしい。
「此処は?」
私が呟くように言うと、コルトが答えてくれる。
「ガルバノだよ。スワインの砦はガルバノ領なんだ。かなり端っこの方だけどね」
「ええっ!? 此処もガルバノなんだ!! ガルバノって広いのね!!」
いつの間にかガルバノに戻ってきたことに驚くと、ジョンデがゴホンと咳払いする。
「名目上は、な。本来、スワインの砦周辺は中立地域だ。そもそも、砦の管理は我がターマインがやっている。砦にいるのは、ターマインの者達ばかりだ」
こういう時、ジョンデは声を荒らげる。領地や魔導力で、ターマインがガルバノに負けていると思われたくないらしい。
「この町の連中を見てみろ。ターマインの者達と違って、薄汚い連中ばかりだ。その女神のドレスのようにな」
目に映るのはガルバノで見慣れた光景。ジョンデの言う通り、ボロをまとった老若男女が彷徨いている。
「本当ね……って今、私のこと軽くディスったよね? オイ。ちょっと。オイ」
だがジョンデは私を無視しつつ、前方を睨む。いつしか車の速度は亀のように遅くなっていた。ジョンデが舌打ちする。
「チッ。こんな所で、やりやがって」
車内からウインドー越しに、人だかりが見える。何かの催し事だろうか。そのせいで渋滞が起きて進めないようだ。
コルトが人だかりに冷たい視線を向けながら言う。
「この辺りの名物さ」
「名物?」
有名店にでも並んでいるのかと思ったら、私の目にとんでもない光景が飛び込んできた。ボクシングのようなリングを囲って、人々が手を上げて応援している。リング中央には、屈強な男二人が向かい合っていた。その周りには、豪華な椅子に座って、ワインを傾ける富裕層達。無論、彼らの傍にはマシンガンで武装したボディガードがいて、厳重に守っている。
「ステゴロ――体重差無視の殴り合いさ。勿論、死ぬこともある。それでも勝てば賞金が貰えるし、レオン直属部隊『
コルトの言葉を聞きながら私はリングを眺めていた。背の高い男の拳が、向かい合った男の顎にヒットする。男はくずおれたが、それでも背の高い男は、馬乗りになって拳を喰らわせ続けていた。
私は見ていられなくなって目を背ける。だが富裕層の老爺に老女は、そんなリングの男達を見て、
「キキキ!」
「コココココ!」
と、下卑た声で笑っていた。車内で見ている私はドン引きだ。
――うわぁ……! 何か、色んな娯楽に飽きて、生き死にが掛かったイベントにしか興奮できなくなったアレな感じの富裕層っぽい……!
ジョンデが吐き捨てるように言う。
「哀れな連中だ。やる方も、見ている方もな」
ジョンデの言葉に心の中で同意しつつ、私は別のことを考えていた。
――これって、獣皇隊の入隊試験みたいなものよね。
かつてのイクスフォリアで、獣皇グランドレオンは直属部隊として『獣皇隊』を結成していた。私と聖哉はグランドレオンの懐に潜り込む為、獣皇隊の入隊試験を受け、同じようなリングで戦ったことがあった。ちなみにその時、魚人に変化した私の対戦相手は、アンデッドのジョンデ。私は、聖哉の与えてくれた魚人のスキルで、ジョンデをボッコボコにしたのだった。
「あの時、ジョンデもメチャクチャ哀れだったよね」
「えっ? ちょっと何? どういうこと? 何で俺が哀れなの?」
すると、今まで黙って腕組みしていた聖哉が咳払いする。ヤバっ! いらんこと言っちゃった……と思ったが、聖哉はジョンデを睨む。
「おい。道が空いたぞ。ボケッとするな。飛ばせ」
「ゆっくり行けって言ったり、飛ばせって言ったり、お前は!!」
……そんなこんなで、ようやくスワインの砦に着いた頃、日は陰り始めていた。スワインの砦は、ターマイン城と同じく、中世の
「外と中じゃあ、全然違うわねー!」
「ああ! ゴージャスだな!」
有名ホテルのようなエントランスに、私とアイヒはテンションが上がって浮かれそうになるが、聖哉が静かにジョンデに尋ねる。
「『恒久平和の円卓』は何処で行われる?」
「二階だ」
私達はジョンデの後に続く。「待ってくれえ」とセルセウスも苦労しながら螺旋階段を上ってきた。二階の廊下の先、ジョンデが観音開きの扉を開く。その途端、私は息を呑んだ。
頭上高く輝く豪奢なシャンデリア。百人を軽く収容できそうな広さは、大ホールを思わせる。敷かれた絨毯もエントランスのものより、フカフカで高価そうだ。
「パーティ会場とか結婚式場みたいだなあ」
そんなセルセウスの感想に異論はない。呆気に取られて驚く私達に、ジョンデが言う。
「だから、戦略的な施設じゃねえんだって。カーミラ王妃が言ってたろ。昔も此処で、対立する二国間の平和的な話し合いが行われたんだ」
ジョンデが指をさす。広いホールの中央には、二、三十人が囲って座れる円卓が置かれてあった。
「明日はあの円卓に、カーミラ王妃にティアナ姫を始めとしたターマイン王族のお歴々。対面にはデューク・レオンとガルバノ公国の重鎮達が集まる」
そう言った後で苦虫を噛み潰したような顔をする。
「アイヒとコルトは扉の外で待機。だが……カーミラ王妃の願いで、勇者に女神、あとカチカチの男神は円卓に座って欲しいとのことだ」
「フン。別に出たかねえし」とアイヒが鼻を鳴らす。セルセウスは固まったまま、不敵に笑った。
「まぁ、こういう大事な協議に、世界を救う勇者と俺達、神が出席するのは当然だな」
イキリ出したセルセウスはジョンデに視線を向ける。
「それで、ジョンデ。お前は?」
「……俺も扉の外で待機だ」
セルセウスがにやりと笑う。私も笑ってジョンデの肩に手をやった。
「どんまい!」
「うっせえな、クソ女神!! お前らマジで絶対、何も問題起こすんじゃねえぞ! 聞いてるか! 特にお前だよ、お前ッ!」
ジョンデに睨まれて、聖哉はこくりと頷いた。
「うむ。分かっている。俺はマジで絶対、何も問題を起こさない」
「ロボかよ! 機械的に返事しやがって! うぐぐ……心配だ……!」
感情の籠もらない返事をした聖哉を、ジョンデはメチャクチャ怪しがっていたが、無論、私もである。
――聖哉はレオンとの戦闘を見据えてる! だからこそ、スワインの砦に前日入りした! きっと今日、何らかの行動を起こす筈!
この勇者と付き合いの長い私はそう確信していた。しかし……。
聖哉はぐるりと円卓のあるホールを見渡した後、踵を返して、入ってきた扉に向かった。ジョンデが驚く。
「な、なんだ。もう良いのかよ?」
「充分だ」
そうして、聖哉は階下に向かった。歩きながらアイヒとジョンデが喋る。
「聖哉の奴。下見とか言っといて、拍子抜けだな」
「ああ。俺はまた、円卓の周辺に何か仕掛けるんじゃないかとハラハラしていたぜ」
ジョンデが胸を撫で下ろしながら言う。私も似たようなことを考えながら、円卓のあるホールでの聖哉の行動を注視していた。だが、聖哉は円卓に手を触れてすらいなかった。
下見というより物見遊山の如く、聖哉は階下の大厨房へ向かう。明日の仕込みがあるのだろう。コック帽を被った料理人達が広い厨房内であくせく働いていた。
「ターマインから招いたプロの料理人達だ」
「うわー! 包丁
ジョンデの言葉に、セルセウスが目を輝かせる。セルセウスは車椅子から、おずおずと聖哉を見上げた。
「あ、あのー……俺、もっと近くで見学して良いっすか?」
「うむ。良いだろう」
「やったー!」
聖哉に許可を貰ったセルセウスは、喜びながら厨房内を車椅子で巡った。こういう時のセルセウスは無邪気である。
――料理のこととなると、研究熱心ねえ。その熱意を剣に向ければ良いのに。
などと思いながら、聖哉を眺める。すると、聖哉もセルセウスのように厨房内を彷徨いていた。料理人と雑談している。
「これはどういう料理だ?」
「羊のソテーです。美味しいですよ」
「ほう」
――あれえ? おかしいな?
私は不思議に感じていた。レオンと協議する恒久平和の円卓がある大ホールの見学を早々に切り上げ、聖哉はむしろ大厨房の方をじっくりと眺めて、歩き回っている。この様子にコルトも意外そうに微笑む。
「聖哉君。今日はおとなしいね」
「ええ。今のところは……」
――いやいや、そんな訳ない! せっかく前日入りしたんだ! 今に何かやる筈!
そんな私の思いとは裏腹に時間は過ぎる。厨房を出た後は、砦内を観光名所のように聖哉は彷徨いていた。やがて日もとっぷりと暮れ、ジョンデが私達用の寝室を用意してくれる。
「レオン公は明日の昼頃に到着する。時間に遅れないように、円卓の間に迎え。分かったな?」
「ああ。分かった」
ジョンデの言葉に素直に頷く聖哉。流石に疑いも晴れたようで、ジョンデは小さく頷くと、それ以上何も言わずに踵を返した。
――ほ、ホントに何にもせずに一日終わったわ! なら、どうして、わざわざ砦に来たのよ……?
私は聖哉と廊下で別れる前に、思い切って聞いてみた。
「前日入りしたけど、特に何もしなかったね?」
「いや。もう準備は済んだ」
「え?」
不思議がる私を廊下に残し、聖哉は一人で寝室に入っていった。
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