第四十四章 可能性の羅列

 剣先よりも鋭利な戦帝の視線に私は本能的に後ずさる。


「悪いが女神よ。お前には此処で死んで貰う。この剣で脳か心臓を破壊して、な」

「じ、冗談ですよね!?」

「女神がいる限り、勇者はいつでも天界に逃げ帰ることが出来ると聞く。ならば退路を断つべく女神を先に殺しておく。それが戦いに於ける常套手段というものだ」


 つまり聖哉を狙ってるってこと!? い、一体どうして!?


 戦帝はシワのある手を私に向けて、かざす。


「老いとは無惨なものよ。鋼のようだった肉体が、明晰だった頭脳が、今やこの有様。以前、魔王の本拠地アルフォレイスに行ったのも義侠心からではない。この老体に終止符を打つつもりだったのだ。だがワシはそこで魔王に出会った」


 ロザリーは戦帝がアルフォレイスに辿り着く前に戦帝を止めたと言っていた!! だけど戦帝は既に魔王に出会っていたというの!?


「魔王は全てを見抜いておった。そしてワシにゴッドイーターを与え、望みを叶えてくれたのだ。さぁ……無駄話はもうよそう。早くしなければ、また人事不省に陥ってしまうかも知れん」


 そして戦帝は黒き剣を大きく後方に引いた。


「かつてワシが神を崇め、尊んだことは事実。せめてもの情けに一撃で殺してやろう」

「ストーーーップ!! ちょっと待ったあああああっ!!」


 もはや女神ぶった態度など、かなぐり捨て、私は大声で叫ぶ。しかし戦帝は躊躇なく、大きな剣で私を突こうとした。


「うっひゃあっ!?」


 体をひねり、どうにか剣を避けると戦帝は少し驚いた表情を見せた。


「今の突きをかわすとは。案外、いい目を持っているな。ちょこまか動く相手を一撃で絶命させるとなると、いくらワシでも難しい」

「痛っ!?」


 不意に足に激痛。同時に体がぐらり。私は床に倒れる。


「……だから、こうさせて貰う」


 足払いで倒れた私に馬乗りになると、戦帝はゴッドイーターを私の心臓の位置に向けた。


 ――えっ、えっ、えっ!! ちょっと、何コレ!? マジで私、今から殺されちゃうの!? 魂も消えて無くなっちゃう訳!? そ、そんな……!!


「や……やだ……」


 か細く震える声が私の口をついて出た。戦帝は呆れたような視線を向ける。


「死ぬのが怖いか。こうして見ると女神とはいえ、ただの若い女。哀れなものだな」


 そして剣を引く。


「だが、それでも容赦はしない」


 怖くて、辛くて、私の目から涙が溢れた。不死の筈の自分が『殺される』――それは生まれて初めて味わう恐怖だった。なのに……私はこの絶望を知っている気がした。巨大な力に為す術もなく、命が奪われていく絶望感を……。


「聖哉……助けて……」


 私は無意識に呟いていた。戦帝が首を横に振る。


「現実はお伽話ではない。危機に瀕した時、時宜じぎを得て現れる英雄など、そうそう居るまいよ。いいか。勇者は此処には来ない。ワシが女神を襲う筈はないし、そもそも『女神は死なない』――それは誰よりも勇者がよく知っている。安心して今頃デモンズ・ソードの残党狩りをしているだろう」


 戦帝の言う通りだった。聖哉がタイミングよく私を助けになんか来る訳がない。けれど理屈ではなかった。追い詰められた私の魂が、勇者に助けを求めていた。


「助けて、聖哉ああああああっ!!」

「あがいても無駄だ。女神よ。無に還るがいい」


 戦帝がゴッドイーターを振りかざした。私は本能的に腕で胸をかばう。だがそれは意味のない行為だろう。剣は私の腕を突き抜け、心臓を破壊する。そして私は絶命するのだ。


 ――せめて……聖哉と仲直りしてから死にたかったな……。


 死の瞬間が恐ろしくて、目を逸らす。涙でにじむ私の目には大聖堂入り口の扉が映っていた。そしてそれは……音を立てて開かれる! 差し込んだ陽光と同時に、光線の如き光の矢が戦帝に向かった!


「ぬうっ?」


 戦帝は私の心臓に突き立てる筈の剣を中段に構え、迫る三本の光の矢をゴッドイーターで弾き落とした。


 ――こ、これは……シャイニング・アロー輝光弓!! 聖哉!?


 だが勇者はいない。開かれた扉の前には、聖哉の代わりに青ざめた表情のロザリーがいる。


「こ、こんなまさか……! 父上が女神を襲うなど……!」


 その隣からエルルとマッシュが顔を覗かせる。


「リスたん!! 大丈夫!?」

「師匠の言った通りだったな!」


 叫ぶや、扉から駆け寄るマッシュ達。


 そして倒れた私のすぐ近くで、剣と剣がぶつかる激烈な音! 見るとアダマンタイター金剛斬剣ゴッドイーター神殺しの剣が交差している!


 いつの間にか私の目前にいた聖哉が戦帝と剣を交わらせていた!


「ジジィ。この女から離れろ」


 私よりも戦帝の方が驚愕していた。


「光の矢で目を眩ませ、その隙に入ってきたか。それにしても、まさか本当に現れるとはな」

「さっさと離れろ。リスタがいなくなれば、俺は……俺は……」


 聖哉は今までになく真剣な顔をしていた。私の目からは涙が止め処なく溢れ、胸が熱くなる。聖哉は表情を崩さずに言う。


「俺は……お家に帰れなくなるのだ……」


 あ……うん。それはそうですよね。はい。


 そして聖哉はサッカーボールでも蹴るように私を蹴り飛ばした。


「ぎゃんっ!?」


 私は戦帝から離れ、マッシュ達の元へとゴロゴロと転がる。ちょうど駆けてきたマッシュが唐突に転がってきた私の顔を足で思い切り踏んだ。


「おべっ!?」

「わ、悪い、リスタ! 大丈夫か!」

「ぜ、全然大丈夫じゃないけど……それよりマッシュにエルルちゃん!! どうしてみんなが此処に!?」

「聖哉くんが、リスたんがやっぱり気になるって言い出して!! だから途中で引き返してきたんだよー!!」


 改めて戦帝と対峙する聖哉を見る。絡み合わせていた剣を引き、今、二人は距離を取っていた。


「勇者よ。一つ聞きたいのだが……お前は予知能力でも持っているのか?」

「あいにくとそんな能力はない。俺はただ可能性を探ることしか出来ん。お前がリスタを襲うというのも、その可能性の一つだった」

「解せんな。どういう意味だ?」

「知りたいか。ならば教えてやろう」


 そして聖哉は朗々と語り始めた。


「実は四天王イライザは戦帝にやられた振りをしているだけでまだ生きていて、俺がいなくなったこの隙を狙い帝都に攻め込むつもりかも知れない。イライザが実際、死んでいたとしてもゴースト化して復活するかも知れない。イライザが攻めてこなかったとして、魔王自身が帝都に攻めてくるかも知れない。更に……」


 まるで迷妄のような言葉の羅列が延々と続く。


「何だ? コイツは一体何を言っている?」


 全く意味が分からぬといった顔で戦帝が聖哉を眺める。だが、的外れな聖哉の迷妄は徐々に真実へと近付いていく。


「……女神が死なないのは周知の事実だが、それでも難度Sと言われるこの世界の魔王は常軌を逸する力によって、神をも殺せる武器を手に入れたかも知れない。また戦帝は以前、北の大地アルフォレイスに行った時、実は魔王と出会っているのかも知れない。その時、戦帝は魔王に懐柔され、神を殺せる武器を手に入れ、リスタを狙っているのも知れない。つまり……」


 全てを射抜くような勇者の眼光が戦帝を貫く。



 私の体に電流が走る。


 何なの……!? 一体何なのよ、この『かも知れないお化け』は!? 相変わらず病気!! それも重度の心の病気よ!! でも最高!! 素晴らしいわ!! 何だか分かんないけど涙、止まんない!!


 感極まっている私を聖哉が何故かジロリと睨む。


「そして……この女神も偽物かも知れない……」

「!! いや本物ですけど!? もうその辺で止めておいたら!?」


 私が叫ぶと、戦帝が急に大きな笑い声を聖堂に響かせた。


「全く驚いたな。これは頭が切れるとか勘が鋭いとか、そういう類のものではない。理屈や常識、権謀術数さえも上回る驚天動地、理解不能の慎重さとでも言ったところか……」


 そして顔を引き締め、聖哉を睨む。


「だが順序が変わっただけだ! 女神の始末は、勇者をほふった後にしよう!」

「ち、父上! お止めください! こんな、こんなことは……!」


 近寄ろうとした娘に対し、父親は黒き剣先を向ける。


「邪魔をするな、ロザリー! 近付けばお前とて叩き斬るぞ!」

「そ、そんな……! どうして……!」


 戦帝の迫力というよりは、敬愛していた者に裏切られたショックからか、ロザリーは放心状態で、その場にがくりと膝を付いた。


 娘のことなど眼中にないように戦帝は楽しげに聖哉を見やる。


「若き頃、夢に夢見て、だが遂ぞ成ること叶わなかった『世界を救う勇者』。お前と戦うことはワシにとって至上の喜びだ」


 そしてゴッドイーターを聖哉に向けて構える。


「聖哉! 気を付けて! その剣は私を殺すだけじゃない! アナタの魂も破壊出来るのよ!」

「女神の言う通りだ。この剣によって脳か心臓を破壊すればお前の命は消滅し、もはや元の世界には戻れん。どうだ? 初めて、敵と対等の条件になった気分は?」


 脅すような戦帝の言葉だが、聖哉はフンと鼻を鳴らす。


「それがどうした。勝てば何の問題もない」


 聖哉はアダマンタイターを持っていない右手に、鞘から抜いたプラチナソード改を握る。


モード・ダブルエターナルソード二刀流連撃剣……!」


 左手の剣を上段、右手の剣を中段に、戦闘態勢を取る勇者に戦帝はにやりと笑った。だが……


「ぐ……ぐううううっ!?」


 突如、苦しげに唸り出し、ゴッドイーターを杖のように床に付ける。


 こ、これは例の発作!? しめた!! これからアホになるんだわ!! そうなれば戦帝は赤子同然!!


 しかし、戦帝は苦しみながらも自虐するような笑みを顔に湛えていた。


「ふふ……今にも朽ち果てる寸前の不甲斐なき我が体よ。だがそれとも今日でおさらばだ。あの頃の栄光を取り戻せるなら、ワシは魔王にこの魂を捧げよう……」


 懐から何かを取り出した戦帝はそれを口へと運ぶ。その途端、戦帝の体から黒きオーラが溢れ出た。


「ゴッドイーターと共に魔王から授かりし『魔神の霊玉』……。人間を魔の者へと変貌させるこの霊玉は副作用として、その体を若返らせるという……」


 喋りながら戦帝の肉体に変化があった。真っ白だった頭髪はロザリーのように青みのある蒼髪に変わり、顔にあったシワが消えていく。痩せ衰えた腕や脚に、漲るような筋肉が現れ……齢八十の戦帝は二十代前後の青年と化した。


「ふ……ふはははは! 体中から力が溢れてくるようだ! 全盛期の……いやそれ以上の力を手に入れたぞ!」


 よく通る若々しい声で高笑いした戦帝の口元には牙! そして瞳の色は赤く染まっている!


 私は魔人と化した戦帝のステータスを能力透視する。


 


 戦帝ウォルクス=ロズガルド

 Lv90

 HP359985 MP0

 攻撃力302225 防御力293664 素早さ257511 魔力0 成長度?

 耐性 火・水・雷・氷・土・闇・毒・麻痺・即死・眠り・状態異常

 特殊スキル 闇の加護(LvMAX) 攻撃力進化(LvMAX)

 特技 スタイル・イーヴルライト暗黒光剣

    クラッシュ・イーヴルライト爆砕暗黒剣

    マッシヴ・イーヴルライト邪光烈斬

 性格 勇猛果敢




 ……攻撃力が三十万を超えて!? 最後の四天王イライザを軽く上回っている!!


 戦帝の体から発散される黒きオーラがゴッドイーターを覆い、剣は更なる漆黒と化す! 魔神の霊玉を飲み込み、闇の力を手に入れた戦帝が剣を大上段に構える!


「せ、聖哉……って、え!?」


 怖じ気づく私とは逆に、何と聖哉は戦帝に突進している!


「……今が好機だ」


 そして二刀流連撃剣を叩き付ける! 戦帝はゴッドイーターで何とか受け止めるも、


「む……! 妙な動きだ。何だ、この剣技は?」


 人間の腕の可動領域を超えるという剣技、連撃剣――しかも二刀流。驚愕のステータスを持つ戦帝といえども、残像が残像を生む超高速の剣技を防御するのに必死の様子だった。


「調子に乗るなよ、小僧!」


 大きく剣を振り、力に任せて連撃剣を払いのける。だが、その後、自らの膂力りょりょくに引きずられたように戦帝は大きく、たたらを踏んだ。


 力を持て余しているような戦帝の様子を見て、聖哉が『好機』と言った意味が分かる。


 そ、そうか! 急激に若返った体にまだ順応していないんだわ!


 体勢を崩した戦帝に聖哉は二刀流連撃剣を再開する。アデネラ様直伝の絶技に徐々に後退する戦帝。傍目にも明らかに聖哉が有利。もう一押しで戦帝のガードが崩れる――そう思った時、戦帝が口を開いた。


「二刀流連撃剣、か。イライザの六刀流に勝るとも劣らん凄まじい剣技だ。だが……」


 戦帝の瞳が血よりも濃く、深紅に輝く。


アカスタムドもう慣れた


 途端、黒い光の軌道が私の網膜に映る。その瞬間、聖哉の右手のプラチナソード改が弾かれ、地へと落ちた。


「喰らえ……! スタイル・イーヴルライト暗黒光剣!」


 空中に黒の幾何学模様が描かれる! 片手剣のみとなった聖哉に放たれるのは、六本腕のイライザでさえ防げなかった戦帝の超絶剣技!


「聖哉っ!!」


 私が叫んだ、その瞬間。聖哉の方から骨が激しく軋む音がした。


「……エターナルソード・EX真・連撃剣


 聖哉の左手のアダマンタイターが戦帝の放った黒い光の軌跡をなぞるように動く! アダマンタイターがゴッドイーターを弾く音は、耳鳴りのような高い連続音となって私の耳朶を震わせた!


 し、真・連撃剣!? タナトゥスと戦った時、見せたアデネラ様の技!! 一体いつの間にマスターしていたの!?


 私同様、戦帝は感嘆した表情を見せていた。


「片手剣のみで、ワシの剣技を防ぐとは。成る程、成る程。これでは誰も敵う筈がない。おそらく今の今まで連戦連勝、窮地という窮地に陥ったことすらなかったのだろうな」


 そうよ! 聖哉は天下無敵の大天才勇者! アンタだって、これからすぐにやられちゃうんだから! ねっ、聖哉!


 そう思い、聖哉の横顔を見た私は息を呑んだ。聖哉の頬には出来たばかりの切り傷があり、そこから血がポタポタと滴り落ちていた。


 ――ち、血が……!? スタイル・イーヴルライト暗黒光剣を完全には凌ぎきれなかったというの!?


 流れる血に混じって、私は聖哉の顔を汗が伝うのを目の当たりにする。


「かつて魔王が教えてくれた。勇者召喚される人間のいる世界はいくさのない、ぬるま湯のような世界らしい」


 そして戦帝は深紅の目で聖哉を見据える。


「有り余る才能はあれど痛みも知らぬ、平和な世界より来た小僧よ。肉が裂け、血が飛沫しぶく、本当の戦いを教えてやろう」

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